きみは無垢な誘惑者(1/4)
ねえちとせちゃん‥‥‥‥好きだよ。
だから、俺だけを見て?
もうすぐ10月だからか、まだ気温が高い日もあるけれど、吹き抜ける風はもうすっかり秋のそれだった。
都心からそれほど遠くない郊外に、観光名所としても有名なバラ園がある。
そこは花壇や生け垣の他に本格的なイングリッシュガーデンなどもあって、今は秋に花を咲かせる種類のバラ達がそのピークを迎えている。
いつもはノンビリとした雰囲気が漂うこの場所は、しかし今日はいつもとは違う騒々しさに包まれていた。
新曲のPV撮影のためにここにやって来た私達。
「おーい、そこのライトの角度だけどさ‥‥‥」
「この小道具って、この場所でOKっすかー?」
今回は野外での自然光を利用した撮影という事もあって、そのスケジュールもかなりタイトな物になっていて。
そのために、いつにも増してせわしなく動き回る大勢のスタッフ達を見ていた雅楽がボソッと呟いた。
「‥‥しっかし、風は涼しいとはいえこの日差しだってのにみんな元気だよなあ」
「雅楽?」
今、私達は木陰に設置された休憩用のテントで撮影準備が整うのを待っている状態だった。
ずっとバタバタしていたから、やっと一息つけて呟きたくなる雅楽の気持ちもよく分かるけれど。
「あっれー? ガッくんてば、まさか今さら夏バテじゃないよねー?」
「んだと? 櫂、テメ‥」
櫂の軽口にバッと顔を赤くして、座っていたパイプ椅子から音を立てて立ち上がる雅楽。
(うわっ、ど‥どうしよう‥‥)
「ちょっと、櫂!‥‥雅楽も、ね?」
櫂の隣の席に座っていた私は、櫂のいつもと同じ笑顔とムッとした雅楽の顔を交互に見る。
その時。
すぐにでも櫂に詰め寄ろうとしていた雅楽の目の前に龍が割り込んだ。
「やめないか、二人とも」
「そのおかげで俺達は演奏だけに集中出来るんだから、ありがたいじゃないか」
「う‥‥」
勢いを削がれて舌打ちする雅楽に、瑠禾が呟く。
「雅楽には絶対ムリ」
「んなっ‥‥瑠禾!お前なあ‥‥‥‥あーもう、勝手にしろ!」
すっかりふて腐れた雅楽は、そう言い捨てるとテントのすぐ側の背の高い生け垣の奥へ向かってズンズンと歩いて行ってしまった。
「まったく‥‥」
雅楽の後ろ姿を見遣りながら、龍がため息をつく。
「あーあ、行っちゃったね」
「櫂、お前もだ‥‥少しは反省しろ」
「‥‥‥‥ハーイ」
トレードマークの帽子をいじっていた櫂は、龍にじろりとにらまれてつまらなそうな表情で肩をすくめる。
「ちとせにあまり心配かけるなよ?」
普段より少し低い声で言いながら、龍はその大きな手の平で私の頭をぽんぽんと叩いた。
(え、私?)
反射的に頭に手をやった私は、瑠禾の
「龍お父さん、娘の彼氏を叱るの図」
というセリフに、思わず吹き出してしまった。
「ちとせちゃん‥‥」
「ちとせ‥」
瑠禾は、クスクス笑いつづける私と、情けない顔をして黙り込む櫂と龍の顔を見て満足そうに微笑んだ。
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