願わくばハッピーエンドでの続き。




澄んだ空気。冷たい風。煌く星。真っ白な雪。重たい荷物。一週間分の着替えと愛用のシャンプー。肌が荒れるからと持ってきていたボディバターは虎徹さんが興味本位で使うもんだから半分以上減った。彼らに持ってきたお土産とシュテルンビルトに持って帰るお土産が差し引きゼロだとしても、虎徹さんがダメにした僕の下着だとか、壊したドライヤーだとか。なくなったモノの方が多いはずなのに。彼と別れる僕の手に握られた大きな荷物は予想以上に重量があった。次第に、持ち手のビニールが掌に食い込んで、少しだけ痛みが走る。けれど、生憎僕のもう一方の掌は虎徹さんに握られている為、持ち替えることは出来なくて、僕はただ虎徹さんの揺れるしなやかな髪を眺める事しか出来なかった。この階段を全て登りきれば、僕が乗るはずの電車が大口を開けて待っている。本来ならば、僕が自らこの電車に乗り込みシュテルンビルトに帰らなければならないと言うのに。今は、虎徹さんに尻を蹴られてもこの夢のような時間と街と彼の隣から、抜け出したくは無かった。帰りたくない。そう言えばきっと虎徹さんは僕を受け入れるに違いない。しかし、そう言えなかったのはこれ以上の長居はお互いの為にならないと知っていたからだ。
遅めの起床やそれに伴う遅めのランチ。人目を見計らってセックスをして不規則に其れを繰り返す。こんなどうしようもない自堕落な生活がこれ以上進んでみろ。僕も、そして虎徹さんもきっと、元の生活には戻れない。だから僕は、気を遣って、帰るのだ。能天気な彼の事だからそんな心配、これっぽっちもしていないだろうが…。その証拠にこの街での僕との最後の時間を名残惜しむ事も無く、虎徹さんはお構いなしに、一段、また一段と、大股で階段を駆け上がる。
ああ、そんなに早く歩かないで。
そう心の中で祈るのもただ空しく、あっと言う間に数十段の階段を登りきった僕らの目の前に広がるのは、轟音を立てて待ち構えている電車だけ。まるで怪物だ。発車の時を今か遅しと、息遣いを荒くした其れは正に怪物のようだと僕は年甲斐もなく思った。そうして、大口を開けたあの怪物に僕が食い尽くされるまで、あと十分と来たものだ。余裕を持って彼らの家を出てきたつもりでは居たが、二人きりの時間もこれで幕を下ろすと思えば何故だか泣いてしまいそうで、無性に虎徹さんが恋しくなった。永遠の別れでもあるまいし、と彼は笑うかも知れない。けれど、時間がが足りないとは正にこれの事だった。寝坊した朝やPDAに呼び出された時とは到底比べものにはならない。驚くべきスピードで僕と虎徹さんの時間は奪われていく。もっと彼との時間を、楓ちゃんや安寿さん、少し怖いが村正さんとの時間を。僕を唯一迎えてくれた家族との時間をもう少しだけ、と強請る間もなく時計は残り僅かな時間を急ぐように目まぐるしく回転し、電車ですら急かすように再び轟音を立てた。
「バニー、出発しちまうぞ。早く乗れよ」
その上、虎徹さんも。まるで近所のスーパーマーケットに僕をパシらせた時のような口調の軽さで僕の背中を押す。実際は何十キロも何百キロも。電車で数時間は掛かる距離を帰らなければならないと言うのに。
彼は寂しくないのだろうかと浮かぶ疑問は声に出さずに消えていく。もしその問いかけをしたとして寂しくはないと彼に言われてしまえば多分僕は立ち直れない。だから敢えて何も聞かずに、僕は少し、ふてくされて電車に乗り込むのだった。電車のタイルが僕の位置で、虎徹さんはホームのコンクリート。向かい合わせに並ぶ僕らの靴を隔てるのは数センチだけ空いた隙間とまだ閉まらないドアだけだと言うのに。いつまでも立っても離されない掌の所為で席にすら付けない。だからと言って何かアクションがあるわけでもなく、いつも以上な口数の少ない彼は寒さに鼻の頭を赤くして遠くを見ている。ああ、あと二分しかない。見上げなければならほど大きな、駅の時計は一秒また一秒とタイムリミットまでの時間を刻んでいく。その度、乗り込む人間は僕らしか居ない駅のホーム慌ただしくアナウンスが流れた。
年貢の納め時。僕らが一緒に居てもいい時間は終わったのだ。
「……あの、虎徹さん、……」
「……ん?」
優しい声色。容易く想像できる虎徹さんの柔らかな表情を見れないまま、俯いた視線で、靴先を眺めて、上手く出ない声で何とか言葉を紡ぐ。「シュテルンビルトに着いたら電話します」なんて。とんでもなく在り来たりな言葉しか出ては来なかったが。この言葉で締めくくった僕と彼の最後の時間を数秒後、発車ベルの音が遮った。もっと一緒に居たいとか。あなたが居ないと寂しいとか。人並みだけれど伝えたい事は山ほどあったのに。けたたましく鳴り響く其れに全てを掻き消されて、僕は最後にさよなら、と小さく呟いた。刹那、発車ベルに負けず劣らずな大声で呼ばれる僕の名がホームに響く。まるで安いドラマみたいに持ち上げた瞳に映るのは、閉まるドアと窓ガラス。驚くほど情けない僕の表情とドアの外側に居るはずの虎徹さんの後姿。咄嗟に、倒れ込んでくる彼の身体を支えては見たけれど、閉まってしまったドアを唖然と僕が我に返るのはもう少し先の事だ。電車本体から伝わってくる振動とゆっくり、と動き出す風景が発車してしまった事を物語る。それなのに、僕と彼は、まだ一緒なんて。冗談か何かの類なんだろうか。
「なっ……!なんでっ…!こ、虎徹さんまで乗ってるんですか!しゅ、っ出発しちゃってるじゃないですか!!」
「…ん、ー…なんか?離れたくねぇなって思ったら身体がつい、」
「ついって!これ、シュテルンビルト直行なんですよ!」
悪びれもせずにそう言う彼の凭れかかる肩を掴み上げ、危うく裏返りそうな声を早口で捲くし立てる。そうして、外れ掛けた眼鏡を指先で上げて、荒々しい言葉を唇から零すと、次は彼の柔らかい指先が僕の言葉を奪った。眩しいくらいの微笑みが、僕の目の前に惜しげもなく晒されて、電車の中だという現実を一瞬にして見失ってしまいそうなくらいくらくらする。それでも僕が理性を保って言われたのは、僕自身がこの夢みたいな現実を受け止め切れて居ないからに違いない。
だって……。
「今日はバニーちゃんちに泊めて?」
なんて殺し文句、正気の沙汰ではないでしょう?僕らはきっともうとっくの昔にやばいとこまで来てる。一分だって一秒だって離れられない、離れたくないやばいとこまで。そして、これが僕らの相互依存に関する単なる助長に過ぎない事を僕と、彼だけが、知っていた。

何れ、融解する僕らに。







十時二十四分の双子








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