未知なる英断‐01 

「本当にいいのかい?」
「はい、短い間でしたが、お世話になりました」

結局、一週間足らずでわたしは育て屋さんから出ていくことを決意した。もともとサツキがいなければ、こうやって居候させてもらえないほどに育て屋で働きたがる人はたくさんいる。ポケモンブリーダーを目指す者ならば、一度は働いてみたい場所だろうし、そうでなくともトレーナーであればここで学べるというのは大層魅力的なことなのだ。わたしだけが抜け駆けさせてもらっているようで後ろめたい。だからといって早く出ていこうと思ったわけではない。タイミング的になんとなく、ここで一区切りついたと思ったのだ。

短い間でも、学べることはたくさんあった。手入れの仕方やエサの種類はポケモンによって異なること、彼らに合った育て方があること。実践できるかは別として、もっとポケモンに近づけたような気はする。

朝食だけは食べていきなさいという言葉に甘えて、焼きたてのトーストをかじった。バターと蜂蜜が塗られたトーストは、カリッという焦げ目の食感のあとにじゅわっと甘さが染みてきて、思わずさくさくと食べ進めてしまう。

いつもの朝の風景と違ったのは、シママがいるということだった。黙々とケチャップのかかったスクランブルエッグを咀嚼している彼の眉間にはシワが寄っていて、朝から不幸な目に出もあったのかと思ってしまう。寝違えでもしたのだろうか。

「……何だよ。人の顔じろじろ見やがって」
「えっ、ごめん!そんなに見てた?」
「顔に穴が開くかと思ったじゃねえか」

わたしの目から竜の波動が出ているかのような言い草だ。ひどい。シーザーサラダを片付けて、細かく刻まれたモモンの実が入っているヨーグルトに手を伸ばす。
見た目から判断して失礼かもしれないが、意外なことにシママは甘いもの好きのようだ。ヨーグルトはそのままでもモモンの実のおかげで美味しいけれど、彼はさらに蜂蜜をかけて食べている。

彼との距離が初対面以来縮まったかと言われると微妙なところだけれど、互いに互いがいる空気には慣れたように思う。シママはわたしが戸惑っていればフォローを入れてくれるし、面倒見がかなり良かった。琳太と九十九の面倒もまとめてみてもらえるおかげで育て屋の他の仕事に専念できたし、琳太はシママを兄のように慕うようになった。今日はシママに何をしてもらったとか、何をして遊んだだとか、楽しそうに報告してくれるのだ。九十九はシママの口調の乱暴さに怯えていたけれど、嫌ってはいないようだった。

だから昨日の夜、明日でお別れだと言うと寂しそうな表情をしていて、少し胸が痛んだ。でも、シママはトレーナーが嫌いだと言っていた。好き好んでついてくるはずがない。それも、新米トレーナーのわたしに、なんて。

「ところでシママはリサについていくか決めた?」
「は!?」
「え?」

丸いテーブルで向かい合わせになっているわたしとシママの間には、サツキが座っている。その彼が、スープを飲み干すなりそう言った。まるで今日の天気を訊くかのような、気軽でさりげない口調で。

「何でコイツに俺がついていかなくちゃなんねえんだよ!」
「だって君、僕に恩返ししたいんでしょ?僕に恩を返すと思ってついていきなよ」
「ついてきなよ!ついてきなよ!」
「うるせえ琳太は黙ってろ」

サツキに便乗した琳太へぴしゃりと言い捨てて、キッとサツキを睨むシママ。琳太がむっとして頬を膨らませているのも視界に入れていないようだ。わたしはといえば、急な展開についていけずに2人の顔を交互に見ているだけ。九十九もそうしているから、並んでテニスの試合を観戦しているようだ。わたしとお揃いのブローチと霊界の布は、サツキの方がほんの少しだけくたびれているように見えた。

シママが睨みをきかせているにもかかわらず、サツキは穏やかに微笑んだまま。ところで、わたしの意思はそこに介入させてもらえないのだろうか。連れて行くのわたしなんですけど。確かにシママはしっかり者だから、琳太と九十九の面倒を見てくれるだろう。はきはきとものを言うから、わたしがあれこれと迷う必要もなくなるだろう。それでも一番優先されるのは、シママ自身の意思だ。

「トレーナーは嫌いっつったろ」
「そう。せっかくかわいい僕のきょうだいを守るという重要なお役目を……」
「お前何言ってんだ」
「ま、考えておいてよ」

話は終わりだとばかりに立ち上がったサツキが食器を片付け始める。今日も育て屋の朝は早くて、ゆっくり朝食を摂っているひまもないのだ。朝ごはんを待っているポケモンたちが、たくさんいる。わたしもできれば今日中に次の街に着きたい。お茶を流し込んで食器を重ね、お盆に乗せて運んだ。

「はいこれ、お弁当」
「わあ……!ありがとうございます!」


キッチンにいたおばあさんに、風呂敷包みを手渡された。中身はお昼のお楽しみだ。心遣いがどうしようもないくらいに嬉しくて、涙ぐみそうになる。たった一週間足らずの短い期間で迷惑ばかりかけたというのに、おじいさんもおばあさんもとても優しかった。
また寂しくなるねえ、と言ってくれたおばあさん。その腕の中には、いつか脱走したチョロネコがいた。喉もとを人差し指で掻いて、別れを告げる。

忙しいだろうに、玄関まで見送りに来てくれたおじいさんとおばあさん、それからサツキ。ちらほらと、柵の向こうから別れを告げてくれたポケモンたちもいた。けれどその中にシママはいなくて、ちょっぴり寂しくなった。せめてきちんと「ありがとう」と「ばいばい」が言いたかった。



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