芽生えた感情にはまだ気付かないままで



こちらの続き。




 「た、た、太刀川さんっ!」

 聞き慣れた声が自分の名を読んで、その直後に小さな悲鳴と共にどしゃっと床に倒れこむ音。
 こんなことも慣れたもので、太刀川はふっと一息つくと呆れたように振り向いた。

 「キリ、お前はもう少し落ち着け」

 床にこけている少女ーーキリにそう言って手を差し出せばキリは慌てふためく。

 「ご、ごごごめんなさい!!!」

 「怒ってないぞ。ほら」

 ぐい、と引っ張り上げてやればキリは真っ赤になってもごもごと礼を言う。完全に思考回路がショートしているキリをしり目に、彼女が転んでぶちまけた書類を拾い集める。
 もっぱら太刀川はどちらかと言うと面倒を見てもらう側なのだが、このキリに関してだけは完全に面倒を見る側だった。
 数か月前、ストーカーまがいのキリに突然弟子入りを申し込まれてから今日まで、いつも太刀川さん、太刀川さんと一生懸命ちょこちょこ太刀川の後に続いては平地で転ぶキリだが、持ち前のドジや弱虫は置いといて、実力はどんどん上がって来ていた。
 ふと、キリがぶちまけた物の中に見覚えのないトリガーが混じっていることに気付く。普段キリが練習用に使っているトリガーではなかった。

 「お前、これは?」

 「へっ? あ、あぁ!!」

 キリはばっと太刀川からそのトリガーを取ると、

 「と、トリガー起動!」

 光に包まれ、換装体へと変身したキリは、いつもの練習服がどこへやら真新しい隊服に身を包んでいた。
 太刀川隊とよく似たロングコートをベースだが、女の子らしい可愛らしいデザインのそれと短めのズボンにブーツ。
 お前、こんなかわいかったっけ、なんて一言はからかってやろうと顔を見れば真っ赤になってどこか嬉しそうに照れるキリに、言葉にならずに消えた。お前、本当にそんな可愛かったっけ?

 「ど、どうでしょう・・?」

 「ど、どうっておまえ・・いや、どうしたそれ」

 「聞いてください! 実は、チーム結成したんです!!!! で、そ、その・・僭越ながら私が、その・・」

 「隊長か!」

 キリは耳まで真っ赤になってふるふる頷く。
 弟子の成長が嬉しくて、太刀川はばしばしキリの背中を叩く。

 「いやー! お前ならできると思ってたんだよ、まあ俺のおかげだがな」

 「は、はい! 太刀川さん、ありがとうございます!」

 「・・あと、お前、最近大丈夫か」

 「? 何がでしょう?」

 「お前のクソ兄だよ」

 あー・・とキリは目を泳がせた後にちょっと笑う。

 「大丈夫、です。同じ家に住んでるから、ちょっとあの後からは気まずいですけど」

 そんな事より、とキリは太刀川の服の裾を掴んだ。無理やり話題をそらされたような気がして太刀川は少しだけ目を細める。

 「あの、今日も稽古お願いします・・!」

 「・・あぁ、任せろ」

 いつのまにか、キリの口癖はごめんなさいから大丈夫ですに代わっていた。
 無下に自分を卑下することもなくなったが、弱音を吐くこともなくなった。ただ、大丈夫ですとだけ言う様になったのだ。
 ちらりと隣を歩く弟子を見る。その瞳には以前のように臆病な色はない。でも、同時に弱々しい光もともっているのだ。

 そして事件は、そんなことを考えていた矢先に怒ったのである。


 「太刀川さん! 柚宇さん!」

 血相をかえた出水が隊室に飛び込んできて、太刀川と国近はゲームを一時停止させると同時に振り向く。

 「あれ〜、どうしたの? そんな顔して」

 「いいから来てくださいって! キリちゃんが!」

 キリ、の一言に太刀川ははじかれたように立ち上がる。嫌な、予感がした。
 出水に連れられるままにラウンジへと急げば、そこに人だかりができていた。その中心にいるのは、キリーーそして、対峙しているのはへらへら笑う彼女の兄だった。
 心に、どす黒い感情が鎌をもたげた。

 「太刀川さん、」

 出水の制止も振り切って人ごみをかき分けるとキリの元へ寄る。出水と国近もそれに続く。

 「キリ!」

 「たちかわ、さん・・!」

 ぼろぼろ涙を流す彼女は、真っ直ぐ弧月を自身の兄に向けていた。兄は生身、キリは換装体の上、生身の人間に弧月を向けているーーはたから見れば、隊員同士の戦闘を禁止する隊務規定の違反者だ。
 ただ、この数か月で彼女は規則を破る人物ではないことも、なによりも優しい彼女が人に弧月を向けることなどよほどのことがない限りしないことも知っていた。

 「・・キリ、一旦落ち着け。訳を、話せ」

 「っ〜〜!」

 そう言ってそっと弧月を握るキリの手に手を重ねる。安心感からの安堵か、キリは震えながら弧月を離す。カランと固い床に、弧月が落ちる音が響いた。

 「模擬戦を除くボーダー隊員同士の戦闘を固く禁ずる・・太刀川さん、訳も何もコイツがーー」

 「黙れ。端からてめーには聞いてねぇよ」

 「・・ほらキリちゃん。あの人にホラ吹かれる前に言ってみて。私たちは信じるよ」

 国近がキリに近付いてそっと顔を覗き込む。

 「アイツ、アイツがトリオン兵と戦闘中のウチを攻撃してきたんです・・!」

 「あれは事故だよ。トリオン兵の近くにいたからーー」

 「でも! 実際私の隊の人に弾は当たりました! しかもアイビスの一撃で換装も解けたんです! トリオン兵の前で! 今回は何事もなく済んだけれど、何かあったらじゃ遅いんですよ!」

 落ちた弧月を握り直して斬らんとするキリを引き留めるために慌てて抱きしめる。突然のことに、キリは一瞬固まる。

 「キリ、落ち着け。いいな?」

 そっと耳元で囁けば、キリは体の力を抜く。

 「サイッテー」

 いつもののんびりした雰囲気はどこへやら、そう言って睨む国近の隣の出水も不機嫌そうな顔をしている。

 「誤解だろ。このバカが先走ってるだけだ。どうせこの隊務規定違反で痛い目見るのはお前だ。せっかくの隊も解散だな」

 「っ!」

 「・・いや、そりゃないだろ。国近、今すぐさっきの防衛任務の記録調べてこい。本当に馬鹿なのはどっちかはっきりさせてやる」

 「りょーかい! 出水くん、いこ」

 「はいはい」

 ばたばたと去る二人に、目の前の男は少しひるんだような顔をする。

 「せっかくのA級の肩書もこれでサヨナラだな。安心しろ。遅かれ早かれどうせ俺の優秀な弟子がその位置につくだろうしな」

 それだけ吐き捨てると太刀川はキリをその場から連れ出した。



 「ほら」

 がこん、と軽快な音と共に出てきたジュースを力なくソファに座るキリに差し出す。しかし、キリはうつむいたまま。

 「・・・・ごめんなさい、私、太刀川さんに助けられてばかりです」

 「・・お前さ」

 目線が合う様にキリの目の前にしゃがみこむと冷たい缶ジュースをキリの頬に押し当てた。

 「ひゃっ」

 「ほら飲め」

 「大丈夫です、いらなーー」

 「いいか、大丈夫なんていうな」

 缶ジュースをキリの脇に置くと、ぎゅっとその頬をつねる。太刀川をうかがう様に恐る恐る顔を上げれば、優しく笑う太刀川と目が合う。

 「お前って不器用だしドジだし、要領よくねーし。でもそのくせ一人で頑張ろうとするだろ。それ、もうやめろ」

 「そ、そんなこと・・」

 「だってそうだろ。あの馬鹿からの攻撃だって今日が初めてじゃないだろ。・・・・頑張ったな、キリ」

 みるみるうちにじわっとキリの瞳がうるんで、涙が零れ落ちた。

 「〜っ、たちかわ、さん」

 「なんだよ」

 「っ、う〜、ごめ、ごめんなさい」

 「お前はごめんなさいか大丈夫しかいえないのか」

 「ぅえっ、そ、そそそんなこと・・うぅ〜」

 半ばあきれつつ泣き出したキリを抱きしめる。初めはびくっと体を震わせたが、おずおずと太刀川の首に手を回す。

 「これからは大丈夫、は禁止な。辛い時はツライって言え。泣きたい時は泣け。まぁ、ただ俺の前でだけな」

 体を離すとキリの涙を拭ってやる。キリはわんわん泣いたままこくこくと頷いた。

 「わた、わたし、太刀川さんにたくさん優しくしてもらってばかりです、私なにも返せてないです」

 「いいんだよ、俺はお前の師匠だからな」

 「〜っ、狡い。そうしたら私、ずっとしてもらってばかりです」

 「いいだろ、今までされてこなかったんだからいまさらバチは当たらないだろ・・キリ、返事は?」

 名前を呼んで、目を合わせる。キリは数回すんすんと鼻を鳴らしてーーまた、泣き出した。

 「ひ、ひゃい・・!」

 また再び、びーびー泣き始めたキリを抱きしめてあやすように背を撫でてやる。もう彼女に無理はさせない、太刀川はそっと心にそう決めてキリの気が済むまでずっとずっと抱きしめていた。










「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -