41/1.
『……サ、ソリ………。』
……聞いてしまった。
すぐそこで、看護婦さんが話しているのを。
―「そういえば、あの402号室の男の子?もうあんまり長くないかもって、先生が。」―
―「あぁ、あの髪の赤い子……手術したとき、酷かったみたいよ。不完全断線の影響で、心臓部の傷口から菌が繁殖してたりとか。」―
―「可哀想……なんだかすごく頭も良くて、将来有望だったって話よ。」―
―「顔もね。俳優ばりにカッコいいのに、世の中って理不尽よねぇホント……」―
病室内で見る幼馴染みは、何だか縮んでしまったみたいに小さく見えた。
その視線だけ、アタシと……アタシが手にする、数学のノートに注がれている。
「……デイダラの奴に、言われたのか?」
『…………。』
「あいつもとんだお節介だな……どうせお前をオレに会わせるためとか言ったんだろ。余計な気ぃ回しやがって……、」
『……サソリ、死なないよね?』
単刀直入に、アタシはそう口を滑らせてしまった。
もっと聞きたいことがたくさんあったのに……アタシの頭は、さっきの会話でいっぱいで。
更には病室の空気が、その腕から伸びる点滴が、医療機器が。嫌がおうにもそれを意識させる。
『さっき、聞こえたの……サソリがもう長くないって……で、でも!!何かの聞き間違いだよね!?きっとまだ何か別の意味が、』
「オレが死のうが死ぬまいが。」
焦るアタシにそう被せてくると。
その横たわる見た目に反して唯一、病人らしかぬ口調でものを言う。
「テメーが気を持つべきは、もうオレじゃねぇだろ。」
『!!』
「幼馴染みは、もうただの廃れた病持ちだ。だから早く彼氏んとこ戻れ。」
『……!勝手なことっ……言わないで!!』
そう怒鳴るアタシは、自分が手にしているものをサソリに向かって突き出す。
しかし依然アタシは扉の前で、それ以上サソリに近づけない。
……その弱った体を間近で認めてしまうのが、たまらなく恐ろしいのだ。
『これ、サソリのでしょ……アタシちゃんと見たんだからね中身。』
「セクハラ。」
『どうとでも言ってちょうだい。アタシだってもう……あんたの気持ちから、逃げたくないから。』
そう強い口調で言ってのけるが、きっとサソリも気づいてる。
―――アタシのノートをめくる手は……必要以上に、震えていた。
―「だからそこで導き出した答えをxに代入すりゃいい話で、」―
アタシの苦手な、数学のノート。
―「暗算すら間違えるなんざどういう了見だ。いっそ小学校からやり直せド阿呆。」―
いっつもテスト前になれば必ず教わっていた、サソリの得意分野。
『………っ…!!』
バッ!!
やっとの思いでそのページを開け、再びサソリに見えるように構えてみせる。
『……っ…誰よ、これ……。』
「…………。」
そこに書かれているのは、いつかにも見た鮮やかな計算式。
だが更にその文字の上に重なるように細いタッチで描かれているのは、アタシが毎日鏡の前で見る女の顔。
―――そう、アタシの……似顔絵だった。
だがもちろん、それだけではない。
アタシがサソリに対して“誰”と問いただしたように。それはアタシであって、アタシではないのだ。
―『綺麗だね。何だかテスト頑張れそうな気分。』―
―『大丈夫だよ。サソリのたくさんのいいところ、アタシはよく知ってるから。』―
―『あんたもいくら口では凄んでみせたって、幼馴染みには何でもお見通しなんですからね!』―
―『……うん。寒い中付き合ってくれてありがとね。』―
―――アタシが知らない、アタシの表情。それらのほとんどが。
……眩しいくらいの、笑顔だった。
『……馬鹿…っ…誰よこれ…!こんな綺麗な人が、アタシなわけないでしょ…、あんた頭おかしいんじゃないの……!?』
驚きという言葉で言い尽くせるものじゃなかった。
ただでさえアタシの顔など、サソリが描いていた覚えはないうえに。
『いつアタシが、こんな綺麗な顔で笑ったのよ……』
それが今、この小さなキャンパスに広げられただけでも数体。
ページをめくれば更に数十体。
『いつものあんたなら、頬っぺたに落書きして、鼻毛でも描いて…そうやってアタシを馬鹿にするんでしょ……』
そしてその絵はある日を境に、忽然として姿を現していたのだ。
―――最初にその似顔絵が出現したのは、日付にして7月4日。
―「お前の………女のさがだ。」―
―『な、ちょっと何よそれ!?まるでアタシがふしだらな女みたいじゃない!』―
アタシがサソリと口を利かなくなった、その次の日。
―『…………っ知らない知らない知らない……!!』―
―「…………。」―
―『サソリなんかっ……大っ嫌い!!!』―
アタシはこのときになって、ようやく思い知ったのだ。
あの視姦のように、アタシを目で追うだけの行為の意味を。
―「……あぁ、飲んでやるよ。針の千本でも二千本でも。」―
何よりサソリがいままで大事にしていた、その右の“小指”の意味も。
―「オレは死ぬまでこのリングを外さねぇ……。」―
『……っ!!もう、サソリ……ッ』
あんたって、本当に……
……馬鹿なんだからっ………。
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