タリ小話



上層部とあれこれするだけの短編集
城戸さんの話はこちらの設定より

【空然】

 「すきです」
 「はいはい」
 「ほんきですよ?!」
 「酔っ払いの言うことだからなぁ」

 軽くあしらっていればうわあぁっと泣き始めたキリに林藤は呆れたようにため息をついた。この二つ下の後輩は酒が入るとこうだ。からみ酒かつ泣き上戸、酒の席で一番嫌われるタイプ。そうと分かっていても彼女に誘われるがまま毎回飯へ行き、わんわん泣く彼女をきっちり送り届けてしまうのは惚れた弱みなのだろう。
 しきりに林藤の手を握って鼻をすする彼女をぼんやり見る。いつも城戸の秘書としてかっちりしているキリはどこへやら、一つにまとめられている髪は解けて一番上まで止められているワイシャツのボタンは少しはだけていた。だらしなく座敷に放り出された足は少し裾が上がったタイトスカートから艶めかしく伸びている。個室タイプの座敷席にしておいてよかった。こんな姿を他の誰かに見せるわけにはいかない。

 「たくみせんぱいはぁ、どうなんですか?」
 「どうって?」
 「わあぁん、わたしとは遊びだったんですかぁあ」
 「なんだよそれ、キリと俺は文字通り何もないだろ〜?」

 林藤はまだ少しビールが残ったジョッキを置くとしなだれ掛かるキリの顎を掴んで顔を上げさせた。酒と涙でとろけた瞳と視線がかち合う。

 「こんなに俺が好きならじゃあなんで、ボーダーの新体制を作るときにウチに来てくれなかったのかなって思うんだけど?」
 「っ、うっ、だって、まさむね先輩一人にできなかったんですもん…わたし、わたしがつなぎになれたらって、そしたら前みたいにみんなでたのしくできるって」

 ジョッキについた水滴が落ちる。落ちた先は丸く、水溜りになっている。

 「わたしにきてほしかったですか?」
 「…そうだな〜、いたら楽しかったかなぁ〜って思うよ」

 キリから目をそらしてジョッキを手に取る。支えていた腕がなくなったキリはそのまま林藤の後ろへ倒れこむ。

 「…たくみせんぱいは、いつもそうやってはぐらかす」
 「唐沢さん風にいうならこれが大人の駆け引きってやつよ」
 「ふたつしかちがわないくせにぃ」
 「二つも違うんだなこれが」

 つんつんとキリは林藤の背を突く。ふと、その指がすっと背筋をなぞったので慌てて林藤は振り返った。振り返った先のキリは目を閉じている。

 「……ちゃんといわないと、いなくなっちゃうかもしれないですよ。わたし、だからちゃんと言うんです。だって、なにもいえずにお別れは、かなしいの」

 ゆっくり開く瞼の内側にある瞳は遠くを見つめていた。林藤はキリの顔にかかった髪をゆっくり耳にかける。

 「……そうだな。でも俺はなぁ、キリ。伝えた後に失う方がもっとずっと怖い」

 からん、とキリのグラスに入っていた氷が溶けて崩れる音がした。



【洞々たる】

 息が、できない。
 かろうじて開けた目で辺りを見る。瓦礫だらけだ。その瓦礫たちが全て自分の腹に、腕に、足にのしかかっている。

 「城戸さん、キリさんが、キリさんがここに、」

 迅の泣きそうな声に反応するように誰かが走り寄る音。その音を聞きながらキリは意識を手放した。下半身が血で生暖かい。


 「ッ、」

 バッとキリは目を覚ます。しかし、身動きができない。ウ、と耳元に魘されたような呻き声にそろ、と瞳だけを横に動かす。見えたのは、闇とあまり違わない黒い髪。
 そろそろと右手を動かして、自分の上に乗る体を突いた。鍛えた跡がわかる体は、ずっと布団の外にあった指先の冷たさに驚いたのかびくりと震えた。視界の端にある黒い髪の間から、瞼が覗き僅かに震えながら開く。髪と同じように黒い瞳がぼんやりキリを見つめた。

 「…政宗さん、」
 「……すまない」

 のそ、と城戸はまだ夢と現の間にある意識で体をキリの上からずらすと、とってしまった毛布を妻の肩までかけてやる。すっかり夜の空気に触れた肌は冷え切っていた。

 「べつにこれくらいはいいの…あなたも悪い夢を見てた?」
 「…少し」

 そう言って傷のある方の眉根を顰めた。思わずその傷に触れる。腰に回された腕がびくりと震えたが、親指で労わるように撫でるとゆっくり力が抜けていく。

 「…痛い?」
 「…少し」
 「そう、とても魘されていたから」

 顔を近づけるとそっと痛々しい跡に唇を寄せた。閉じた瞼に乗った短い睫毛が震える。

 「……お前も嫌な夢を見たのか」
 「そうねぇ、誰かさんがぎゅっとしたままのし掛かるから、おっきい漬物石に押しつぶされる夢を見たくらいかしらねぇ」
 「…すまない」

 バツの悪そうに城戸は少しだけ眉をしかめ、キリに覆いかぶさる。

 「やだ、凹まないで頂戴よ」
 「…そんなことはない」
 「嘘。あなた嘘つく時はいつも目が少し揺れるの」
 「嘘と言うならば、お前も」

 と城戸がキリの腹の辺りをなぞる。分かりにくいが、そこには傷がある。

 「…痛むか」

 キリは少し諦めたように目をそらした。

 「…少しだけ」

 少し柔らかくて、カサついたものが腹の傷に押し当てられる。離れた後ににふ、と当たった吐息にぐずりと小さな傷跡が痛んだ気がした。

 「まだ起きるには早いわ、二度寝しましょうよ」
 「……」
 「あ、その顔。起きて仕事しようとしたでしょ。ダメよ、匠くんはしなさすぎだけどあなたは働きすぎ」

 ね?と枕を叩く。城戸は短く息をつくと大人しくそこへ頭を乗せた。ひやっと布団に入り込んできた冷たい空気にキリは身体を震わせて城戸にくっつく。

 「だってまだ外、暗いもの」

 返事はない。ただ、また腰に腕が回された辺り、大人しく二度寝をしてくれるらしい。



【平々凡々】

 しんしんと降る雪は、瓦礫に触れるとパッと水に変わってそこだけ色濃くする。関東特有の水分が多くて凍る雪。
 その雪の合間を縫うように、濃い灰色のロングコートがふわふわと瓦礫から瓦礫へと飛ぶように歩いている。雪のようにふわりと消えそうな背中に忍田は慌てて呼びかけた。

 「こらキリ、そんな急ぐんじゃない。警備の意味がないだろう」
 「真史早く行こう、帰ったらクリスマスケーキだよ」
 「シャンパンはまだ冷えてないだろう」
 「あーーそっか、じゃあゆっくりいこ」

 キリはパッと立ち止まる。忍田はその隣に立つと歩幅を合わせて歩き出す。キリは、はらはらと降る雪につられて空を見た。灰色の空に向かって新しくできたボーダーの基地もそびえたっている。冷たいあの箱ような新しい基地はあまり好きじゃない。以前の基地より広くなったが、その分仲間も少なくなってみんな笑わなくなった。

 「キリ、どうした?」
 「ううん、なんでもないの。せっかくのクリスマスなのに任務ってなぁ〜って」
 「そうだな、ここはイルミネーションもないし少し味気ないかな」

 そう呟いた忍田にキリが目を丸くするので居心地が少し悪くなって「なんだ」と返す。

 「ううん、真史ってそういう雰囲気とか気にしないじゃない」
 「…俺だって少しはわかるぞ」
 「うっそ、私に定食屋で告白した人はだあれ?」
 「そ、それは、」

 キリは鈴のように笑って忍田の先を歩くと振り向いた。その一つ一つの動きから忍田は目を離せないでいた。ふわりと黒い長い髪がコートに合わせて舞う。

 「うん、でもいいよ。私はそうやって飾らなくてまっすぐな真史が好きだもの」
 「そうだな、俺もそうやって笑うキリが好きだよ」
 「知ってまーす」
 「おまえなあ、」

 キリはまた二、三歩先を歩いて呆れた忍田が続く。いつもはぐるっと基地を一周するこの警備の間にちらほら出現するトリオン兵も、この時ばかりはなりを潜めていた。静かな警戒区域に二人分の足音が響く。

 「雪、積もるかしら」
 「さあ、まだじゃないか。いつも積もるのは一月、二月あたりだろう」
 「そっか、じゃあさ、その時の警備任務の日に積もったら雪だるま作ろうよ」
 「遊ぶなよ」
 「真面目だなぁ」
 「キリが調子良いだけだ。…まぁでも、いいかもしれないな。春には桜が咲くだろうし、夏は緑がいいし、秋になればそれが赤くなる。それをキリとずっと一緒に見られるならそれが一番いい」

 はた、と目の前の背中が急に止まったので忍田は慌てて止まる。「いきなりなんだ」と聞く前に振り向いた、キリの真っ赤な顔に言葉は形とならずに雪と溶けた。

 「…なにそれ、プロポーズ?」

 そう言われた後に、図らずも自分の言葉があまりにもそうであることに気付いた忍田も耳まで真っ赤にさせた。しばらく二人はそうして見つめ合い、雪だけがしんしんと降っていた。

 「し、シャンパン、冷えたかな」
 「ど、どうだろう。任務の前に冷蔵庫に入れたからな」

 あからさまに話を逸らされた。少しがっかりしなくもないが今のは自分が悪い。
 ただ、少ししてこちらの指に触れたキリの指先が甘えるようにすり寄ったからたまらず握る。
 雪は少し、霙に変わっていた。
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