リンゴとネコエピソード | ナノ




その日少年は、裏路地を歩いていた。
単に人で賑わう表通りが今日は耳障りに感じてしまったからとか、大好きな花屋の赤毛の少女が今日は居ないからとか、そんな理由ではない。
裏路地は狭くて、ゴミのにおいが漂っていて、じめじめして暗くて、あまり好きな方ではない、と思っていた。
ある日少年は発見したのだ。そのじめじめして暗い場所でも、力強く生きている、ある『生き物』の姿を。
それはネコだった。一匹だけではない。数十匹と、裏路地のずっとずっと奥の方に、ネコたちはひっそりと住んでいた。それまで気にも留めなかったネコの存在に気付くようになったのは、ある偶然がきっかけであった。
少年には、友人と呼べる存在が居なかった。いつも一人で、家に閉じこもってばかり。学校に行ってもクラスの皆に笑いものにされて、けれどもそれを共働きの両親に相談するのも気が引けてしまい、ずっと一人で抱え込んでいた。そんな時、裏路地に何となく入って行った時に、このネコたちに出会ったのだ。
けれども別に、ネコに愚痴を言う訳でもなかった。少年は、言葉を口にせず、ただ密集しているネコたちを、少し離れた所に座ってただじっと見つめていた。初めは少年を警戒していたネコたちも、少年を受け入れ、今では少し馴染んだようだった。
それを何日も何日も繰り返していくうちに、ネコの方から少年へと身体を摺り寄せた。少年の家は、この辺りでは好評のパン屋だった。身体中から美味しそうな匂いを漂わせているネコには、少年の体臭は非常に魅力的だった。あまりにそれをしつこくされるものだ
から、少年はある日、家の余っているパンを少し、ネコたちにあげた。あっという間になくなり、パンをもっととせがむネコに、少年は初めて破顔した。
そして、今日はいつもと違うものを持ってきた。パンだけではなく、お店の商品として出しているタルト・タタン用に煮詰めた、リンゴであった。ラム酒とシナモンを使って煮込んだリンゴは、人間が食べてもスパイシィで癖があるように感じるのに、ネコが食べる
だろうか。些か疑問に思ったものの、少年がパンと一緒に掌から出すや否や、ネコたちは群がり、次々とご馳走にかぶりついた。
そしてあっという間に今日も売り切れた。壁際に積んである使われなくなった鉄パイプが重なっている所に腰掛けると、ネコもあとをついて、少年の脇にピタリとくっつく。中には膝に乗って甘えてくるネコも居る。何でも食べるネコたちに、少年は驚いた。まさか
このリンゴを食べるとは思わなかった。
「おや驚いた」
突然の声に、少年も驚く。声のする方を振り向けば、そこには黒いレースのスカーフをかぶった老婆が居た。杖をつき、片手にはバスケットを持っている。老婆はしわくちゃな顔をにこりとさせ、少年に声をかけた。
「あたし以外にも、ここを知ってる人が居たなんてねぇ」
少し枯れているが、凛とした声で、老婆はそう言った。すると、膝上に乗っていたネコがぴょん、と足取り軽く、老婆へと身体を擦り寄らせる。察するに、人間の姿を見て身体を擦り寄らせるのは、今までこの老婆がここでネコたちにご馳走を与えていたからか。

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