*BHの王子高校時代











『もう、大丈夫だから。泣かないで』






























(……あーっ…、)
気付けば目覚ましがうるさく鳴り響いている。こんなに微睡む朝も久しぶりで、しかも夢を視た。ひどく、懐かしい夢だ。
幼い頃に、あの窮屈で仕様がなかった屋敷を一人で抜け出して、抜け出したは良かったが帰れなくなったのだ。
途方に暮れて、腹も減って、歩き続けた所為で足も疲れて。
それで、確か…。

ーーーーピリリリリリッ…

目覚ましの後のコール音が鳴って、ディスプレイに表示された名前を確認することなく通話ボタンを押す。
『もしもし、おはよう』
「…んー…はよ…」
『珍しいな、今朝はちゃんと起きれたのか?』
電話の相手は、幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた気の知れた相手で、年上の友達で、従者であるイグニスからだった。少し笑いを含んだ声で言葉を紡ぐ。
『もう少しでそっちに着くから、きちんと身支度を整えておいてくれ。それから、朝ごはんは何でも良いからとにかく何か口にして…』
「…ぁーもう、わぁーかってるって!ったく、いちいちうるせぇな…」
『なら良いんだが』
いつものやりとり。いつもの戯れ。俺のことを知り尽くしてる故に、母親のようにしつこく言ってくるのは、彼なりの親愛の現れ、なんだと思う。時々ものすごくウザく感じるときもあるが、でもそれがイグニスの標準なんだと、俺も理解はしている…つもりだ。
多分あと5、6分もすればこの部屋に着くだろう。いい加減起きて顔を洗って、制服のシャツに袖を通しておかないと、また何を言われるかわかったものではないので、気だるい身体に鞭打って、けれどもマイペースに、身支度を急いだ。








* * * * * *











「イグニスさんて、ノクトが何歳くらいの時から一緒に居んの?」
同級生で親友のプロンプトが、昼休みに俺の弁当のおかずの一部をつまみながら、唐突にそんなことを尋ねてきた。
俺の弁当は毎日イグニスが作ってくれるもので、栄養バランスも考えて彩りもバッチリだ。だから大っキライな野菜のおかず類は、全てプロンプトに差し出している。プロンプトは好き嫌いがあまりないのか、それともいつもファーストフードやコンビニ弁当、学食の類いだからか、俺から一方的に渡されるおかずは喜んで手をつけている。…まるで犬みたいだ、とは言わねぇけど。
「んー…いつからだろな。気づいたらずっと傍に居てくれてるな…」
お礼にとプロンプトから貰った鶏唐を俺も口の中に入れながら、ふと考える。そういえば、イグニスは俺が物心ついた時から、ずっと傍に居てくれてる。
それが当たり前になりすぎてあんまり気付かなかったが、イグニスが一人の時何をしてんのか、聞いたことも考えたこともなかった。
「良いよね〜ノクトにはこんなに美味しい料理作ってくれる人が傍に居てさぁ〜!うちの両親なんか、俺がガキの頃から全然家に居てくれなかったもん」
「ま、そんだけ頑張って生活支えてるってことなんじゃねぇの?」
「ん〜まぁね、そうかもしんないけどね。でも、イグニスさんみたいな温かい料理出てくるような家庭、俺は憧れちゃうな〜♪」
だからノクトが羨ましいよ〜、なんて、間の抜けた、でも瞳を輝かせながらイグニスの料理を熱弁するプロンプトの姿を見て、急に胸が痛んだ気がした。
イグニスって、何で俺なんかの為にあそこまで忠実に仕えてくれるんだろう。自由な時間はあるんだろうか。自分のやりたいこと押し殺してまで、俺の傍に居るんだろうか。
それにあの男前且つ華やかな外見で、彼女の一人でも居ないのもおかしい。そういう話も本人からも周りからも聞かない。
「ノクトもさ、イグニスさんに感謝しないとねー」
「…っえ?」
プロンプトの話を半分しか聞いてなかった俺は、反応がつい遅れてしまう。だからー、とプロンプトが続けた。
「こんな美味しい料理毎日作ってくれるんだから、ノクトをもちゃんと日頃お世話になってるのを形にしないとダメだよ〜、って言ってんの」
「かたち……って、何だ?」
「へっ??」
思わず疑問に思ったことを訊いたつもりだったが、プロンプトの瞳が丸くきょとりとする。すげぇな、人間の目って本当に丸くなるんだ、とか変なところに感心していると、プロンプトが目をぱちくりとさせている。
「た、例えばぁ〜…。そう!例えば、何か料理を作ってあげるとか、肩を揉んであげるとか、日頃お世話になっているお返しをすれば良いんじゃない?あとは彼の好きそうな物をプレゼントするとか?」
「あーーー…なるほどな…」
唐揚げを飲み込み、食べていた箸を止めて思案する。
そういえば確か、もうすぐ彼の誕生日だった気がする。その時何かすることで、イグニスは喜んでくれるだろうか。













「では、俺はそろそろ帰るからな。きちんと野菜も食べるように。それから、部屋の掃除も定期的にやるようにな。いつも誰かがやってくれて当たり前ではないのだし、この状態が続けば独り暮らしだって取り止めになる可能性も…」
「わかったわかった!ほら、お前も忙しいんだろ?早く帰れよ」
「…分かってるなら、良いんだが」
眉間に少し眉を寄せ軽いため息を吐きながら、イグニスが下がった眼鏡を押し上げる。その隙間から覗く蒼碧の瞳は、怒ったような困ったような、僅かに苛立ちを露にするのを堪えるようにも見えた。そういう細かいところ、付き合いの長い俺だからこそイグニスの些細な変化に気づけるんだと思う。
踵を返すイグニスの袖を、思わず掴む。帰れと言った癖に引き留めるなんて、矛盾している。けれど気付けば、無意識に掴んでいて。
「…どうした?」
イグニスが先より優しい声色で、尋ねてくる。
「…や、別に、意味は…ねぇんだけどッ…、」
と、言いながら、離そうとしない俺の手。うまく言葉が出てこない。
「ノクト…?」
イグニスの顔が意外と近い距離にあって、思わず胸がドキリとした。蒼碧の瞳が、真っ直ぐ俺を見つめてくる。そうだ、俺はいつもこの瞳が好きだった。
宝石のようにキラキラ輝いていて、光によっては蒼にも碧にも見える、不思議な色。睫毛も実は長くて、細い目元は同じように男なのに妙に色気があって。
何だかそう思うと、顔が勝手に熱くなっていた。何も言葉を発しない俺を疑問に思ったのか、イグニスが俺の前髪を上げて額に手を当てがる。
「顔が赤いし少し熱いが、熱でもあるのか?風邪でも引いて…」
「ち、ちげーよっ!!」
慌てて、その手を振りほどいた。けれども、その熱は冷めることことなく、やがて全身を支配する。
「ぁ……っれ…?」
「っ、ノクト!!?」
ぐるり!と勢い良く視界が反転した。ばたん、と倒れた身体は、すなおに言うことをきかなくて。イグニスが、必死の形相で俺の名を呼んでる。だーいじょうぶだって。そんな怖ぇ顔しなくとも、死にゃあしない、って…。
















『おなか、すいたな…』
抜け出したかった。あの窮屈な空間から。
息が詰まりそうで、嫌だった。
だから、誰にもばれないようにこっそりと、一人で城を抜け出していた。
それがだんだん癖になって、抜け出す時間の方が長くなった。
いつもは完璧だった脱走劇が、その日はたまたま調子が悪く、つまずいてしまった。
帰る道が分からなくなったのだ。理由は単純、猫を追いかけていたから。
夜も更けてきたのか、辺りは暗くなってきた。どうしよう、お腹も空いて力も出ない。
歩いていた足を止め、その場にうずくまる。
誰も助けに来ないかもしれない、そう考えたら、涙が止まらなかった。
息が苦しくてあの場から逃げたのに、自分勝手な理由でここへ来たのに。
涙が止まらなくて、急に寂しさが込み上げてきた。
『とうさん…』
膝を抱えて父のことを想う。ばれたら怒られるのだろうが、でも今は父に抱き締めてほしかった。
すると、明かりがちかちかと向こう側からやってきた。
何だろう、そう思ってじっとしていると、ライトの明かりは俺のことを照らす。
『ノクティス様…!』
そこには、従者のイグニスが居た。
『いぐにす…?』
ばれると一番口うるさい奴がやって来たが、でも予想していなくて、開いた口がふさがらない。
イグニスは俺のことをずっと探していてくれたのだろう、髪の毛はボサボサで服のあちこちが汚れていた。
何より、心細かった俺には、目の前にいる年上の付き人が全てに思えた。
『もう、大丈夫だから…泣かないで…』






















ああ、そっか……。































「…っ……、」
「気がついたか?」
いつの間に意識が落ちたんだろう。記憶が少し飛んでいて意識がはっきりしない。隣にはイグニスが居た。ぼやけていた視界がようやくクリアになって、目覚まし時計を見ると、夜中に近い時間だった。
「俺…どうして…?」
「熱があったようだ。38℃に近い体温だったのに、身体の異変に気付かなかったのか?」
「ぁー…」
そういえば夕方、学校が終わって帰ってきてからは少し身体がだるかった気がする。あんまり気にしてなかったけど。
イグニスの大きな手が、俺の額にもう一度触れる。ああ、こどもの頃、こんな風に触れられた気がする。懐かしい感触に、思わず目をほそめた。
「先ほどよりかは少し下がったようだな。今水を持ってくる」
立ち上がりそうになったイグニスの手を、再度掴んだ。
俺は上体を起こして、彼の蒼碧の瞳をじっと見つめる。
「水は後でで良い。だから、今晩側に居てくれよ…」
言ってる途中で恥ずかしくなり、顔を俯かせながら何とか最後まで言うと、イグニスは吐息に乗せてふっと笑った。
「今夜はずいぶんと甘えん坊だな、ノクト」
「わ、悪ぃかよ…」
「いや」
イグニスが俺のベッドの中にそっと入ってくる。そして腕枕をし、俺の身体を包み込むようにそっと抱き締めてくれた。
「…何だか懐かしいな」
「え…?」
イグニスが眼鏡を外し、サイドテーブルにそれを置くと、俺の背中をぽん、と優しく叩いてくれる。
「子供の頃、よくこうしていたな」
「…そう、だな…」
「いつの間にか城を抜け出す術を覚えて、その度に俺が探しに行って。時々俺もお前に付き合ったりして…。でも、夜になると不安なのか、探しに行って見つけた後そのまま今みたいに寝かしつけて、なんて、ざらだったな…」
「…恥ずかしいからそれ以上言うなっての」
「素直なお前も、たまには悪くない」
「…素直じゃなくて悪かったなッ」
耳に心地良いテノールに、目の前にはイグニスの双眸があって、更に熱が上がるのを感じた。この年になって添い寝とか、マジで恥ずかしい。でも、落ち着く。
そのままイグニスの背中に、そろそろと腕を回す。鍛えられた胸筋に顔を埋めれば、イグニスの香りがした。時間も時間だからか、少し汗の匂いに混じったイグニスの香り。
俺今すげー変態くさい。でも、幸せだ。
こもっていた熱が、少し緩和された気がした。
背中から、今度は頭を撫でてくれる大きな手に、安堵感が全身を支配していく。
そうだ、いつも、お前は俺のことを…。
「イグニス…」
「ん…?」
「ありがとな…いつも、傍に、いてくれて…」
「っ、!」
ノクト、とイグニスが俺の生江を呼ぶ。応えたいのに、応えられない。もう、眠気がヤバすぎて、意識がだんだん落ちていく感覚。身体を指いっぽんすら動かせない感触に恐怖を覚えるが、そんなこと思う必要がない。何故なら、イグニスが俺の傍に居てくれるから。
それだけで、俺は満たされた気がした。






















気づいたら傍に居た
(当たり前過ぎて、今更気づいたのだけれど)



2017/02/17


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