呼吸ごと奪うように愛して

今日の白石くんは朝からやけにソワソワしているように見える。
いつもならわたしのどうでもい話でさえ、真面目に聞いてくれるのに今日に限っては相槌も適当だったり気も漫ろで何処か浮き足立っているような、とにかく落ち着きがない。
理由を訊ねてみても、明確な回答も得られず、「気のせいやろ」と誤魔化すばかり。
お互いサークル活動や就活も忙しくて、デートらしいデートも二ヶ月以上ぶりだというのに今日のデートを楽しみにしてたのはわたしだけだったのかと不安な気持ちに駆られてしまう。
もしかしたら、ほかに好きな子でも出来てしまったのだろうか。
テニスサークルには綺麗な子も可愛い子も多いと噂で聞いていたから、もしかしなくても浮気でもしてるとか?
白石くんに限ってそんなことするはずがない、と信じているけれど。
今日のような彼の行動を垣間見てしまうと否応なしに不安になるのは少し仕方がない気もする。


頭脳明晰で容姿端麗、テニスも中高と全国大会に出場するほどの実力者だし社交的で誰に対しても分け隔てなく接する優しい人だ。
聖書と異名を持つ彼はまさにパーフェクトな人だからこそ、女性に人気だと知っているし、彼に群がる女性が多いことも理解しているつもりではある。
つもりではあるけれど、一緒に過ごす時間が減っている現状でこういう態度を取られてしまうとどうしても嫌な予感が過ぎって信じたい、信じているという気持ちが僅かながらに揺らいでしまうのだ。


一緒にいるのに、少し遠くて淋しい。
今日のデートを励みにサークル活動も就活も頑張って終えてきたのに。
わたしと過ごす時間など、彼にとってはもうどうでもいいことなのだろうか。
どんどんネガティブな思考に陥ってしまい、さっきまでの幸せな気持ちも楽しい気分も全部が台無しだ。


彼の好物である美味しいチーズリゾットがあるお店でつい20分ほど前までは、美味しいねとお互いに微笑みあっていたのに。
食後のコーヒーは冷め切ってしまい、口に広がる苦さがより際立っている。
冷め切ったコーヒーにスティックシュガーを入れたところで溶ける訳もなく、仕方がなく苦さしかないコーヒーを飲み干してカップをソーサーに置くとおもむろに白石くんが手を握ってきた。


「…陽菜、ちょお話があんねんけど」

「……う、うん……」


僅かながらに彼の手が震えていることに気づいた。
名前を呼ぶ声もどこか緊張感があって、ますます不安が大きくなっていく。
別れを切り出されてしまったらどうしよう。
最悪の事態がもうすぐそこまで差し迫っているような妙な緊迫感が不安を増殖させた。
白石くんとは高校2年の時から付き合っていて、もうかれこれ5年目だ。
お互いの家族とも会っているし、言うならもう家族ぐるみでの付き合いでもある。
将来は結婚するんでしょ?なんていう話もたまーに出てきたりするくらい、わたしたちにある繋がりは強固なものだと思っていたのに。


「場所、変えてもええか?」

「うん、…いいよ」


気を張っていないと今すぐにでも泣いてしまいそうで。
彼に手を引かれながら必死にどうするべきなのか、どうあるべきなのかをグルグルと頭をフル回転させて考える。
考えたところでもう真っ白になった頭ではろくな結論には至らなかったのだけれど。
彼の気持ちがわたしから離れてしまっていたとしても、わたしは彼を、白石くんを失えない。
繋がれたこの手を離すことなど出来るわけがない。
例えこの決断が彼を苦しめるだけになってしまっても、失いたくない。


そんな結論に至った頃には高校の頃よく一緒に訪れていた大きな公園に着いていた。
懐かしいその場所は、わたしが白石くんに告白した場所でもある。
あの日、この場所から始まったわたしたちは、今日この場所で終わってしまうのだろうか。
別れを切り出す場所がこの公園なのだとしたら、白石くんは残酷だ。


「陽菜」

「は、い……」

「俺らもう来年から社会人やんな。俺も、陽菜も無事に就職先も決まったやろ?」

「そうだ、ね…お互い、ちゃんと就職先見つかってよかった、よね」


笑えている自信はない。
けれど声だけでも出来るだけ明るく振舞おうとするけれど、今にも泣きそうなわたしには途切れがちに言葉を返すのが精一杯で。
彼がどんな表情でわたしを見つめていたかなんて、俯いているわたしには分かるはずもなかった。


「おん、せやから……陽菜に渡したいもんあんねん」

「渡したい…もの?」

「そや、俺…一人暮らしすることに決めてん。せやから、お前に合鍵渡そ思うてな」

「……えっ、」


とうとう別れを切り出されると身構えていたわたしの手のひらにはピカピカの真新しい鍵が乗せられていた。
思わず俯いていた顔を上げて彼を見上げると、少し照れくさそうに微笑んだ彼と視線が絡んだ。


「……これ、受け取っていいの?」

「当たり前やろ、陽菜以外誰に渡すん?」

「でも!……でも、わたしが受け取っていいのか、不安で…」


つい1分ほど前までは別れを切り出されると思っていただけに、頭が混乱する。
確かに勝手に悪い方向に物事を考えて勝手に別れを切り出されると思い込んでいたわたしが悪いのだけれど、あんな不安を煽るような態度を取った白石くんにも多少なりとも非はあると思うわけで。
少し恨めしい気持ちになりつつ、彼と合鍵を交互に見つめて。


「……一人暮らししよ思うてる部屋な、2LDKなんやで」

「…え?………一人暮らしなのに、広すぎない…?」

「せやから、……大学卒業して、お互い新社会人として仕事にも慣れたら…、陽菜も一緒に住んで欲しいんや。せやから、合鍵はお前に持ってて欲しいねん」


意味わかるか?と、いつになく甘く優しく囁くような声が聞こえたと思ったら、ぎゅっと抱きしめられていた。
わたしが彼の誕生日に贈ったムスクの少し甘い香りが鼻先を掠めて。
ああこの腕の中が一番落ち着く場所だと再認識する。
手のひらに乗せられた合鍵を今度こそ大事に握り締めた。
彼の言った意味を理解すると、さっきまでの不安も綺麗に消し飛んでしまい、嬉しさと幸福が
一気に訪れる。


つまりそれは。
これからもずっと、ずーっと一緒にいられるという約束。
朝も昼も夜も、彼の気配を体温を感じていられるということだ。
考えただけで心躍って、浮き足立ってしまいそうになる。


「うれしい……すごく、うれしい!」

「俺も嬉しいわ、…ほんまは少し不安やってん」



付き合ってもう5年目。
倦怠期なんて関係なくお互いを尊重し合いながら愛し合ってきた。
それでも会えない時間が増えて、明確な将来が見えてきたとき。
自分は彼女にこれからも必要としてもらえるのだろうか、愛してもらえるのだろうか、そんな不安があったのだと彼は少し不安げな表情で語った。


だから、今日は気もそぞろだったのだろ。
わたしに一人暮らしと合鍵についていつ切り出すか、受け取ってもらえるのかどうかと悩んで。
ぜんぶ、ぜんぶ、わたしのためだったのだと知って、ますます彼への想いが溢れてくる。
今日、白石くんがこの場所を選んだのはあの日の始まりが現在へと繋がって、そして新しいふたりの未来が始まるのだという確かな約束を交わすためだったのか。


「白石くん、」

「アカン」

「え?」

「白石くん、はアカンて言うてるんや。…陽菜もそう遠くない未来で同じ『白石』になるんやから」


せやから、名前で呼んでや?とちょっとだけイタズラが成功した子供のように笑う。
付き合ってもう5年にもなるのに彼のことを白石くん、と呼ぶのは『蔵ノ介」と名前で呼ぶのが恥ずかしくて仕方がないからだと知っているのに。
何度かチャレンジして名前呼びしてみたけど呼んだあとは、まるでゆでダコのように恥ずかしさで真っ赤になってしまうからずっと苗字で呼んでいたのだけれど。


「……恥ずかしいから、いやです」

「顔真っ赤になっても陽菜は可愛いから大丈夫やって!な?」

「……くーちゃん、なら…呼んでもいいよ」

「くーちゃんはアカン!俺が恥ずかしい!」

「友香里ちゃんだけ、ずるい…」



彼の妹である友香里ちゃんが「くーちゃん」と兄を呼ぶのを微笑ましく思いつつ、ずっと羨ましいと思っていた。
けれどそんな呼ばれ方をするのは嫌らしく抗議したらしいけどあえなく玉砕してしまったらしく、いまだに友香里ちゃんは彼を「くーちゃん」と呼んでいる。


「くーちゃん」

「こらっ、陽菜!」

「…くーちゃん」

「っ、いい加減にせんとその口塞ぐで?」

「くーちゃっ、んっ……」


いっそのこと塞いで欲しい、そんな気持ちで何度目かのくーちゃん呼びをすれば。
呼吸ごと奪うように唇を奪われた。
キスももう2ヶ月以上ぶりで、ここが公園だということも忘れてお互いに唇を求めているのがわかる。
キスもその先の行為も、ぜんぶぜんぶ彼が初めてで。
そしてこの先も彼しか知らずに生きていく、それが幸せなことすぎてやっぱり泣きそうになった。


まだあなたのことを名前で呼ぶのは恥ずかしいけれど。
いつかそう遠くない未来で、あなたと同じ苗字になれたら。
そのときは、恥ずかしくてもたくさんたくさん愛情を込めて名前を呼ぶから。
どうかその日まで、こうやって何度もわたしの呼吸ごと奪って欲しい。
あなたに愛されていると心と身体全てで感じたいから。




(この愛なしでは生きていけません)

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