28.
『はいどうぞ。誰もいないから遠慮しないで。』
「……お邪魔、します…。」
薄暗い玄関に、遠慮がちに足を踏み入れるサスケくん。
『すぐクーラーつけるから、適当に座って。あ、カルピスでいい?』
「!いや、そんないいって、」
『何言ってるの、いっつもサスケくんに気を遣わせてるのはアタシなんだから。こういうときくらいお世話させて?』
荷物をリビングに投げ出せば、アタシは早々にダイニングを駆け回る。
そんなアタシの声がけで、彼は控えめにソファの端に腰かけた。
『にしても本当に蒸し暑いわね、これだから夏は……サスケくんも、合宿中は体壊さないようにね。』
「あぁ……」
『夏バテだからって朝昼晩はちゃんと食べること、……まぁその点は顧問の先生もいるし、大丈夫か。あと熱中症には気をつけて。はいカルピス。』
水で割ったカルピスを差し出せば、サスケくんがその手を伸ばす。
カラン、と氷のぶつかる音がした。
『うーん、まだ3時か……今日は終業式だけでしょ?サスケくん。』
「あぁ……まぁそのあと部活にも顔出して、結局走らされたけど。」
『え、そうなの?』
「体力作りは基本だから。今日は試合こそなかったけど。」
『じゃあ汗かいたでしょ?まだ時間あるからシャワー浴びなよ。』
「……!?え……」
アタシが軽い気持ちで提案すれば、サスケくんは戸惑ったようだった。
「いや、さすがにそこまでは……」
『だからそんな気ぃ遣わなくていいってば。アタシの家だし、好きに使ってくれていいよ。』
「そういうわけじゃなくて、その……、」
『あ、着替えのことなら大丈夫。いくらでも家にストックがあるから。じゃ、はい。これタオルと……、』
そう言って半強制的に彼を脱衣所に押し込めば、抵抗される前に扉を閉めた。
ちょっと強引すぎたかもしれないけど、こうでもしないとサスケくん、絶対人の家で厄介になろうとしないもの。
次にアタシは、サスケくん用の着替えを取りに二階へ上がる。
そうしてあるタンスから、適当なものをグイッと引っ張り出した。
『……あんまりサイズ変わんないもんね、サソリと。』
アタシが目の前に広げられた衣類を見れば、またモヤモヤし始める感情。
奴とは中学まで一緒に暮らしていたし、高校になった今でもたまに、アタシの家を我が物顔で徘徊したりする。
そのため予備の着替えなどは、未だにここに放置されているのだ。
『……いけないいけない。あいつのことなんか思い出したってろくなことないのに。』
気を取り直してそれらをたたみ、アタシが再び脱衣所を開ける。
そこには既にシャワーの音と、ぼやけたガラス越しに映る人影が。
『サスケくん、着替えここに置いとくからね!』
「……!あ、あぁ…、」
お風呂場はよく声が響くため、一瞬誰の声か疑ってしまった。
そうして再びリビングに戻れば、アタシも自分の制服姿に嫌気がさす。
『……うん。今のうちに着替えちゃおっと。』
---------------
ガチャリ、
アタシが目的もなくチャンネルを変えていれば、脱衣所から姿を現したサスケくん。
イケメンは何着ても似合うって、こういうことを言うんだろうな。
『よかった、サイズは問題ないみたいで。』
「……姉さんも着替えたんだな。」
『うん、何だかんだで汗かいたからね。運動したサスケくんほどじゃないけど。』
「はじめて見る、姉さんの私服……。」
『……ごめんね、はじめての私服がこんな適当な服で。』
そうだ、思えば休日会うときは、部活帰りのサスケくんに合わせて制服を着ていたから。
ただの白Tシャツに短パン……こういうところでずぼらな部分が出てしまうとは、何だかすごく申し訳ない。
『せめて最初くらいデートみたいに気合いの入った私服が良かったよね。ごめん、ガッカリだね。』
「いや別に、むしろこっちの方がヤバいし、」
『ん、何か言った?』
「……いや、こっちの話……。」
『そ?ならいいけど。それより何しよっか、招いておいて何だけど。何にもない家だからさぁ、ゲームは?』
「あー……いや、いい。」
『うーん、じゃあねえ……あ、アタシの部屋行ってみる?何か面白いのあるかもよ。』
「え……、」
『待ってね、何かお菓子も持ってくから。』
そう言って戸棚からポテチの袋やらを引っ付かみ、リビングにいる彼を催促する。
サスケくんは少し躊躇うようにしてから、アタシの後をついて二階へと上がった。
---------------
扉を開けて中に通せば、クッションに彼を座らせる。
そうして居心地悪そうなサスケくんの隣に、アタシもポフンと座り込んだ。
『だからぁ、普通にしてくれていいって。』
「……いや…ごめん、何か落ち着かなくて……。」
『緊張する?はじめてだもんね、女の子の……とは言っても、そんな欠片も女の子らしくないアタシの部屋だけど。』
そうして改めて部屋をぐるりと見渡されれば、アタシも今更ながら後悔。
へ、変なものとかなかったよね?
『……あ、そうだ!小さい頃撮ったアルバムあるよ!サスケくんも写ってるの、ちょっと待ってね!確かこの辺に……』
そう言ってベッドによじ登れば、不格好に棚を漁る。
何かもう開き直った。自分家で気を遣おうなんて、やっぱりアタシには無理がある。
『あったぁ…ほら見てサスケくん!』
「…………。」
アタシがそれをベッドの上に広げて手招けば、サスケくんものそりと腰をあげてベッドの縁に座り込む。
『うちの母さんに撮って貰ったのばっかりでアングルめちゃくちゃだけどさ。うわっ、見て!サスケくんちっちゃあい、可愛い!』
「…………。」
『もう何かこの頃はサスケくんとのツーショットばっかりだね。あ、これ覚えてる?幼稚園の遠足のとき一緒に梯子渡ったの。さほど高さはなかったけどさ、サスケくんアタシの手離さなかったよね。怖かったんだよね、きっとまだこの頃は。』
「…………。」
『あーぁ、アタシもサスケくんみたいな弟が欲しかったよ。あとイタチ兄さんみたいなお兄ちゃんから勉強教えて貰って……あと双子の兄弟なんてのもいいよね!いっつも喧嘩ばっかりしそうだけど………』
と、アタシはそこで言葉をなくす。
何故か双子の話をしたときに、再び赤髪の男の顔がちらついたから。
(……何であんたが出てくんのよ、こんなときにまで………。)
今こうしてサスケくんと二人っきりの空間にいるときでさえ。
くどいようだが、幼馴染みのあの視線がいちいち蘇って仕方がない。
「………姉さん……、」
『……え…あぁごめんね。あっ、これはよく覚えてるよ!お遊戯会でサスケくん王子様役だったの!カッコよかったね、お姫様役の女の子もすごく乗り気だったし。アタシはしがない町娘だったけど。』
「…………。」
『アタシが一足先に卒園したときも、寂しがってたのはアタシのほうで、それをサスケくんが宥めてくれたっけ。ほんと笑っちゃうよね、アタシの方が年上のくせに。』
「…………。」
『今もサスケくん、しっかり者だからアタシの方が置いていかれそう……身長は追い抜かれちゃったけど、これからはもっとアタシがしっかりしなきゃね、サスケくんに負けないくらい、』
ばさっ、ガシッ、どさっ
…………へ……?
一瞬だった。その手がアルバムを払って、アタシの肩を掴んで、押し倒されて。
アタシの上で、彼は眉を寄せていた。
「……怖くなんて、なかった。」
『…………へ…、』
「ただ姉さんが梯子から落ちないように、守ってやりたかった。例え演技でもお姫様なんかより、町娘を助けてやりたかった。」
……今あるこの状況がよくわからない。
彼に問いただしたいことは山ほどあった。
何でアルバムを払いのけたの?
何でアタシをベッドに押し倒したの?
何でその目は―――また赤い光を宿しているの……?
「前々から言いたかった……姉さん、オレは姉さんの弟になりたいんじゃない。」
どうやらこの行動は、不手際なものではないらしい。
そう言えば、彼は戸惑うアタシを下にしたまま、肩を掴む手に力を込めた。
「オレはいつだって、姉さんにとっての“雄”でいようとしてたんだ。」
狼、侵入その言葉通り、彼が今本当に雄になろうとしているなら。
この状況は、至極マズイのではないでしょうか?
prev | next