「おいクソガキ」 あいつは決まって俺のことをガキとかチビとか、名前で呼ばないで代名詞で呼ぶ。小さい頃はとにかくそれが嫌で嫌で仕方がなくて、お袋に何であんな男が俺の父親なんだ、って文句を言った。でもお袋は少し悲しげに眉を困らせては「そんなこと言っちゃだめよ」、と俺を諌めようとした。お袋の悲しい顔は幼いながらに見たくなくて、やっぱり仕方がないから従う振りをした。あの男の前に出ていけば、そんな虚勢一気に崩されたけど。 「…なに?」 海辺でぼーっとしていると、背後から世界一大っ嫌いな男がにやにやといけすかない笑みを浮かべて俺のことを呼んだ。あんたは息子の名前すら覚えてないのか、そう皮肉を浮かべてやりたかったが口では勝てないのはもう解っているのでそこは押し黙る。 「てめぇこそ何してやがる?子供は元気に遊び回るのが仕事だろうが。それとも何だ?俺様が居ないのが寂しくてぴーぴーべそかいてやがったのか?」 …始まった。何だってこの男はいつもいつも上から目線なんだろう。もう反応するのも億劫で、また無視を決め込む。すると男は俺の隣にどっかりと座ると、大きな手で俺の頭をむんずと掴んだ。 「おい、父親の話を無視するたァ良い度胸だな」 「いだだだだっ!」 無理矢理首を男の方へと回されて、仕様がないから男へと振り向いた。満足したように腕を組み、そして今度は乱暴に頭を掻き回す。 「そうそう、人の話を聞く時はちゃんと人の目を見ながら話せよ」 深紅の目が嬉しそうに細められて、一瞬どきりとする。無理矢理向けさせられたのにずいぶん勝手な言い草だ、とやはり心中で呟いて、ちらちらと適度に目を逸らしながら男の顔色を窺う。 「なぁ、クソガキ」 「…何だよ」 とりあえず男の呼び掛けに応えてやる。俺は何て優しいんだろう。 「俺様は、強い人間だ」 …突然何を言い出すのか。そう、強く思った。男は、俺に呼び掛けた癖に俺の方を見もしないで、言葉を続けた。 「ブリッツ界のキング、なんて今じゃ持て囃されてるがよォ、誰も俺を俺として見てくれてねぇんだよな」 意味が解らなかった。小さい俺には、その言葉の半分も理解できなくて、眉間に眉を寄せて膝をまた抱え直す。男の目は、遥か向こう、水平線をぼーっと眺めている。 「あくまでブリッツ界のスター、それだけで世間は騒ぎやがる。そこに俺個人ていう感情や人格は存在してねぇんだよな」 「…ふぅん」 やっぱり意味が解らなくて、適当に返事を返す。けれども、男の目は今まで見た中ですごく寂しくそうな目つきで、そんな風にぼやく男の横顔に、少しだけ胸が痛んだ。何でそんな顔をしてるんだ。そう思った。いつも人を小馬鹿にして、不敵で、揺るがない意志の強さを感じさせる深紅の色は、今は少し弱々しい。 何となく腹が立って、俺は立ち上がった。そうしておもいっきり、浅黒く太い右腕を蹴り上げた。 「いっづ!?ってぇなオイ、何しやがるクソガキ!!」 男が怒鳴る。けれどもそれに負けじと、きっ!と男を睨みつけた。 「ばーか!」 精一杯の虚勢だった。何だか今自分の隣に居る男は、いつも知っている見慣れた男とは掛け離れているように感じた。それに無性に腹が立って、生意気な言葉を吐いてやった。最初は男も俺を睨みつけて何かを言おうとしたのか、でも口を開きかけてすぐ閉じた。しばらく無言の攻防が始まる。けれども男はわずかに視線をさ迷わせた後、頭をがりがりと掻いてはぁ、と大きな溜息を吐いた。 「…そうか」 何に納得したのか、俺の知ったことではないが、男は一つ頷いてまた俺の頭を乱暴に掻き回した。 「俺らしくねぇ、よなァ」 また深紅の瞳に光が宿る。思わずたじ、と一歩引いた。だが逃さない、と言わんばかりに頭を抱えられ、ヘッドロックをかけられる。 「俺様は俺様だからな、俺様以外の何者でもねぇし、こんなことでいちいちくよくよしてんのも俺様らしくねぇ!なぁ、そうだろティーダ!」 「いたたたっ!痛い、離せよクソ親父!!」 「親父に向かってクソとは何だクソガキ!」 「ガキって言うなッ!」 「威勢が良いな!それでこそジェクト様のガキだ!!」 いつもの男にすっかり元に戻ってしまって、やっぱりさっきみたいにしおらしい方が良かった、と早速後悔するが、でも何だかんだで名前を呼んでもらえたことが嬉しくて、文句を言いながらも俺は親父にされるがままだった。 (…落ち着け) 水に身体を浮かせながら、控え室に聞こえてくる歓声なぞ気にすることなく、目を閉じ精神を集中させていた。今日は、俺にとって新たな一歩。あいつの息子として見られる日も、今日で終わらせてやる。 思い出すのは、俺が幼い頃に一度だけ漏らした親父の弱音。あれが、きっと最初で最後、親父が吐いた弱音で、本音だ。 今なら、少し解る。あの時親父が何であんなことを言ったのか。 苦しいよ、俺が俺として見られていない事実。あくまでブリッツ界のキング、ジェクトの息子として見られていること。俺の後ろに常に親父がいること。俺を俺として見てもらったことなんか、一度たりともないんだ。だから、そんな楔なんて、今宵断ち切ってやる。 どくん。 どくん。 鼓動が酷く響いて聞こえる。いやに冷静だった。興奮はしている。でも全神経が、研ぎ澄まされている。今日で終わりだ。 「ティーダ」 名を呼ばれた。ザナルカンドエイブスのエースとして、ブリッツ界に新たな星の誕生を見せ付けてやる。 立ち上がり、スタジアムへと向かった。自然と口角が釣り上がる。見てろよクソ親父。俺は絶対に、あんたを超える。 そうして後になって、気付くんだ。認めたくなくとも、認めざるを得ない。名を呼んでほしかった。ただ単に、認めてほしかった。 すべてを望まない。たったそれだけの、シンプルな理由。 「親父…」 10年ぶりに見た親父は、全然違う姿だった。でも、俺には解る。そこには親父が居て、俺はこの手で親父と決着をつけなきゃいけない。 ブリッツをやっていたのだって、どこかで親父と繋がっていたかったから。その繋がりを、感じていたかったから。 皮肉だよな。俺達は、素直になれなくてずっと遠回りしてきたんだってこと、スピラに来てから気付くなんてさ。 不器用な俺達の絆 2010/11/27 |