リンゴとネコエピソード 2 | ナノ
少年はそう悟った。そして同時に、何となくではあるが、僅かに胸の中がもやもやとした。今までこの場所は自分だけの、所謂秘密の隠れ家のような所であったのに、とっくに先を越されていたなんて。少年は純粋に、悔しかった。
ネコたちも、少年には目もくれず、老婆が来た途端に老婆へと甘えている。きっと少年よりも固い絆で結ばれているのかもしれない、少年はネコたちの態度を見て強くそう思った。
老婆がゆっくりとした動作で屈むと、バスケットから出てきたのはリンゴだった。それも、漂う匂いからするに、少年と同じように、タルト・タタン用に煮詰められたリンゴだった。ああ、そうか、と
少年は納得した。この老婆がネコたちにリンゴを与えていたから、あっさりと食べたのだ。
それは同時に、難解に思えたクイズが実は簡単だったことを示すように、またも少年の顔を曇らせるものだった。そんな一人でむくれている少年の顔色を伺っていた老婆は、目元を優しく細めて少年に声をかける。
「坊やも、この子たちにリンゴを?」
少年は、こくん、と頷いた。老婆は、そうかい、そうかい、と、語り部のように優しい声音で言葉を紡ぐ。
「ネコの嗜好ってのはね、人間とは違うんだよ。多少の刺激臭があっても、油脂を含んでいれば食べたくなっちまうんだ。それがネコって生き物さ」
そうなんだ。少年は、決して顔色には出さずに心の中で頷いた。
確かに、このリンゴを煮詰める時に、最初に少しだけバターを溶かして作っていたっけ。母親が作っている姿を思い出しながら、ネコたちが一生懸命食べている姿を少年は見つめた。
老婆はバスケットの中にある他のご馳走(パンや白身魚、そして少し焼き目がついたラム肉が出てきた)を地面に全て置くと、やはりゆっくりとした動作で少年の隣まで移動し、腰掛ける。
ネコの数匹はもうお腹がいっぱいなのか、老婆のあとを追いかけて少年の時と同じように膝上に乗って甘えてくる。そして同時に、少年の膝上にも乗って、喉をゴロゴロと鳴らすのだ。
「おやまあ、ずいぶんと懐いているもんだ。ここのネコたちは、皆人間の勝手な都合で捨てられたり、虐待を受けたりして人間にはあまり懐かない子たちばかりなのに、坊やにはずいぶん気を許しているようだねぇ」
そうだったのか、と少年は驚いた。言われてみれば、片目を失っていたり、前足や後ろ足が歪な方向に曲がっていたりと、痛々しい傷を持つネコも何匹かは居るが、ここに居るネコたちの歴史なんて、少年には想像もつかなかった。老婆は膝上に乗っていたネコをそっ
と地面におろすと、優しく頭や耳の下を撫でてあげた後、重い動作で立ち上がり、杖をつく。少年に振り向くと、ヘーゼルの瞳を優しげに細める。その瞳には、光がなかった。
またおいで。老婆の心の声を聴いた気がして、少年は半ば茫然としながら、老婆の立ち去る後ろ姿を見送った。
きっとあの老婆は、目が見えないのだ。
少年は、よたよたと歩く老婆の後ろ姿を見て、強くそう思った。
ネコたちは、立ち去る老婆を追いかけようとはしなかった。もう帰っていくことを、解っているからだ。
それ以来、少年は一週間に三日ペースで通っていた路地裏に、毎日通うようになった。リンゴをたくさん抱えて、大切な友人たちに、ご馳走する為に。
そしてあの老婆と、学校や家であった出来事を話し、聞いてもらう為に。
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