廿玖ノ壱

たまたま日本に訪れていたディーノの下に、沢田家光から連絡が入ったのは、ほんの少し前の出来事である。

「……美冬が、連れ去られた?」

連絡が入った時、ディーノは日本の首都にいた。キャバッローネファミリーのボスであるディーノとその部下ロマーリオを乗せたリムジンが、首都高で渋滞にはまり抜け出せないでいた時のことである。じりじりと車内に照り付ける夏の日差しと湿度に、うんざりとしていた時のことであった。

今回は、ボンゴレとは特に関係のない、別の取引のために日本を訪れていた。仕事が片付いたら、帰りしなに弟弟子の沢田綱吉と、美冬の顔でも見て帰ろうかな、なんて考えていたくらいである。

そんな中で飛び込んできた突然の報せに、ディーノは耳を疑った。
なぜ、どうして、と考える暇もなく、続けて述べられた内容は衝撃的なもの。

「脱獄囚だと!?」

どうも、先日脱獄を果たしたマフィア関係者に連れ去られたというのである。
美冬をボンゴレ関係者と分かったうえで拉致されたのかは不明ではあるものの、美冬の消息が途絶えた地点の防犯カメラを解析した結果、脱獄囚の一人が美冬を車に引っ張り込んだ姿が確認されたという。

行きの飛行機の中でロマーリオが「脱獄囚が出たらしいぜ、命知らずだよなぁ」なんて世間話をしていたが、まさか、どうして美冬がそれらと関わる羽目になったのか。

絶句するディーノに、沢田家光は間髪入れず持ち出した。


『つーわけで、キャバッローネに頼みがある』
「……あ?」
『今お前、ちょうど日本にいるんだろ?その足で美冬を取り返してくれ。報酬は弾むぜ』


沢田家光がディーノに提示した額は、とんでもない額の報酬であった。横で聞き耳を立てていたロマーリオが、傾けていた缶コーヒーをぶふぉっと噴き出したのが視界に入る。あまりにも魅力的な額に、彼は口許をハンカチで拭きながら、「ぜひ受けるべきだ、ボス」と目だけで力強く語った。なにせ、今からする取引を破談にしてもお釣りがくるほどの報酬額である。

「……」
「(ボス、受けた方が良いぜ!)」

ロマーリオはそう必死に目で語り掛けるが、一方のディーノはほんの一瞬、引っ掛かりを覚えた。ディーノとて、愛する妹分を助けたい気持ちはもちろん、十二分にある。

だが、どうしても“釣り合いが取れない”とディーノは感じた。

沢田家光のような男が、ただの事務員に、何の見返りもなく、命を救うために、これだけの莫大な金額を擲つだろうか。
まして、規模は小さいとはいえ、決して弱くはないキャバッローネファミリーのボスに直々に頼むなんて、キナ臭い。


「………うちもひとヤマ当ててる最中だ。ここは交換条件と行こうぜ」
『お?珍しいな。』
「…報酬額は減らしてもらって構わない。だが、俺の質問に答えて欲しい。」
『……ほう?』


電話の向こうにいる沢田家光の声が、若干の緊張を帯びるのを、ディーノは聞き逃さなかった。






「あの娘は、いったい、何者だ?」















ディーノは敵の本拠地と思しき黒曜ヘルシーランドの敷地内に侵入した。CEDEFから全面協力を受け、彼女が囚われているのは十中八九ここであると連絡を受けてやってきたのである。うっそうとした森を抜け、少し開けた広場には、彼もよく知る、知り合いの中学生・山本武が倒れ込んでいた。

「おい山本!大丈夫か?!」

見知った顔が倒れているとあって、ディーノは罠をも顧みず山本に駆け寄った。ロマーリオはディーノの背後を守りながら、随時端末を使ってCEDEFと連絡を取っていた。現場の様子を事細かに伝え、救護班の出動を要請する。

「…ぅ…」

ディーノが様子を見るに、山本は怪我こそしているが命に別状はなさそうである。戦闘の形跡が残る敷地内を探索すれば、揃いのモスグリーンの制服を来た者が所々に倒れていた。美冬をさらったのも、モスグリーンの服を着た女だという。どうやら、彼等が脱獄囚らしい。

「すげーなアイツら…」

仮にも、敵は脱獄囚である。それを、どうにかこうにか倒しながら、彼らは先へと進んで行ったに違いない。弟弟子たちの成長についついニヤリと笑ってしまうが、肝心の妹分の姿は見当たらない。
一方で、敷地の中央にある建物からは、ドォン!という発破音が聞こえ、みしみしと建物が揺れる。敵方に爆薬を使う者がいない限り、あれは獄寺が戦っている音なのだろう。

「加勢してやりてーけど、今は、な」
「契約違反だからやめとけよ、ボス」
「わーってるって」

沢田家光と交わした契約内容は、キャバッローネは出来るだけ人目につかぬように美冬を助け出し、彼女の自宅にて静養させること。これに対しキャバッローネは、莫大な謝金と共に、柊美冬に関する情報を沢田家光から引き出すこととなった。

「しかしボス、お嬢の話を聞いちまったら、もう後には引けないぜ」
「いんだよ別に。俺は美冬のことを知りたい。」
「ウワーもう俺の手には負えねえ。さっさとどこかのご令嬢と縁談進めておけば良かったぜ」
「…………」

契約はロマーリオに相談することなく、ディーノが勝手に取り付けたものである。
相談しようものならば、頭脳明晰な部下は絶対に余計なことに首を突っ込むな、と口酸っぱく言うに違いないと考え、ディーノの独断で家光と話を進めてしまったのだ。案の定、通話が終わった後に、ロマーリオはなんてことをしてくれたんだ、とディーノに詰め寄った。


「それに、こっちに頼んでくるくらいだ。CEDEFだって今更隠し通すつもりもないだろ」
「まあな。これまであんだけ自分の手で隠して置いたお嬢を、余所のマフィアに保護依頼出すくらいだ。よっぽど切羽詰まってるんだろうな」
「だろ?……付け入る隙もあるかもしれねーと思って。」


ニヤリと強気の笑みを浮かべるディーノに、ロマーリオがやれやれ、と声を漏らした、その時である。建物の片隅から、ぬ、と人影が現れた。


「…!?」「美冬!!」


声を上げたディーノに、彼女が気が付くことはなかった。
だが、間違いない。間違いようがない。
あの背丈、歩き方、髪の色、全てがディーノが慈しんだ少女のそれであった。だが、その身体には無数の傷と血が滲み、頬は大きく腫れて、痛々しいことこの上ない姿である。彼女に何があったのか、考えるだけでも身の毛がよだつ。
焦燥感を胸に、ディーノは彼女を追った。


「おい、美冬!待てって!」


なおも彼女は気が付かない。
まるで聞こえていないという風に、足早に近くの茂みに入っていく。どこかに敵が潜んでいる危険性なんて全く顧みないかのような、慎重さに欠ける足取りだった。

(くそ、あれじゃすぐ的になっちまう…!)

彼女はどちらかというと慎重に慎重を期す、日本語で言うところの石橋をたたいて渡るタイプなのだが、何故か今、その慎重さは取っ払われていた。ずんずんと歩みを進めていく彼女と距離を縮めようと、ディーノは足早に茂みに分け入った。



「…っ!いた!」






ざわざわ、と木の葉がざわめく。

一本の木の前に、美冬は立っていた。


彼女の頭の少し上にある枝に、白くて、大きな鍔の帽子が引っ掛かっている。少し背伸びをしてそれを手に取った彼女は、喜びからか、きゅう、と口許を引き上げた。どうやら大事なものらしく、ぽんぽんと埃を払っては、ぎゅっと帽子を抱き締めた。

「…?」

だが、ただの喜色にしては様子がおかしいようにも思える。
うっとりと細められた橙色の瞳と、まだまだつり上がっていく口許。めったに顔色を変えない彼女が、頬を紅潮させるさまに、ディーノは足を止めた。

まるで、美冬ではないような、何か。



『準備は整った』




ディーノの耳では、その音も言葉も、聞き取れなかった。
だが、唇のかたちから、事の葉を読み解くことが出来た。




『さあ、はじめましょう』




いっとう細められた透明な双の橙は、ふいに青空を見上げた。
橙の瞳に鏡面のように映し出された青空には、雲一つも見当たらない。やがてその青空を抱き込むように、美冬の瞳はゆっくりと閉じられた。


「……美冬?」


やがて、かくん、と膝が落ちた美冬の身体は、草むらの上に放り出された。




「美冬!?…っ、おい!おい、美冬!」







ディーノは慌てて青草を駆けた。

倒れ込んだ美冬の躯体を抱き留めると、湿った土と、泥の香りが鼻をついた。










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