(5)/1.
『サソリ、誕生日おめでとう。』
「…………は?」
高1の秋。
突然人ん家に上がり込み、勝手に人ん家の台所で身支度を始める幼馴染み、name。
……オレは瞬時に、あぁこれは夢だなと思った。
『何呆けてるのよ、あんた自分の誕生日も忘れちゃったの?まったく……相変わらず成績は優秀なくせに、そういう習慣には乏しいのね。』
「うるせぇ。つーかどうかしてんのはテメーだ。何だよその紙袋、何だよその調理器具。」
『だってサソリの家に電動ミキサーとか秤とか、ケーキの型なんて置いてないでしょ?』
「ケーキだぁ?」
オレが自分の耳を疑うのも当然だ。
何せ今まで、nameがオレに何かをくれた試しすらないのだから。
というか、そもそもバレンタインだのハロウィンだのクリスマスだの。
一通り女がはしゃぐような行事で、こいつは誰かにプレゼントだとか、そういう小洒落たものをやったことは一度もない。
ましてや手間のかかるケーキ作りなどは論外である。
『何よ、その人を疑るような目……大丈夫よ、素直にあんたの誕生日祝おうってだけだから。』
「その素直さが逆に怖ぇよ。どういう風の吹き回しだ?」
『あんたは居間で適当にやっててちょうだい、生地から作るから時間かかるし。まぁでも一回家で練習したときは成功したから安心して。』
「……は?何だよ、作ったんならそれ持ってくりゃ済む話じゃねぇか。何わざわざオレん家で作り直してんだよ。」
『駄目よそれじゃあ。』
そう否定すれば、奴は邪魔な後ろ髪を束ねながら振り返る。
ポニーテールが反動で大きく揺れた。
『誕生日って、その日に何かをしてあげなきゃ意味ないでしょ?』
「…………。」
……まぁ何にせよいい機会だ。おそらくもう二度と無い。
思う存分nameの奴を観察しよう。
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ケーキ作りとやらは、わりと順調だった。
卵を溶くことに始まり、バターやらバニラエッセンスなるものを投入。
薄力粉を振るい入れ、ゴムベラで切るように混ぜ型に流し小一時間。
その間に果物を切ったり、生クリームを混ぜ込んだり。
今はつかの間の休息に、居間のソファでくつろいでいた。
「しっかし菓子作りってのは無駄に時間ばっか掛かんな。」
『はじめにそう言ったでしょ?そんな見てたって単調な作業だし、つまんないわよ。』
テレビに視線を向けたまま、前屈みに頬杖をつきながら答えるname。
端から見ればどうってことのない光景だが、オレからしてみれば充分逸脱した空間である。
(……そういやnameがウチに来んのは、あの日以来だな………。)
―『ねぇ、サソリっ……やくそくして………』―
雨の日の、あの光景がよみがえる。
―『あんたはアタシの恋にはならないって……誓って………!』―
オレはまるで煙草の煙でも吐き出すように、ゆっくりと長い溜め息をついた。
『何その溜め息。人がせっかく祝ってあげようってときに、自分から幸せ逃がしてどうするのよ。』
「いや……テメーがウチに来んのは珍しいと思ってな。」
『……あぁ、そうね。』
自然とその話題を回避するように、nameはチャンネルを変えた。
nameの好きな昼ドラの時間を少しまわり、午後2時半。
手練れた刑事が、犯人の殺人動機を問いただしている。
「何でいきなり、こんなことする気になった?」
『……別に。いいでしょ、悪いことしてるわけじゃないんだし。』
「そういう問題じゃねぇよ。」
何せnameにとっては、苦い思い出の残る場所に来てまでの行為。理由がないほうがおかしかった。
だが奴は、チラリとオレを横目に見るだけにとどまる。
『……何よ、誕生日くらい素直に祝われたら?』
はぐらかすようにそう言えば、ソファの沈みが一つなくなる。
後を追うようにして台所に現れたオレに何を警戒することもなく、冷ました生地に着々と石工を開始するname。
―――そんな奴の背後から、オレはカウンターのトップに両手を置いた。
前をカウンターに、背後をオレに挟まれたnameは、視線はケーキに向けたまま窮屈そうに身じろく。
『ちょっとサソリ、邪魔。手元が狂う。』
「うるせぇ、勝手させとけ。」
即答で返し少しの優越感に浸る。
nameのうなじから、女の香りがした。
『……サソリさ。』
「…あ?」
どうせ今度は「どけろ、」とか言って、強引に引き剥がされるんだろうとオレが勘ぐっていれば。
『これ作り終わったらさ……その………
……………………写真、撮ろ。』
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