25.
生憎アタシは、折り畳み傘を携帯するような乙女ではない。
昇降口でしばらく待ってはみたが、雨は止む気配などなし。
仕方なく教室に引き返そう、そう思ったときだった。
―――ビクリ。背後からのまとわりつくような視線。
最近の悩みの種でもあるそれを直感して振り向けば、やはり。
『…………。』
「…………。」
相変わらずの無表情で、アタシをじっと見ているだけのサソリ。
その手にはしっかりと傘を携えている。
耐えられずいつものように視線を外せば、驚いた。
「何モタモタしてんだ。帰んぞ。」
『……あ、うん………。』
あまりにも自然な声がけに、思わず承諾してしまった……いや何してるんだアタシ。
しかし今まで頑なに口を閉ざしていたサソリが、突然会話を持ちかけてこようとは思わなかった。
スッ……
そうしてアタシを促すように、ゆっくりとした一歩を踏み出すサソリ。
今さら断れないアタシは、この日意図せず奴と傘の下を共有することとなった。
---------------
ザアアアア……
傘に雨音が加われば、いよいよ今あるこの状況に信憑性が増す。
(アタシ今、サソリと歩いてる……。)
奴の肩に自分の肩が触れるたび、妙に違和感。
いつの間にか、サソリと共にいないことが“普通”に、サソリとこうして肩を並べることが“非日常”になっていた。
でも、歩みを重ねるにつれ、頭よりも体のほうが覚えている。
(……あぁ、こんなに居心地がいいんだっけ。サソリの隣は………。)
サスケくんには申し訳ないが、彼といるときには得られない安心感が、そこにはあった。
―――やっぱり、アタシたちは変わってないんだ。
あんなに激しい口喧嘩だって、こんなにも早く無かったことにできる。
やっぱりサソリだけは、アタシから離れない、アタシに一切気を遣わせない、そんな特別な存在でいてくれる。
その安心感からか、思わずその肩に首を預けようとした、そのとき。
「サソリ…先輩……。」
『!!』
声のした方を振り返れば、どこか可愛らしい女の子がアタシたちを見据えていた。
いや……正しくはサソリを、か。
「……誰だ。」
「あ、わ、私!1年A組の林野っていいます!その、せ、先輩のことはいつも見てて、その、」
一人わたわたと焦る彼女には悪いが、その女の子特有の仕草、もどかしさにアタシは思わず笑みがこぼれる。
「……あの、それで貴女は…せ、先輩の彼女さんでしたか………?」
『…………へ?』
突然自分に話が飛んでくるとは思わず、すっとんきょうな声が出る。
しかし、その話題を頭で理解すれば慌てて否定した。
『あ!ち、違うの!ごめんね紛らわしいよね!アタシとサソリはただの幼馴染みで、けしてそういうんじゃないの!』
いくら女の子といえど、アタシたちを“恋人”だなんて言う相手にサソリは容赦ないの、アタシはよく知ってる。
「そ、そうなんですか……?」
『そ、そうそう!』
「じゃあ…………っ先輩、わ、私と…付き合っていただけませんか!?」
『ッ!』
「サソリ先輩からしたら、何だこのへっぽこ女としか言いようがないかもしれないですけど、わ、私……その、せ、先輩のこと、もっと知りたいんです。先輩のこと知って、先輩が気に入らないような自分は真剣に変わっていきたい……だから………。」
……あぁ、何て誠実なセリフだろう。
アタシの口からは裂けても言えないような言葉が紡がれるたび、その子が目に良く、愛しく感じられた。
正直、毒舌で不器用なサソリともうまくやっていけるんじゃないかと思う。
そうして期待するような眼差しをしていれば……横のアタシを一瞥するように見てきたサソリ。
するとその子にはっきりと伝えた。
「オレはテメーにどう思われようが知ったこっちゃねぇ。」
『!!』
「オレの気に入らねぇ部分は変えていく、だったか?馬鹿が。そんなにオレの理想像になりてぇなら、オレに言われて変わるより、まずはテメーで変わろうとしやがれ。」
―――ズキン…、
その痛辣な言葉は何故かその子より、アタシの心に深く突き刺さった。
―「姉さん……オレはあんたをを好きになりたくはない。」―
「で、でもそんな、」
「一回言ったんじゃわからねぇのか?単純に“失せろ”ってことだ、このブス。」
ズガンッ、
その大きな瞳からぼろりとこぼれれば、その子は耐えかねたようにアタシたちとは反対方向に走り去ってしまった。
「ったく、悲劇のヒロイン気取りが……おい、行くぞ。」
……どろり…、
アタシの心が、鈍く濁った。
再び憤り始める過去の感情。
(あぁ、サソリもあのときのサスケくんと同じ……。)
その小さな胸に、どれほどの想いを秘めていようと。
サソリは自分の都合で、あっさりと他人を切り捨てる。
―『……好きよ、サスケくん…好き………。』―
―「…………じゃあな。」―
そう、アタシもいつか………
どんっ、
「ッname、」
……嫌だ……怖い、怖い…っ、
『…嫌よサソリ……いや、いや、イヤ………』
そううわ言のように呟き頭を振るアタシは、まるで壊れた機械人形のよう。
そうしてついにはサソリを突き飛ばすように傘の下から出ると、雨の中振り返らずに走り出した。
―――じゃアな じゃあナ じャアナ………
いつかの言葉が、アタシの頭を何度も反響する。
まるで凶悪な犯罪者にでも追いかけられているかのように、心臓がキュウウと締め付けられる。
―「これで姉さんとも、お別れだと思って。」―
『……聞きたくない…それ以上は、聞きたくなんて、ない……!!』
……そう。このとき、目に写るものすべてに蓋をしたんだ。
―――あのとき一瞬見えた、幼馴染みのひどく傷ついた顔も。
―――背後で傘を手放した幼馴染みが、アタシと一緒に雨に濡れていたことも。
アタシはそれらを、随分長い間忘れていた。
砂のお城、崩壊今まで築き上げてきた関係が、あまりにもあっけなく終わりを迎えた。
prev | next