ふぉんだん・しょこらてぃえ
カランコロン、
上機嫌なドアベルは今日も鳴る。
いつもより何倍も暇そうなソレは、気まぐれにいつまでも揺れていた。
「…、拓海拓海。」
今日は珍しくハンスもルイスも一緒に遅刻するらしく、
お昼まで静かなフロアになる。
「何?」
「今日、何かあったっけ?」
「…ホワイトデー。」
「あぁうん、ソレは知ってる。
そうじゃなくて…何て言うか…人いなくない?」
そう、今日は折角のホワイトデーだというのに全くもって人が来ない。
(いや、まぁ…ホワイトデーにってケーキ買いに来るお兄さん達はいっぱい居るけど)
そして、ここ数日と比べて明らかに違うことが一つ。
あの(恐ろしい)女の人たちが居ない。
…違和感だ。
お姉さん達、拓海さんはフリーですよ。
「ああ、聞いてなかったのか?」
「何を?」
「今日、雑誌の記者が来るって話。」
「…え?!」
「聞いてなかったか…」
あちゃー、と額に手を当てた拓海は、何処かから雑誌を取り出した。
「ほら、ここの記事。
『モグモグ☆乙女のグルメロード!』ってとこ。
この記事の記者が今日…もう直ぐ来るんだ。」
中々斬新な名前の記事を見ると、なるほど、有名菓子店のケーキの評価・写真・店員…
女の子が食いつきそうなものばかりかき集めたものだった。
こんな風にキャピキャピしたものを書く位だから、もんのすごい派手な人なんだろうな。
勝手にリキトは脳内で顔面が真っ黒なパンダメイクのだらけた女の人を想像して、頭をおさえた。
「…ってことは、今日一日雑誌取材?」
「ん、そういうこと。」
「…そっかぁ…」
「何か不満?」
「いや…別に…初めてのことだなって。」
「そうか…俺もだ。」
しばらく見つめていた雑誌の記事から顔を上げ、いつもと変わらぬスピードで進む秒針を眺めた。
本当は、昼休みを返上してお菓子を作る予定だった。
もうレシピは考えてある。後は作るだけなのに…
少しだけ、雑誌を持つ手の力が強くなった。
時計の針がかちりと交わったとき、さっきまで眠りこけていたドアベルが雄たけびを上げた。
―それはもう、凄い勢いで。
「遅れてごめんなさぁぁぁぁい!!」
「いらっしゃいまうわぁぁぁぁ?!」
凄い音に引き寄せられるようにドアの近くに寄ると、ポニーテールの女の人が凄い勢いで店内に転がり込んだ。
あまりの凄さに、リキトは叫んだ。
「はぁ…はぁ…道を…一本間違えちゃいまして…ごめんなさい…」
「あ…だ…大丈夫ですけど…どちら様でしょうか…」
「だ…あ…水…!」
「うわぁぁぁグレイ早く水持ってきて死んじゃう!!」
「お、おう!何か分からんけどもってくる!」
床に倒れこんだ女の人は、ドア付近に荷物をばら撒いて動かなくなった。
だ…大丈夫だろうか…
とりあえず起きたときに困るだろうから、拾えるものは拾っておこう。
ばら撒かれた書類を集めてファイルに入れ、カメラをそっと拾い、近くのテーブルへ置いておくことにした。
「…この人、まさか…記者さんかな…」
「…一流雑誌記者ともあろう人がやかんで水のまされてるとは思わんがな。」
一緒に手伝ってくれた拓海越しに見えた、昔のコントでよく見たやかんから直に水を飲ませる荒業を成し遂げている女の人を見つめた。
「…はぁ…死ぬかと思いました。どうも有難う御座いました!」
「いや…大丈夫そうで何よりです…」
しばらくがぶ飲みしていた女の人はいきなりむくりと起き上がって、俺たちにお辞儀をした。
…。
「あ!申し遅れました!私、週刊ツキノの記者やってます!
涼と申します!」
「涼さんね、はい。」
涼さんは、さっきとは打って変わって背筋を伸ばして名詞を差し出した。
そこには、『涼』とだけ書かれていたシンプルなものだった。
「えーと、まずは店内の写真を三枚ほど載せたいので撮っていいですか?」
「あぁ、どうぞ。」
「それでは遠慮なく。」
そういうと、徐に涼さんは立ち上がってカメラを構えだした。
黙ってカメラを構える涼さんは、まさに“プロ”と言える様な目をしていた。
…なるほど、コレがプロなのか…
誇らしげに、カウンターに置き去りにされた雑誌がペラペラと風で捲れた。
ぱしゃぱしゃと撮っている涼さんを呆然と見つめていると、不意にカランとドアベルが揺れた。
「すみません、遅れてしまったね。」
「ごめんなー、ちょっと野暮用でな。」
「遅かったな。」
振り向いた先には、何だか紙袋一杯に荷物をつめたルイスとハンス。
…なんだ、その荷物…?
「あ、お邪魔してます。
私、週刊ツキノの記者の涼です。」
「あぁ、お電話いただいてます。
どうぞ、好きなだけ書いてください。」
「有難う御座います!
それでは、遠慮無く…」
ルイスとハンスと二言三言話して、すぐさま涼さんは撮影に戻った。
時々確認する為に上げる、真剣な目が、何だか綺麗で素敵だった。
「リキトくーん、ちょおこっち来てー。」
「あ、ハーイ。」
しばらくじっと涼さんを見つめていた俺は、ハンスに呼ばれてキッチンへ向かうことになった。
何だろう。
「おー、来たな。」
「何?」
「フフ、前々からホワイトデーの計画を立ててただろう?
だからね、せめてものお手伝いをしてあげようと思ってね。」
「ルイス…!!」
ちょっとでもイライラしてしまった自分が本当に情けない。
「何かあったらハンスにいいなよ。
俺はちょっと取材受けてくるから。」
「ルイスさんと呼ばせて下さい…!!」
「気にしない気にしない。
じゃ、頑張ってね。」
そして爽やかに去っていったルイスの背中を熱く見守り、俺はキッチンに引きこもった。
エプロンをきっちり締めて、レシピを作業台に出した。
もちろん、作るのは『お菓子のお城』だ。
まずは…城壁、城壁…
「そうそう、そこは丁寧にな。」
「ハイ、マスター。」
「おぉ…えぇなあその響き…」
ちょいちょいハンスに手ほどきを受けながら、こつこつと城壁を組み立てていった。
次はベランダ…
「…前々から、思っててんけど…」
「うーん?」
「…リキトて器用やね、ウェイターにしとくのはもったいないなぁ…って。」
「…そう?」
「おぅ。あ、そこもーちょい右…そこ。」
「よし!ラストは屋根!」
「頑張れ、クッキー生地で作るんやろ?」
「うん、さくさくに焼いて乗っける。」
「そか。よし、オーブン準備してくる。」
ハンスが準備しにいっている間に、俺は生地を練って待つことにした。
少しでも、美味しくなりますように。
少しでも、想いが伝わりますように。
「できたでー、そっちはど?」
「いい感じ!」
「よっしゃ、鉄板にシート張って乗っけて。」
「出来た!」
「おー、もって来い。」
鉄板をハンスに差し出して、オーブンに入れてもらい、大人しくオーブンの前に座り込んだ。
「何か、リキトってわんこみたいやね。」
「わ…わんこ?!」
「帰りを忠実に待ってる可愛いわんこ。
メイって人、相当愛されてんねんな。」
「あ…?!愛…?!」
「あー赤くなったー。」
座り込んで数分、段々と焦げ目が付いてきた生地を見つめる俺の顔は、確かに赤らんでいた。
そうか、こんなに短い間でも、俺はメイさんが…好…き、なんだ。
優しさとか、可愛いところとか、全部全部。
「…ほら、焼けた。」
「よし!乗っけたら終わり!」
悶々と考えている間に、あっという間に18分が経過した。
段々と恥ずかしくなってきて、とっとと城を完成させることにした。
「…完成!」
「おー…ホント立派なもんやね…」
「有難う!ハンスのお陰だ!」
「ホント、パティシエになる気無い?」
「いえいえ、俺なんてまだまだペーペーの新人で…半生みたいなもんですから。」
完璧に出来上がった城を、丁寧に冷蔵庫に仕舞いこんだ。
あとは、メイさんを呼ぶだけ…!
ソレが、途轍もなく大きな壁に見えた。
「…んー、そろそろ取材もいい感じに終わる頃やし、フロア行ってみ。
作業台はきっれーに片付けといたるよ。」
「あぁあ有難うハンスさん…!!」
「いーっていーって。」
にこやかに笑って俺を送り出したハンスは、俺の背中を叩いた。
その好意にあやかって、フロアまで足を運ぶと、そこには見事に屍が転がっていた。
…やけに、グレイの荒み具合が凄い。
唯一生き残っているルイスに涼さんの事を聞いてみたら、つい先ほど帰っていったらしい。
特にグレイの写真をバシャバシャ撮って、質問攻めにさせて満足してルンルンで帰って行ったそうだ。
…よし、コレなら。
「俺、ちょっと出かけてくる!」
「うん、いってらっしゃい。」
何かを察してくれたルイスは、にこやかに手を振って見送ってくれた。
そこで携帯を出せばよかったものの、そのときの俺は何も考えずに走り出していた。
…っメイさん…!
思い切り走って、今までに着いた時間より遥かに速い時間でスーパーに辿り着いた。
ゼーハーゼーハーと荒い息を整えもせずに、其の儘スーパーの入り口をくぐった。
「…!あ、リキトさん!」
「メイさん!あの、時間、ありますか?」
「あ、大丈夫ですよ。」
「き…来て!」
「えっ?!リキトさん?!」
また全く考えも無しに、俺はメイさんの手を握って早歩きで歩きだした。
「あ…あの…」
「はぁ…はぁ…もう少しです…」
なるべく、早く強く引っ張らないように注意しながら店まで戻り、そろっとドアを開けた。
さっきまでの屍は何処かに回収されて、綺麗にすっからかんになっていた。
有難う御座います、ルイスさん。
「ちょっと、ここに座って待っててください。」
「あ、はい…」
一番窓際に近い席にメイさんに座ってもらって、俺はまたさらに走った。
キッチンに戻って、冷蔵庫を開けて、キンッキンに冷えた可愛らしい城を取り出してフロアへ持っていく。
「お待たせしました、メイさん。」
「あ、…うわぁ…!!」
フロアへ行って、皿の上に乗っている城を確認した途端、メイさんの目が輝いた。
「今日、頑張って作ったんですけど…ちょっぴり不恰好ですよね…」
「そんなこと無いです!凄く…!凄く嬉しいです!
こんなに素敵なホワイトデーのプレゼント、初めてです…!」
どうぞ、と目の前に置いたら、メイさんは嬉しそうにてっぺんに飾ったチョコレートの旗を取ってかじった。
本当に嬉しそうに笑ったメイさんの顔を、俺は一生忘れないだろう。
「こんなに美味しいお菓子…期待しちゃいますよ?」
もう、今しかない。言え、言うんだ。俺。
「…期待…しちゃっても、いいです、よ。」
「…え…?」
「メイさん、あの…最初に会ったときから、付き合いたい、って思ってたんです…
えっと、あの、付き合って、もらえませんか…?」
真っ赤になった顔を隠すこともせず、俺は面と向かってメイさんに、
こく…告白、してしまった。
メイさんは、真っ赤な俺の顔に負けないくらい真っ赤な顔をして、俺を見上げていた。
…え…?!
「奇遇、ですね…
私も、おんなじ気分なんです…」
「え?!」
「私も、付き合いたいと思ってました…
あ、いえ!今も、そうです…よ…!」
真っ赤な顔のまま、メイさんは俺を見上げてにっこり笑った。
「付き合いましょう?」
ふぉんだん・しょこらてぃえ(想いが通じても、)
(やっぱり俺は半生なんだ)
(恥ずかしくて、溶けそうだ!)
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