20-04


通されたリビングルームは、獄寺の思った通りの簡素さだった。
妙に絢爛豪華な応接セットが部屋の空気と馴染まずに浮きまくっているが、基本的に物は少ない部屋である。獄寺がじっと部屋の中を見回していると、彼女は荷物を下ろすべくキッチンへ向かう。


「どうしました?珍しいものでも?」
「別に」


部屋の入り口で突っ立っていた獄寺を見た彼女は苦笑いする。ソファにどうぞ、と促されて、獄寺はやっと足を動かした。ロココ調のソファに張られているのは質の良さそうな金糸を使った布地だ。見た目どおりふかふかで、座り心地がいいそれは、まるで獄寺の実家にあるようなソファだった。

(……なんだこの空気は)

この部屋の空気にまったくそぐわない質の良さである。
それもそのはず、後からやってきたこの家具は全てディーノが彼女のためにと設えた家具一式である。彼の趣味全開で選ばれたそれらが部屋から浮くのは当然のことだった。
そんなことも露知らず戸惑う獄寺に、彼女は封筒を手渡す。

もちろん中身は、帽子代である。


「しつけーよ」
「こういうことはきちんとしたほうがいいんですよ」
「…チッ」


確かに、帽子代に使ったあのアルバイト代は生活費に直結していた。ないと困る代物ではあるが、受け取るのはどうにもきまりが悪い。獄寺が渋る様子を見せるも、彼女は獄寺の手を取って、封筒を握らせる。

「しょうがねえな」
「ありがとうございます」

その時獄寺は気が付いた。
彼女の左の瞳だけでなく、もう片方の瞳も橙色に変わっていることに。驚いた獄寺は、思わずじっと彼女の瞳を見つめてしまった。

「…」
「あ、コンタクト外したんですけど…気持ち悪いですか?」
「ンなこと、言ってねえし」
「ならよかった」

帰宅後、彼女は早々にコンタクトを外してしまったという。
まるで蜂蜜のようなとろりとした濃い色に、獄寺はついつい引き込まれそうになってしまうが、彼女は獄寺が金を受け取ったのを確認してさっさと立ち上がる。


「私はお菓子を作ってくるので、どうぞごゆっくり」


呆気なく引っ込んでいった背中を見送れば、部屋は再び静寂に包まれた。
やることもない獄寺は再びぐるりと部屋の中を見渡した。
部屋にはこれといって娯楽らしい娯楽もなく、寛げと言われてもくつろげる要素が見当たらない。

開けられた窓からはゆるい風が入ってきて、そよそよとレースのカーテンを揺らした。外からはどこからか子どもの声が聴こえてくる程度で、室内にめだった音はない。


(……)


思えば、ここ一週間過ごした沢田家は、大変賑やかだった。
いつもランボやイーピンが走り回り、沢田綱吉は困ったように笑っていた。
リボーンが無茶を言えば、沢田綱吉は悲鳴を上げることもあった。そんな皆の様子を、家の主である沢田奈々はいつもニコニコ笑顔で見守っていた。

床には子供たちのおもちゃが散らばっていて歩くのも危険、沢田綱吉の自室とてお世辞にも綺麗とは言い難い。とはいえ、そこには確かに、家庭の温もりが存在していた。



(……)


一方、目の前の部屋は殆ど荷物らしい荷物がない。やたら主張が激しいロココ調の家具があれど、キズ一つないあたり、使い込まれているわけではなさそうだ。荷物も少なく、生活に必要そうなものだけがとりあえず揃っている、といった印象で、この一週間厄介になった沢田家と真逆の光景である。


(…似てんな)


獄寺が脳裏に思い浮かべたのは、暫く帰っていない自室だ。
もちろん、彼の部屋はこんなに高級なマンションではないし、狭い。さらに言えば、綺麗ではない。だが、そこには彼にとって必要なものしかなく、誰の為でもない、自分のための部屋だった。

ここには、獄寺と同じく、一人で生きてきた人間の合理性が染みついている。

彼女の身になにがあったのかは、まったくわからない。
訊ねるのは野暮だと思ったし、なにより、獄寺自身も今この子供の姿の状態で何かを問われたくはなかった。



(まあいいか)



視界の端でキッチンに立つ彼女は、どこか楽しそうだ。
菓子を作る、ということは時間がかかりそうだなと辟易したが、その手際は随分と良い。まるで本の補修をしている時のように楽しそうだな、と獄寺は思わず笑ってしまった。どうにも呑気で平和な光景だ。


「ふわぁ………ねむ」


一日中歩き回ったツケだろうか。
瞼はだんだんと重くなってきて、獄寺は無防備にもソファの上に寝ころんだ。本当だったら誰かに眠る姿など見せたくはないが、いかんせん子どもの身体は言うことを聞かない。

ここ一週間、神経は張り詰めっぱなしだった。

沢田綱吉の目前で醜態をさらし、それどころか迷惑までかけ、戻れない苛立ちから心配する彼に八つ当たりまがいのことまでしてしまった。だが、ここには沢田綱吉の姿はなく、目の前の女も彼のことを全く気にせず呑気に菓子を作っている。

溶かしバターをボウルにつっこんだ彼女は、ゴムベラでボウルの中身をかき混ぜはじめた。勢いが良すぎたのか、思いっきり顔に生地を飛ばしてしまった彼女は、小さく悲鳴を上げている。


(こんな時までどんくさいのか、お前は)


なんとも平和すぎる光景に、獄寺の頬はついつい緩む。
自分が棲むマフィアの世界とは、まるで真逆の平和を生きている女だ、と獄寺は思った。そして、美しい橙色の瞳は、悔しいけれど引き込まれてしまう透明さがあった。

あれだけ慎重に隠していたのだ、焦げ茶色のカラーコンタクトの下に、あんな透明な橙があるだなんて、おそらく誰も知らないのだろう。そのことを思えば、妙に獄寺の気持ちはフワフワと浮つき、同時に瞼もとろとろと蕩けていく。


そうして、獄寺の身体が眠りにつく直前、彼はふと気が付いた。



そういえば、俺、コイツの名前、知らないな、と。






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