23-05






「ここは」



柊美冬が目覚めた場所は、見知らぬ布団の上であった。

畳の間に蚊帳、そして真ん中に布団。いぐさの香りと、蚊取り線香の香りが、つん、と柊の鼻をつく。
最後の記憶は、見知らぬ男の腕の中だった。戦闘見学に夢中になっているうちに背後から捕まったところを、10年後のランボが見つけてくれて……その後は暗転して今に至る。

「…?」

何者かに捕まったのか。それとも。
柊が体を起こすと、ぐらりと上半身がよろけてしまう。頭もガンガンと痛むが、殴られたたんこぶのような跡はなく、記憶を失うに至った酸素不足による痛みと推察された。

痛む頭を押さえながら、柊は部屋を見渡した。
着ている服は、並盛の制服のままだった。しかし、寝苦しさを和らげる為だろうか、いくつかのボタンは開かれていて、いつもより緩めの首元がすこしだけひやりとする。

部屋は一面暗く、照明はない。わかることといえば、ここがとても広い和室であるということくらいである。

ここは一体どこなのか?

この場に至るまでの経緯がわからない柊の頭の中は疑問だらけである。しかし、丁寧に敷かれた布団と緩められた首元から察するに、彼女をここに連れてきた人間からはそれなりに彼女に対する労りがあるのでは、と柊は察した。


すると、突如どぉん、という音がひびき、俄に室内は明るくなった。
まるで戦闘でも起きたのか、という轟音と紅い光源は、あっさりと収束し消えていく。柊は布団を抜け出して、光源の先にあった障子に近寄ると、そうっと戸を引いた。


「起きたの?」
「……あ、はい」
「そ」


障子を開けたら、すぐそこは縁側だった。
そこに腰かけていたのは、端正な顔立ちの見知った男だった。夜空を見上げて物憂げな表情を浮かべる彼の姿はまさに”黒髪の天使”。だが、振り向いた瞬間に儚さは霧散し、しらっとした表情を浮かべられてしまう。


どどん…


再び空気は震えた。
今度は金の柳が夜空に走る。美しい放物線はまるで流れ星だ。柊は夜空を見上げ、今が夏祭り最終プログラム・花火大会の時間帯であることを悟る。彼女が事件に巻き込まれてから、そう時間はたっていないことがわかった。


「今の花火は確か中盤の終わりに仕込んでもらったものですね。花火大会も残り10分ほどでしょうか」
「……?」
「今年の花火大会の発注資料にプログラムも記載しましたけど、ご覧になりませんでした?」
「いちいち花火の種類や順番なんて確認しないよ…」


どれも同じだと思ってたから、と雲雀は言って、再び空を見上げた。
ぱらぱら、と火の粉が夜空に舞って、消え落ちていく。

「座れば」
「へ?」
「ここ、座ったら」

突っ立ったまま夜空を見上げていた柊に、雲雀はそう告げた。ぺしぺしと床を叩き、彼の横に座るよう促す。柊は「では失礼します」と板の間に正座した。




「ここ、雲雀先輩の御宅なんですね」
「…」

うんともすんとも言わず、雲雀恭弥は空を見上げていた。否定をしないあたり、正解なのだろう。柊は特に追及することもせず、周りを見渡した。目の前に広がるのは白砂が美しい日本庭園で、手入れされた木々が落ち着いた空気を醸し出している。


「実は、花火って初めて見るんです」
「……そう」


ぽつり。
柊美冬は呟いた。
雲雀にとってその呟きは、あの雪の夜に発せられたような、消え入りそうな言葉に聴こえた。問わず、発さず、雲雀恭弥はただそこで聞いていた。


「お祭りも、ちゃんと見たの初めてで」
「ふうん」


CEDEFにいた頃だって、ディーノが「夏祭り行こうぜ!」と度々誘ってくれた。だが、そういう時に限って家光から課せられた緊急任務や書類が重なり、外に出ることは叶わなかった。見兼ねたバジルが屋台の食べ物を買ってきてはデスクに届けてくれたくらいで、華やかな祭りは、彼女にとってはどこか縁遠い場所だった。

実際の会場に行くと、日本の少女たちは浴衣を纏ってそれは可愛らしく着飾っていた。
柊とて、浴衣を着たいと思わない訳ではないが、着方も判らなければ衣装そのものも持ち合わせていない。可愛らしい少女たちに引け目が無かったといえば嘘になるが、それでも十分祭りの空気は楽しかった。いつもの並中の制服に、風紀委員会の腕章をつけて仕事とはいえ、存分に楽しんだ。

夏祭りの会場を草壁や風紀委員とそぞろ歩くのも、山本と屋台で遊んだことも、ハルや京子と女子会で盛り上がるのも、並盛にいるから叶った出来事だ。


「………」


帰りたくない、そんな思いが、柊の胸の内を去来した。
思わず俯いてしまうと、突如雲雀恭弥が柊の頭を鷲掴みにした。

ひゅるるるる〜〜…


「!?」
「……浮かれてるところ悪いけど、今日の働きは何?」
「ヒッ…!!」


どおおおん!!!

雲雀恭弥は、柊の首をゴキリ!と鳴らして顔を彼の正面に向ける。
正面を向かされた柊の面前には、ちょうど夜空に咲いた赤い花火に照らされた雲雀恭弥の般若の面があった。

「(お、鬼…!)」
「仕事を放っていくって言うのはどういう了見?」
「あっ、いや、それはっ」


悪いのは強引に彼女をつかまえて引きずって行った山本武である。


「君を探すために風紀委員の一部を捜索に割く羽目になった」
「そ、それは申し訳ないです……」


だが、柊が連れていかれる際に助けてくれなかったのもまた、風紀委員である。


「かと思ったら女子と一緒に群れて屋台巡りとはどういう心境なの?」
「あうっ!そ、それに関しては面目ない……!!!」


屋台の美味しい食べ物に屈したのは、彼女の不徳の致すところである。


「君には風紀委員の自覚が足りてない」
「自覚も何も……!!(なりたくてなったわけではないんですが!!!)」


恐れ多くて最後まで科白を述べ斬ることは出来なかったが、柊は怒涛の勢いで攻めあげる雲雀恭弥に慄いた。つい数分前まで縁側にいた天使はどこへ行ったのだ。いや、そもそも天使などいなかったということか。


危機を感じた柊は、頭を鷲掴みされながらもずりりと後ずさろうと試みた。
だが、柊の動きを察知した雲雀は、柊の腕を掴み、ぐい、と彼の胸に引っ張りよせてしまう。これにより残念ながら柊の顔面は雲雀の胸に強打する羽目になった。


「んぶっ!!」
「君が誰のものか、君はやっぱり理解してない」


逃げられないように腰を抱き込まれ、柊の背筋がぞわりと凍った。いつのまにか頭を鷲掴みしていた手は離れ、柊の髪をかき上げた。夜闇に浮かぶのは、普段ブラウスの襟に隠れている、白い肌である。


「この前いい言葉を聞いたんだ」
「……へ、へえ…」
「僕のものは僕のもの、君のものは僕のもの――」


雲雀先輩、アニメとか漫画見るんですねーーそんな言葉は、飲み込まれてしまった。


「君は、僕のものだよ」


雲雀恭弥は、決して彼女と視線を合わせることはなかった。欲望を象った唇は白い首筋に吸い付き、ねろりと雲雀の舌が首筋を這いまわった。

ひ、と柊が凍り付いた、その時である。

ぶつり、と肉を噛み穿つ音が、柊の身体にこだました。



雲雀恭弥の犬歯が、首筋を貫いたのだった。



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