廿玖ノ参

ディーノが美冬の部屋に到着した時には既に、CEDEFの医療スタッフと名乗る女医数名が待機している状態だった。
運んできた少女を見たスタッフたちは、血相を変えながら彼女を寝室に運んでいく。ディーノもついていこうと寝室に足を踏み入れるが、目の前には女医が立ちふさがり、後方からはロマーリオに首根っこをつかまえられて先に進めない。

「んなっ!!」
「すみません、ここから先は…」
「俺は美冬の…!」
「ボス。レディの身体を見るのは、大事な時だけにしておけ」
「な!!!!!」

ロマーリオに言われてはっとしたディーノは、まるで火がついたように顔を赤くした。
これから行うのは診察と治療だ。場合によっては、美冬の衣服ははぎ取られるわけで、無粋なのは自分だということにディーノは今更気が付いて、意気消沈する。

「わ…悪い…美冬を頼む…」
「承知しております。お待ちくださいませ。」

ディーノがぺこりと頭を下げると、女医はくすくす笑って居間で待つように指示をした。そして、白衣の内ポケットから、小型端末を取り出した。


「…お待ちの間、こちらをお使いください。」
「?」
「親方様から承っております。こちらの端末に通信が入りますので、お待ちくださいとのことでした。」



では、と寝室の扉が閉まる。
残されたキャバッローネファミリーの二人は、端末に視線を移し、続けて顔を見合わせた。今回の日本出張のために誂えたスーツは、二人揃っていつの間にか泥と草にまみれてボロボロだった。

「…着替えるかな」
「用意できてるぜ」
「お、流石だな。」

ロマーリオは持ってきていた手提げから、ディーノの普段着一式を取り出した。キャバッローネファミリーの腹心は、何と言っても準備が良いのがウリであった。

「お前は着替えねーの?」
「ボスが着替えたらな」

ディーノが黒のネクタイを緩める横で、ロマーリオは窓の外を見ていた。並盛で一番高いこのマンションの最上階にカチコミする輩などいないとは思うが、こちらはマフィアのボスの着替え中である。警戒は怠らない。

「そういやよ、ボス。この前ボスがこの部屋爆発させたことあっただろ」
「……お、おう」

それはつい先日のことである。
疲労して帰ってきた妹分にコーヒーでも入れてやろうとディーノがキッチンに立った時のことである。なぜかガスコンロが爆発し、室内がめちゃくちゃになった、なんてことがあった。ディーノはミスした覚えはないため、またお説教か、と苦い顔をする。


「あの時、うちの業者がこの部屋の壁紙も張り替えたんだがなあ」
「………ん?」
「壁紙はがしてみたら、お嬢の部屋だけ、通信電波を遮断する特殊装置が張り巡らされているらしい。」
「は?どういうことだ?」
「さあなあ。少なくとも盗聴や盗撮は絶対に出来ねえだろうな」


ロマーリオは、外を警戒したまま、決してディーノに顔を見せることなく淡々と宣った。この部屋はCEDEFが美冬のために用意した部屋と聞いている。シャツのボタンを外しながら、ディーノは首を捻る。


「なんなら、下の階には住人がいないそうだ」
「は?」
「工事のために挨拶へ行ったら、もぬけの殻だったそうだ。調べてみたら、一つ下のフロアも、横の部屋も、沢田家光名義で借り抑えられていた。」
「……」


沢田家光は、用意周到だった。
一番安全なところで、誰からの干渉も受けないように、美冬を閉じ込めておく――やり口は、基本的にイタリアにいたころと変わっていないのだ。ディーノがベルトに手をかけた、その時である。ソファに無造作に置いていた端末が、ブルブルと震えた。外部からの電波は遮断されているが、どういう訳かCEDEFの専用回線は使えるようだ。


「こりゃもう後には戻れねーな」


ロマーリオは乾いたような笑いを浮かべた。



「のぞむところだ」



ベルトを外す手を止めて、ディーノは端末を手に取った。

















通話が終わったと同時に、女医が居間へとやって来た。
彼女に呼ばれたディーノは、改めて寝室へと通され、美冬との面会を果たす。
処置を施された美冬は、すやすやと眠っていた。


「暫くは目を覚まさないと思います」
「そうか」


女医の見立てでは、幸いにして美冬に骨折などの大怪我はないそうだ。
見た目には擦り傷や切り傷がそこここにあるし、あの愛くるしい(とディーノは思っている)顔はぼこぼこにされていて、てっきり肋骨の一本くらいは折れているのかと思っていたのだが。

「腹部にも打撲痕がありますが、内臓には特に問題なさそうでした」

所見を述べる彼女は胸を撫で下ろしたように言うが、そもそも腹部に打撲痕ということは何らかの危害が加えられたという意味に他ならない。耳にするだけでも頭に血が上りそうなのに、実際に目にしてしまったら、怒りは収まらなかっただろう。やはり部屋を後にしていてよかった、とディーノは思った。

「では、投薬についてロマーリオ様と打ち合わせをしてまいります」
「ああ、頼む」

先程の通話で、キャバッローネは沢田家光から美冬の面倒を見るよう依頼を受けた。勿論相応の見返りと補填があってこそだ。何よりも、この状況で美冬を放っておく気にはならなかった。ロマーリオも「有休が」とか「バカンスが」とごねはしたものの、最終的には了承してくれた。彼もまた、美冬を一人にする気にはならなかったらしい。


女医がロマーリオと打合せるためにと部屋を出て行き、部屋には眠る美冬とディーノが残された。

改めて見渡した寝室は、殺風景だった。
ベッドと、クローゼットと、彼女専用の特別製パソコンがあるだけだった。
クローゼットは開け放たれていたが、制服以外に、まともな服はかかっていない。思えば、並盛に来てから、制服以外の美冬を見たことがなかった。


「美冬」


この部屋の玄関には写真立てがあった。
今までその存在に気が付いたことはなかった。それもそのはず、ディーノが来るたびに部屋の主が伏せていたからだろうと、今更ながらに悟る。写真の中には男女3名と、赤ん坊が写っていた。そのうちの一人は、沢田家光だった。今とそう変わらぬ、明るい笑みを浮かべた男。もう一人の男は少し冷たい、かっちりした印象の男。そして女性は、橙色の瞳を持つ、春の陽だまりのような微笑みを浮かべ、ふやふやの赤ん坊を抱いていた。


「なあ、美冬」


懐かない猫を手懐けるようなつもりで、楽しかった。
いつの間にか、妹のようだと思っていた。
それが、恋に変わっていた。…はずだった。


「俺にはもう、何が何だかわかんねーよ」


腫れあがった頬を見るだけで痛々しいと思えてくる。

だが、湧き上がってくる気持ちの奥底にあるものが、果たして親愛なのか、それとも恋なのか、別のものなのか、もうわからない。

ふいに零れ落ちた呟きは、誰も拾うことが出来なかった。










静々と眠る美冬の頬に、橙色の光が差し込んでいた。

季節はいつの間にか、夏から秋に変わろうとしている。

ひたひたと、夕闇が二人に降り注ぐ。







柊美冬は、何も知らない。



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