廿漆ノ壱

“彼”の話をしよう。


彼は突如、ここに連れ去られてきた身である。
ボンゴレ10代目の情報を求められたが、決して彼は口を割ることはなかった。彼は幼い身なりではあるが、これまで裏社会を生き抜いてきた立派な情報屋だ。彼は誠実で優しいボンゴレ10代目を裏切ることなど、到底できなかった。沈黙の掟(オメルタ)を盾に、彼は絶対に、情報を漏らそうとはしなかった。


『では、しょうがありませんね』


自分がマインドコントロールをかけられていることに気が付いたのは、記憶が飛んで3度目の時だ。マインドコントロールを跳ね返そうと、心を閉ざすようになって数日。いよいよ、情報屋として大事な能力さえ失う羽目になった。



『こいつ、まじでつかえねーびょん!』

自分を連れ去ったうちのひとりは、荒れに荒れた。


『どうしますか?殺しますか?』

もう一人の眼鏡をかけた男は、冷たい目でこちらを見下ろした。
いっそ、殺された方が楽だと思った。ランキング能力を失って、沢田綱吉達に迷惑をかけるしかない自分に、生きる価値があるのかよくわからない。


『まあ、もう少し様子を見ましょう。ひとまず、彼が持っていたコレ、使ってみましょうか』

首謀者と思しき濃紺の髪を持つ男はそう言って一枚の紙を手にした。
あれは、その昔自分が作ったランキングだった。



(……ツナ兄、ごめん)



遅かれ早かれ、彼らは沢田綱吉に辿り着いてしまうだろう。自分のせいで。
閉ざした心の内で、彼は涙を流した。








連れて来られた最初の頃こそ縄で縛られていたが、彼らの目を盗んでアジトの敷地内を散策できる程度には自由が許されるようになった。どうせ、自分に駆けられたマインドコントロールによって、敷地外に出ようとしても連れ戻されてしまうのだから、縄を解いたところで特に問題はないと判断されたのだろう。

そして、10日が経った。

その日は朝から来客があった。雲雀恭弥だった。
あっという間に乗り込んできたが、彼は首謀者である六道骸に敗北してしまった。


(……僕のせいだ)


雲雀恭弥に異変があれば、やがて沢田綱吉も巻き込まれてしまうだろう。
予感はすぐに当たった。
その日のうちに、沢田綱吉やリボーンらがこの敷地に乗り込んできてしまったのだ。隠れて見ていたはずなのに、まんまとビアンキに気配を悟られて、綱吉達の前に姿を出さなければいけなくなった。

『みんないるからもう大丈夫だぞ!』

一緒に帰ろう。
沢田綱吉はそう言って笑った。
あまりにも魅力的で、眩しい言葉だった。
けれど、彼をここまで連れてきてしまったのは、自分だ。

ボンゴレ10代目の命を危険に晒したのは、自分だ。


『こないでツナ兄。僕……もうみんなのところには戻れない。僕…骸さんについていく…』


本意なものか。
だが、自責の念が、彼の足を動かした。沢田綱吉の慌てたような声が、背後から聞こえる。彼はいつもそうだ、慌ててばかりで、いつも温かい。

涙が滲むが、足は止めない。
自分はもう、彼の傍にはいられなかった。







森を抜けて建物の裏手に回り込む。苔生した扉を開けて中に入りこむと、彼は大きくため息を吐いた。

「……っ、はぁ…」

ろくに飲まず食わずでの全力ダッシュは、キツかった。少しずつ衰弱しはじめているのは、自分でもわかる。最低限命を繋ぐための食糧は与えられているようだが、それも自分の意識がない時に食べさせられているようだった。
腹は満たされているはずなのだ。が、食べた意識がない分、絶妙な飢餓感がフゥ太を襲う。

「おなかすいたな…」

だれに聞かせるでもなく、フゥ太は独り言ちて、視界の先にある階段を見下ろした。ここは通用口で、地下室へと直通しているのだ。

トントントン、と階段を降り、この先にある地下室へと足を運ぶ。

おそらく、あの部屋には雲雀恭弥がいる。

六道骸によってボコボコにされた雲雀恭弥がどこかに連れられて行くのを、フゥ太は見ていた。建物内を調べて分かったことだが、この建物の中で密室になっているのはあの地下室より他ないのだ。


(せめて、ツナ兄の力になる人を自由にできれば……)


だが、雲雀恭弥でさえ敵わなかった相手に何が出来るだろう、とも思う。
一段一段、深まる闇と共に、心の奥も曇り始めてしまう。

やがて最深部に辿り着いた彼は、地下室の扉を開けた。









果たして、そこには雲雀恭弥と共に。


「えっ?」


彼の知らぬ女が、倒れ込んでいた。
音を立てないように気を付けながら扉を閉めると、フゥ太は一目散に女に駆け寄った。
制服は着ていないが、歳のころは京子やハルと同じくらい。左頬が大きく腫れ上がっていて、容赦なく攻撃を受けたであろうことが察せられた。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

声をかけるが、ピクリとも動かない。
だが、すうすうと寝息を立てているあたり、命に別状はなさそうだ。
フゥ太は、ゆさゆさと彼女をゆすった。

(もしかして、この人も、僕のせいで……)

自分は一体、この件でどれだけ人に迷惑をかけているのだろう。
年頃の女の人が、こんなに頬を腫らして、あちこち擦りむいて、怪我をしている。これがハルや京子だったらと思うと、あまりにも居た堪れない。
涙が滲んだ、その時である。



「んぅ」



うっすらと、女の瞼があいた。
その瞳の色は、どこまでも透明な橙。

「あ……良かった…っ」

命に別状はなさそうだ。安堵から、フゥ太がぽろりと涙を零した時だった。
女はうう、とうめいた後に、ふわぁ、と欠伸をこぼした。




「あー……よく寝た………」




完全に、寝起きのそれである。
まるで、休日に寝過ごした綱吉がこぼすような、状況にそぐわない、呑気な言葉。


「ええ………」


自身の能力を失い、悲嘆に暮れていたはずのランキングフゥ太の心はほんの一瞬だけ、悲しみから浮上した。涙はさっさと引っ込み、彼はおそるおそる、ツッコんだ。


「あのう、お姉さん、それどころじゃないと思うよ…」

「は……っ!そ、そうでした、六道骸め、よくもやってくれましたね…!……って、ん?」


がばり、と起き上がった目の前の橙は、ふと彼の存在に気が付いて視線を投げた。


「あれ?ランキングフゥ太?なぜここに?」


まったく知らない女に名を呼ばれ、問いかけられた彼は、びくりとひきつって、押し黙った。
意志を持った透明な橙。
それはとても美しくて、少しだけ、恐ろしいと思えたからだ。






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