美冬は残りの夏休みのすべてを家に引きこもって「ムクロ」一行捜索に費やした。
笹川了平には「しばらく朝は一緒に練習できません」と、雲雀恭弥には「しばらく仕事はお休みします」と電話で一方的に伝え、自宅に引きこもった。(なお、恐ろしいからどちらからも返事は聞かずに電話を切った)
朝から晩までPC前でモニターを触るのは久しぶりだ。美冬はガンガンにクーラーをかけながら、じっくりと各所のセキュリティを突破しつつ、ムクロの姿を追った。
ムクロは、歳のころも彼女とそう変わらない、美しい顔だちをした少年だった。
脱獄囚というからいったいどんな厳つい大男なのかと思っていたから驚きである。だが、収監された理由を見れば極悪非道もいいところで、人は見かけによらないとはこのことだな、と柊はしみじみ思いながらキーボードを叩き続けた。
彼らは雑踏の中に溶け込むのが異様に上手かった。CEDEFの調査員が見逃してしまうのも無理はない。あらゆる会社の、あらゆる監視カメラを横断して確認出来なければ、彼らの姿を見つけ出すのは至難の業だろう。
美冬がCEDEFに来たばかりの幼い頃、暇つぶしにと父の蔵書を見ながら各社のセキュリティを破り続けていた経験が、今、生きていた。
「……これは父さんのお陰ですね」
数日モニターに張り付いていたことで、掴めた事実がいくつかあった。
まず、ムクロは単独で行動しない。道中様々な場所で仲間と合流し、脱獄から4日で彼らはオセアニアに赴いていた。沢田家光にそれらの情報を送付して、美冬はふぅ、と溜息をつく。モニターから視線を移すと、視界に入ったカーテンの隙間からは、朝日が漏れ出していた。
「あ…もう朝………って、」
はたと、美冬は自室のカレンダーに目を通した。
「今日、始業式!?」
時刻は既に、七時を回っていた。
ぎゃあ、という悲鳴を上げて、美冬はデスクから飛び上がった。
すっかり昼夜逆転の生活を送っていた美冬は、眠気で閉じそうになる瞼を必死にあけながら支度をした。夏祭りですっかり血染めになってしまったブラウスは廃棄し、新品のブラウスに袖を通す。傷は見えないように、しっかりと第1ボタンまで閉めて、赤いリボンを結ぶ。
極めつけは、図書委員長の腕章を巻いて、いつもどおりの柊美冬の出来上がりだ。
「ひ、酷い顔…」
恰好こそ“いつも通りの自分”ではあるが、鏡の中の彼女は、すっかり目の下に隈が出来ていた。それもそのはず、本日は一睡もしていない。眠気と戦いながら支度を終えた柊は、重いからだを引きずって登校した。その直後であった。
「柊!!!どういうことだ!!!俺の何が不満なんだ!?!?」
「ひぃ!?」
おはよう、なんて挨拶をしている場合ではなかった。
教室に入った途端、笹川了平は柊美冬に大声で詰め寄ってきた。それまで明るくざわめいていたクラス内が、水をうったかのように静まり返り、柊と笹川を凝視した。
「急にどうしたというのだ!?俺のことが嫌いになったのか!!?」
「いや、誤解しか生まないのでその言い方やめていただけますか……」
それは、朝練をすっぽかしたことに対する、笹川の抗議だった。
CEDEFに属している以上、CEDEFの仕事は美冬にとって最優先である。そういえば、先日笹川には『家のこと(仕事)があるので、朝練にはしばらく出られない、ごめんなさい。』と電話をしたが、用件だけ伝えて電話を切ったため、彼の了承はとっていなかったことを、柊はぼんやりと思い出す。
何も知らないクラスメイト達は「あの二人付き合ってたのか」「知らなかった…」など思い思いにざわめいた。柊が慌てて「違います」「だから違いますって」と方々にツッコんでいると、笹川はずい、と己の右足を柊に差し出して堂々と宣った。
「お前が来なくなってから、なんだか知らんが急に右足に張りが出てきた」
「ええ…?」
突如ぶっきらぼうに投げ出された足。ふんす、と笹川は鼻息荒く、”見てみろ”とばかりに柊を見下ろした。しぶしぶズボンの裾をめくった柊は、「うわっ」と短く声を上げた。そこには、全く意味をなしていないでたらめなテーピングが施されていた。
「いや…これじゃテーピングの意味ないですよ」
「知らん!自分でやったらこうなった!」
「夏休み前にやりかた教えましたよね?」
「忘れた!」
なぜそこまで自信ありげなのか。柊は呆れ顔で笹川を見上げるが、その時クラスメイト一同はこう思った。笹川、拗ねてんじゃん、と。
「さっさと戻ってこい」
「い、いやでも…(仕事が…)」
「お前がいないと、……どうにもならん」
がしがし、と笹川了平は頭を掻いた。その顔は少しだけ、赤い。
「……」
美冬はCEDEF所属の監視員である。
沢田綱吉とその周囲を見張ることであり、今はCEDEFからの依頼で、いち早くムクロの行き先を突き止めるのが最優先任務だ。
だが。
目の前のクラスメイトの憮然とした、だがどこか拗ねたような顔は、睡眠不足で判断能力が低下した彼女をおおいに、おおいに揺さぶった。時に人はその現象のことを「母性本能に訴えかけられた」と言ったりもする。
「…………わかりました。明日からまた朝練行きます」
「ほ、本当か?!」
「はい」
たっぷりの間の後、柊美冬はそう答えてしまった。
本来的には、任務を優先するべきである。だが、目の前の少年のせいいっぱいの主張を無視することは出来なかった。働かない頭脳は、易々と不利益を忘れ、彼女に安請け合いをさせてしまった。
(……まあ、放課後真っ直ぐかえって仕事して早く寝ればなんとかなりますよね)
諸手を上げて喜ぶ笹川を見てしまえば、そう思わざるを得ない。
柊美冬は目の下に隈をこさえながら苦笑いすれば、笹川了平は彼女の想いなど知る由もなく、にぱ、と嬉しそうに笑った。
そして、クラスメイト達はその様子を、生温い眼差しで見守っていた。
(ああ、帰って来たなぁ…)
たった数日、されど数日。
誰とも会わず、モニターを見つめる日々を送っていた美冬は、ゆるゆると肩の力が抜けていくのを感じていた。きらきらと輝く笹川了平の笑顔、彼を囲んで明るく笑うクラスメイト達、その中に存在している、自分。
彼女が大好きな、並盛の日常が、再び始まろうとしている。
(もう、どこがホームか、わからないな)
感じた罪悪感は、確実に胸の奥底を抉った。