17/5.
オレの実家はあいつの家から離れている。
普段はもぬけの殻だが、生活必需品以外のすべてのものがここに置き去りにされているのだ。
「何かあったら来い、か……ろくに招いた試しもねぇのにな。」
古い教材の山を抱えながら、オレは降り始めた窓の世界をぼんやり見た。
今までは人目のある学校や、nameの両親がいつ帰ってくるとも知れない奴の家で生活してきたから何もないようなもので。
いざ二人っきりという状況に陥ったとき、オレに普段通り奴に接するような自信はない。
―――そう、オレはどうやら奴の家で寝食を共にする中で、必要以上の感情が芽生えちまったらしい。
「……早いとこどうにかしねぇとな、この中途半端な関係も。」
ピンポーン、
不意に聞こえたチャイムの音。
ほとんど不在の家に用のある奴なんかいない。唯一心当たりがあるとすれば………
「……あいつか………?」
自分から言い出しておいて何だが、意外だった。
奴の家からオレの実家までは、歩いて40分以上はかかる。
いくらあいつでも雨の中、そんな面倒な距離を隔てて来るとは思わなかった。
と、特にオレはそれ以上のことは考えずに、階段を単調なテンポで降りていく。
―――何故オレに気を遣わない奴が堂々と入ってこないのか。
―――何故チャイムを鳴らしたあと声のひとつも出さないのか。
それらの違和感に気がつき思考する前に、オレはその理由をすぐに知ることとなる。
ガチャ、
「……!」
オレが玄関を開けてみれば驚いた。
訪ねてきたのはやはりnameに相違ないが、全身雨でぐしょ濡れだ……いや、それだけじゃない。
……ボタリ、ボタリと……奴の瞳から顎にかけて、滞りなく流れ出るもの。
それは確かに、涙だった。
「…………name……?」
オレが奴の名を呼べどそれに答えないかわりに、奴はぶわりと一層涙のかさを増した。
……正直驚いている。
あの気の強いnameが、人前でこんな無防備に泣いているという事実に。
『ねぇ、サソリっ……やくそくして………』
走ってきたのか、よく見れば肩も激しく上下していた。
そんなことにも気づかないほど、オレはその涙に見入っていたのだ。
『あんたはアタシの恋にはならないって……誓って………!』
そうして息も絶え絶えに放たれた言葉によって、オレは今あるこの現状を理解する。
(…………あぁ、こいつはフラれたのか……。)
そう理解したと同時に、絶望した……だが。
オレが怒り、傷つき、嫉妬に狂う時間すら、天は与えてなどくれない。
奴はおもむろに小指を差し出してきた。
その普段からは想像もつかない突発的な行為が、オレのすべてを突き動かす。
―――そんな幼稚な発想にすがり付くほど、nameの奴が傷ついている。
それだけで充分だった。オレがほだされるこじつけは。
『おねがい………』
最後にそうかすれた声が響けば……オレはゆっくりと、奴の小指を絡めとった。
その結ばれた接点が、nameの小指がすっかり冷えきっているのに、やけに熱を持った気がした。
「……あぁ、飲んでやるよ。針の千本でも二千本でも。」
終わる恋、ふたつ約束を破る前に、オレはそれらを飲み干した。
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