the Noah's ark‐01 

ペロペロ。モソモソ。ぼんやりと浮上した意識が、不思議な感覚をとらえる。やわらかい刺激に引きずられるようにして、意識がはっきりしてきた。

「んぅ……」

ほっぺたがくすぐったい。ぺち、と振り払うようにソレを軽く叩けば、はむ、と右手は生暖かく柔らかいものに挟まれた。所々チクチクする。

「何……?」

うっすらと目を開いて、まず視界に飛び込んで来たのは、風にさわさわとそよぐ木の葉。木漏れ日がちらちらとわたしの目に入ってきて、まぶしい。
そして、いまだに生暖かいものに挟まれている己の手。そちらを見ると、腕の中にいたはずの存在がいた。

「あ、琳太」
『ん、起きた…?』

ぱっとわたしの手から口を放し、琳太は心配そうに尋ねてきた。上体を起こして、甘噛みして起こしてくれた琳太の頭を撫でた。

「起こしてくれたんだ、ありがとう」
『ん!』
「あー!わたし、縮んでる!」

黄泉の入り口で琳太を抱えていることが急に辛くなったのは、どうやら自分の身体が縮んでいるからのようで。現に、制服の袖は指先まであり、スカートもさながらスケバンである。本物は見たことないけど。吊りスカートなのが幸いだった。ウエストで留めるタイプだったら脱げていたかもしれない。

スカートはギリギリまで紐を短く調整し、ブレザーは脱いでほとんど空っぽのショルダーバッグへ。靴がぶかぶかなのは仕方ない。うん、なんとかなりそう。

この世界に飛ばされてからあり得ないことだらけで感覚が麻痺したのか、身体が縮むことに関して、わたしは驚くほど冷静だった。

『リサ、小さい』
「り、琳太よりおっきいもん!」

このやろっ!としゃがんで頭をぐしゃぐしゃに撫でまわしたら、にこーと笑ってくすぐったそうに身を捩らせていた。ああもう可愛い。

「どこに行こうか」

ひとしきりはしゃいでから、辺りを見渡す。
わたしと琳太が今いるのは、散歩道のような舗装されていない、むき出しの地面の道路。
わたしはその道のわきにある木の根元に寝転がっていた、らしい。不本意ながら。
とじょろで、落下の衝撃を感じなかったんだけど。泉雅さんのあれは、冗談?ひどい冗談だ。死ぬかと思ったのに。

『あっち、家』
「え?」

琳太と同じ方向に首を動かすと、道の先にちらほらと屋根の群れが見えた。町でもあるのだろうか。反対側には道こそ続いているものの草原しか見当たらない。選択肢はひとつだ。

「そっちに行こう」
『ん』

歩幅が小さくなったので、琳太の歩幅にそこまで気を遣わなくてよくなった。縮んでよかったかも。気候は暑くもなく、寒くもなく。
セッカシティと違って抜けるような青空を、鳥たちが群れで羽ばたいていく。あれもポケモンなんだろうな。

「いい天気だね」
『ん…まぶしい』
「そっか、琳太はあの洞窟で暮らしてたんだよね。きついならバッグに入る?」
『ん、そうだけど、だいじょぶ。リサと、歩きたい』

洞窟からいきなり外へ飛び出した時点で相当眩しかったろうに。それでも、一緒に歩きたいと言ってくれることがたまらなく嬉しい。
口数は決して多くはないけれど、さらりと欲しい言葉をくれる琳太に、自然と口が弧を描く。

「うん。一緒に、歩いていこう。わたしも琳太と歩きたい」

歩きたいのは、この道だけじゃない。どれほど長い道のりになるかは、わからないけれど。できる限り、きみの傍に。
それを知ってか知らずか、琳太はまた『ん!』と返事して、にこりと笑ったのだった。


一歩また一歩と進んでいくにつれて、屋根の群れは近づいてくる。
ほどなくしてたどり着いたのは、町の入り口。

「カノコタウン…?」

泉雅さんが呟いていた地名と同じだ。ここが、わたしの家がある町?

町の中を歩いてまず目に入ったのは白く大きな建物。看板には“アララギ研究所”の文字と、灰色のふさふさした毛をもつネズミのようなポケモンが描かれていた。
何の研究をしているのだろう。だからといって入ってみるというのも気が引けるので、さっさと先に進むことにした。とりあえず話しかけられそうな人を探そう。

失礼だが、見たところもともとそれほど栄えている町でもなさげなので、なかなか人の姿は見当たらない。要するに田舎。
たまにポケモンが空を飛んでいたりはするけれど、彼らに尋ねてもわたしの家なんか知らないだろう。声が届くとも限らないし、野生のポケモンは襲ってくることもあるって、泰奈に教わったばかりだ。

わたしが前いた町とは大違いで自然が豊かで、時の流れでさえここではゆったりと流れているように感じる。

「んーっ、空気がおいしい!」
『味、するの?』
「……」
『リサ?』

どうやら“空気がおいしい”のニュアンスが伝わらないみたいで、琳太はしきりに口をパクパクさせたり、空気を舐める仕草をしたり。でも何もわからなかったみたいで、見上げて首をかしげられた。




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