催花雨



※旧ボーダーについて捏造マシマシ タリ小話の「空然」というお話の後日談
ハッピーエンドver



 携帯の目覚ましアプリの音が聞こえる。
 その音につられてうっすら目を開けた。パッと目に入ったのはベッドサイドに置いてある小棚に、基地特有の白い壁。音の発信源である携帯は小棚の上で鳴っている。

 居住地区にある自室の壁は、基地の白い壁のままだと味気ないと壁紙を張っているからここは違うーーあぁ、昨日は基地内にあてがわれた居住地区にある部屋兼自宅まで帰ることさえ面倒臭くて、執務室の隣の仮眠室で寝たんだっけ。一晩自分の体温で温まったシーツと素肌が触れて、その心地よさにまた瞼が下りてくる。今日は午前に仕事はないし、もう少し寝ていてもいいだろうが二度寝から起きられる自信もない。
 キリはそう思いながら携帯に手を伸ばそうとしてーー気付く。手が、動かない。というより、素肌がシーツに触れる?

 すっと意識が一斉に覚醒する。別にキリには全裸で寝る習慣はない。
 視線をもっと手前、手のあたりに滑らせれば自分の手をベッドに縫い付けるように、キリのものより幾分も大きくて節だった手がキリの手を握りしめていた。
 このベッドにもう一人、誰かがいると分かった瞬間に一気に背中と腰に重みを感じる。血の気が引いていくのを感じながら被った毛布の下をみた。自分の腰に、太い腕が絡まっている。つまり、背後から抱きしめられながら手を繋がれた状態で寝ている、らしい。
 自分が物語のヒロインならこんな甘いシチュエーションにドキドキするのだろうが、残念ながらヒーローに値する存在はキリにはいないわけで。
 冴えていく頭が昨日の出来事を思い出そうとフル回転する。昨日は確か、あの人と夜ご飯を食べる約束をしていた。はっきりしている最後の記憶もあの人の顔で。
 引いた血が今度は顔へ集まる。耳の辺りに熱を感じながら、自分に抱きつく背後の誰か(もう分かりきっているが理解したくない)を起こさないように繋がれた手を解くと少しずつベッドの端へ寄る。このすぐ下には、少し前に風邪をひいた時からゴミ箱がある。何もなければ何もない、はず、いや何もないでほしいどうかーーめいいっぱい体を伸ばして覗き込んだゴミ箱の中には。

 「……おーはよ、何回目まで記憶ある?」
 「ひゃぇっ、え、うわあぁっ」

 動かぬ証拠に呆然としていれば、耳元にそんな低い囁き声と吐息が当たり、キリは情けない声を上げながらベッドから落ちた。

 「おい、大丈夫か?」

 くらくら回る視界の中、ベッドの上からひょいと覗いたのは昨日の残った記憶の中でも最後に過ごした彼ーー林藤だった。

 「……大丈夫じゃ、ないひぇす…」
 「おいおい」

 ほら、と手を差し出されて恐る恐る握る。いとも簡単にひょいと起こされたキリはそのまま、これまたいとも簡単にまたベッドへと引きずりこまれる。
 今度は視界いっぱいにいたずらっぽく笑う林藤と天井。それも一瞬で、次には視界には天井だけになり少しカサついた唇が楽しげに首元へ何度も悪戯に触れる。触れられた場所から広がる熱に昨日の記憶が断片的に浮かぶようなーーその、前に振り払うようにキリは手をバタつかせてそのまま覆い被さる林藤の肩を掴んでひっぺはがす。

 「ま、まままっ…!まってください…!」
 「待たない。もう逃げるのも待つのもやめろって言ったのはキリだろ?」
 「え…えぇ…?うん…?」

 どうやら話が噛み合ってないらしい。いや待て、昨日は普通に、至っていつも通りにご飯を食べてただけで、その数時間後の今現在どうしてこんな雰囲気になるのかよく分からない。

 (いやでも絶対………ヤった)

 先程の動かぬ証拠を思い出してまた血の気が引いた。もちろん、林藤とは恋人じゃない。こちらが勝手に昔から片思いしているだけだ。しかも林藤はそういったことは避けている節があるみたいだしーーと、ここまで考えてとあるカタカナ3文字が浮かんだ。
 そうこうキリが思考回路をショートさせているのを露ほども知らない林藤はまた押しやるキリの手を絡め取ってその甲にキスをすると、ゆっくり顔を近づけてくる。キリは半泣きでその顔を手で押しやった。

 「待って!そんな!嫌です!身体だけの関係とか!嫌です!」
 「………はあ?」




 「覚えてない…?」

 その顔には「嘘だろ?」と書いてある。視線に耐えかねたキリはソファの上で正座しながら小さく情けない声で「…はい、」と肯定した。それに林藤は深く、それはふかーく溜息をついて少し間を空けて隣に座る。

 「…本当に何も?」
 「ご、ご飯、食べたあたりまでなら…」
 「その後は?」

 いつになく真剣な林藤にキリは半泣きで首を振る。林藤はそんなキリの反応になるほどなぁ、とだけ呟いて頭をガシガシ掻いた。林藤の顔が見れなくなってキリはそのまま下を向く。

 「最悪…です、ごめんなさい」
 「…いや、あぁー…お前が悪いってよりなんていうか結局俺も誘いに乗ったわけで…」
 「……わ、私、先輩をさ、さそっ……そんなそ、その気にさせたようなことしたんですか…」
 「…うーーん…」

 顔中に熱が集まった後に、そんな自分を想像して血の気が引いていく。一番見られたくない人にそんなところを見られたのか。顔を赤くさせたり青くさせたりしながらどん底にいるキリを見越してか、拗ねたような林藤の声が聞こえる。

 「…なーんだよ、そんなに嫌?」
 「ち、ちがいます、そんなわけ…!」

 顔を上げた先の林藤は思いの外、優しい表情を浮かべていた。思わず「あれっ」と声を上げる。そのままトントン、とソファのキリの隣あたりを叩く。

 「隣に行ってもいいか?」
 「あ、あの、その、ど、どうぞ…」
 「んじゃ、遠慮なく」

 よいしょと隣に腰を降ろされてキリは正座を崩さないまま少し距離を空けようとするがご丁寧に林藤もその分詰めてくる。

 「…俺な、キリ。今までそりゃあ色んな事があったけどさ、あの日お前が血溜まりで死にかけてたのを見た時が一番生きた心地がしなかった」
 「…せんぱい、」
 「次々に死んだ、とか大怪我した、とか嫌な知らせばっか来てさ。お前を慌てて探しに行ったらあれだもんな。お前も死ぬかもしれないって考えたらなんだろうなぁ…めちゃくちゃ怖くなった」
 「やっぱり、私を運んでくれたのって、」

 あの日、ボーダーが今の形になったきっかけになった日のことだ。キリ自身も大怪我を負って動けなくなったが、次に目を覚ますと病院にいた。キリの記憶ではそうだが、ぽっかり空いている空白の間に林藤がキリを病院へと運んでくれていたのだ。
 林藤は苦笑いすると頬杖をついた。

 「だんだん薄い息になるお前を運びながらさ。あぁ、こりゃダメだって。病院に運ばれても二週間目を覚まさないし…生きた心地が、しなかった」

 ソファに置いたキリの手にゆっくり林藤が自身の手を重ねる。

 「…もしお前の事を好きだと認めたら…大切な人だと認めたら…失ってしまった時、もう俺は動けなくなる気がしたんだよ」
 「先輩、」
 「好きだよ、キリ。お前が思っているよりずっと昔から」

 じ、とこちらを見る瞳から目を反らせないまま、からから乾いた喉でキリも小さく「私も、」と返した。

 「好きです、先輩が思っているよりもずっと昔から」
 「…知ったよ、身に染みるほど。昨日だけど」

 じゃあ、と林藤は顔を近付ける。伏し目がちな瞳と視線が交わり、顔に熱が集まる。反射的に逃げようと身体を仰け反らそうとすれば繋がれた手をさらに握りこまれるのだから、キリはそこから動けなくなってしまった。

 「仕切り直し、だな……もう一度キリから聞きたいな」
 「な、何を、」

 にこ、と弧を描いた唇が更に近づいて、耳元へと寄ってくる。逃げようとして体勢を崩したキリは情けない声を上げてソファへ仰向けに倒れ込んだ。それでも御構い無しに覆いかぶさった林藤は囁く。

 「…あの日の『せんぱい』は城戸さん?それとも…俺?」

 ふ、と耳に吐息がかかった。

 「き、昨日酔った私が言ったんでしょう…?」
 「そうだな、だからもう一度聞きたいって言ったわけだ」

 忘れるなよ、林藤は低く笑う。

 「こっちはずっと我慢してたんだ…浴びるほど好きって言って」





 携帯の着信音で林藤は目を覚ました。
 裸眼のぼんやりした視界で点滅する光を頼りに手を伸ばすと携帯を取る。

 「もしもし」
 「…はーい、林藤」

 相変わらず生真面目な声に苦笑いしつつ、林藤は眼鏡をかけて欠伸をしつつ寝返りを打った。ふと、視界の端に見えた白い肌に目尻を下げるとそのまま隣で寝ているキリの方を向く。

 「林藤、この前の空閑くんと三雲くんの話で少し……お前、寝てたな?」
 「なんで分かるんだよ」
 「寝ぼけた声をしているからだ」
 「あはは、そりゃバレるわな」

 白い背にかかる黒髪に鼻を寄せる。どうせこの後は本題じゃなくてお小言がくるから、半分くらい聞いていればいい。適当にサラサラと流した後に、で、と話の流れを変える。

 「城戸さんがどうせ企んでるんだろ?その事についてなんだけど、迅と改めて話しに行くよ…今は少し…雰囲気がなぁ」
 「…雰囲気?」
 「まあとりあえずまた後で連絡するからさ、じゃあな」

 語尾に怒りの声音が混じったことを感じた林藤はさっさと話を切り上げると電話を切ったーーところで、目の前の背中がくるりと回る。

 「…おーはよ。今度こそ、完璧に覚えてるな?」
 「…完全に、覚えてます…じゃなくて…今の、電話」
 「ん?あぁ、内緒。お前は大好きだけど、これはこれ、仕事は仕事で分ける…で、いいんだろ?」
 「…はい。あくまで、私は政宗先輩側の人間です。空閑さんは看過できません」

 この真面目で融通がきかない強さがどうしようもなく愛おしいな、と林藤は笑うとキリの額に唇を押し当てる。

 「はい、難しい話は終わり終わり。今はもう少しゆっくりしよーなー」
 「…や、む、無理…」

 覆いかぶさる林藤にキリが顔を青くさせる。彼女が何を考えたかわかった林藤は大きく笑うと、そのまま上にのしかかるように体を下ろした。

 「大丈夫、大丈夫それはない。俺ももう無理出ない。いやぁ、年取ったなぁって」
 「出っ…!!そんな直球に言わないでください…っ!と言うか、そんなに年寄りでもないでしょうに!」
 「…なあキリ」

 拗ねてそっぽを向いた横顔に唇を寄せた。

 「好きだよ、お前が思っているよりずっと昔から」
 「……それはもういっぱい聞きました」
 「そりゃそうだ、いっぱい言うからなあ」

 満足気に笑った林藤はキリの隣へ戻るとその体を抱き込んで大きく息を吸う。
 まだ寝るんですか、夜眠れなくなりますよ、真面目な彼女の声をどこか遠く聞きながらゆっくり微睡みへと意識を沈ませていった。
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