40.
―――幼い頃から、心臓が弱かった。
無理な運動をすれば動悸が激しくなり、一歩外に出れば必ず救急車が迎えに来る。
そんな日々に終止符を打つべく、オレは小学校に上がる頃、ペースメーカーを入れた。
作業効率は格段に上がり、普段できなかったスポーツやら、好きだった創作活動が何の気兼ねも無しにできるようになった。
―――…だが規則的な鼓動に比例する、規則的な毎日。
そんな日々に躍動を与えたのが、nameだった。
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―――パチリ、
そこでオレは目が覚めた。
時計はまだ夕方5時。
食事を受け付けないオレの腕には、栄養剤の点滴が。
「……ったく、男が床に伏してるなんざ、カッコ悪ぃ…。」
ピッ…ピッ…ピッ……
規則的になり続ける心拍音が正直うざい。
オレは再び、色素の薄い天井へと視線を移した。
(また見てたな、あの夢……。)
オレが視界をまた少しずらすと。
据え置きのテーブル上に、とっくの昔にやり終えた宿題が積み重ねられている。
漢字や語句の意味調べ、英文法の暗記、テーマ別ポスターの作成、読書感想文………
―――数学の、プリント。
―『もー!これ何枚あるのよ!いくら夏休みが一ヶ月あるからって限度ってものがあるでしょ!?他の宿題だってあるのに!!』―
―「テメーは計画ってモンを知らねぇのか?何で今になって宿題ラッシュになってんだよ。」―
―『あんたが海の家のバイトだって言って、夏休みすぐアタシをつれ回したりするからでしょ!?しかも自分は初日で宿題終わらせてるって、あんた怪物か!』―
―「まぁ最悪オレが終わらせてやってもいいが……ククッ、筆跡の違いですぐバレるわな。夏休み明け早々、廊下に立たされるテメーを拝むのも悪かねぇ。」―
―『コノヤロウ〜!!』―
―――その懐かしい記憶に、オレは思わず頬が緩む。
中学ん時だってそう……何だかんだ言ってあいつは、オレが教えてやんなきゃちっとも宿題なんか手につかなかった。
昔からあいつはオレがいなきゃ、何もできやしないんだ。
―『今度、付き合うことにしたの。』―
―――…ピタリ、
だがオレの思考は、そこで停止した。
―「いったん図にすりゃわかりやすいだろ。ここをそうだな……仮におまえの足の長さとして、このぶんが座高。」―
―『何これ、めちゃくちゃアタシ胴長短足設定なんですけど!』―
―「ほらな、テメー一人でわかっただろ?実物のテメーもいるから尚更納得だ。」―
―『いや、明らかにこの数字はないから!わかりやすかったけど!』―
あぁ、そうか。
あいつにゃあもう、それすらも必要ないかもな。
―「何モタモタしてんだ。帰んぞ。」―
―『……あ、うん………。』―
nameに彼氏がいることを許すという一つの妥協は。
これまでオレがnameにしてきた行為すべてを、見ず知らずの男に明け渡すということになるのだ。
放課後のテスト勉強も、休み明けの登下校も、今奴の隣にいるのだって……
「そんなことにも気づかねぇとは……馬鹿かオレは……。」
―「……あぁ、飲んでやるよ。針の千本でも二千本でも。」―
確かにオレたちは恋人同士にはならねぇ。
だが“nameを手放す”という妥協なんて、オレにはこれっぽっちも浮かばなかった。
ピッ…ピッ…ピッ…
何故なら、あのヘドが出るほど単調で、規則的だった頃に戻りたくない自分がいる。
そうしてオレの脳を支配するのは、さっきまで見ていた夢の光景。
元々記憶に刷り込まれていたそれは、最近になってより鮮明に浮かぶのだ。
―『サソリくんだよね?学校でよく見かけるよ、その赤い髪。目立つもんね。』―
―「オレはテメーみたいな幸薄そうな女の顔、チラリとも見たことないけどな。」―
―『!ちょっと、そんな言い方ないでしょ!?初対面の子に何て失礼なの!?』―
―「あんまりオレに関わるな。そういうの、うざい。」―
―『何スカしたこと言ってるのよ!あのねぇ、あんたがそうやってうざがろうと何しようと、
アタシはもう、あんたの家族なんだからね!!』―
―――それが、nameがオレに最初にもたらした躍動だった。
―「……普通逆だろ、馬鹿。オレがテメーの家族になるならまだしも、テメーがオレの家族になれるわけねぇだろ。テメー馬鹿なのか?」―
―『…な、何よそれ!難しいこと言わないでよ、わかんないじゃない!』―
―「はいお前バカ決定。」―
ただでさえ“家族”なんて、オレからしたら無縁なものが。
そのアホみたいな言葉のせいで、みるみる形を変えていく。
「家族=オレを一人にさせるもの」
―『……サソリくん、さっきはごめん……仲直りに宿題、教えて。』―
「家族=救いようのない馬鹿一名」
―『ちょっとサソリ!洗い物やっといてって言ったじゃない!』―
「家族=口うるさい幼馴染み」
―『まだ来ないね、デイダラたち……ちなみにサソリは何したい?アタシはあれ、ボーリング。』―
「口うるさい幼馴染み…………
……=、好き」
―『サソリー!おばさんたちから贈り物届いてるよ!すごい、西洋の銀食器だって!』―
愛しい、好きだ、
可愛い、欲しい………
―『何であんたと海の家のバイトなんか……あ、見てサソリ!海、綺麗!』―
好きだ好きだ好きだ……好きなんだ…
―『サソリと映画なんて新鮮。しかも今話題のラブストーリー……あ、始まるよサソリ。』―
もう何回、胸の内で告白しただろう。
もう何回、自分に嘘を塗りたくってきただろう。
―『ねぇ、サソリっ……やくそくして………』―
あの涙がこぼれる瞼にキスをして。
もう二度とその目から溢れ出ることのないよう、一生ぶんの涙を根こそぎ吸い上げてやれたなら。
―『サソリ…………今のアタシは、忘れて……。』―
背中じゃなく、その体を正面から受け止めて。
夜通し涙の訳を聞いてやれたら、どれほどnameの心を癒せただろう。
「なのに今じゃ、好きな女の幸せも……願えねぇ……。」
―「オレとお前が恋人にならないってことは、誰もnameの恋人にはなれないってことだ。」―
そう、オレがそうやって一人でいる限り。お前が女の幸せを得ることはないんだろう。
―「君の余命は……もって後半年になるかもしれない。」―
…………まぁ。
死んで当然ってやつかもな、オレは。
―――ガチャリ、
ノックも何もなかった。
大体の予測がついたオレは、さも平然を装い罵倒を始める。
「遅ぇぞデイダラ、オレはもうとっくに麻酔切れて暇してたんだ。すぐとってこいっつったの、聞こえなかったのかテメーは。どこで道草くってやがっ………」
バタン…
訪問者が後ろ手で扉を閉める。
体は正面に向けたまま、ゆっくりとその顔を持ち上げる。
(……あの粘土ヤロー、人が頼んだおつかい放棄しやがって…。)
……そこには、オレの数学のノート片手に立ち尽くすnameがいた。
終着に向かう(デイダラの奴……次会ったら殺す。)
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