忙しすぎて死ぬかもしれない。なんでこんなにホールに人が少ないの。なんでおれは分裂できないの。そんなことを真剣に考えてしまうくらいには忙しかった。土曜なんだから学生のバイト誰か一人くらい入れただろ! 来いよ! 今からでいいから来いよ! 本気でそうやって思っているのに、事務仕事をしていた社員さんに言えば大丈夫だと言われてホールに戻される。何も大丈夫じゃねーよ! ふざけんな!
 あとでオーナーに告げ口してやる、と社員さんを呪いながらホールに戻ったおれは、新しく来店されたお客様の様子を伺いに行く。ただいま満席。それを承知で待っている人もいるだろうけれど、おれには甚だ理解できない。他の店行ってくれ! おかげでさばいてもさばいても客は増える一方でどこからともなく湧いてくる虫を相手にしている気分だ。相手は客、相手は客、と謎の言い聞かせを行いながら入り口に向かうと待っている大勢の顔の中に見知った顔があった。鋭い目つきの壮年の男性である。


「いらっしゃいませ、ジュラキュール様。いつもの席でよろしいでしょうか?」

「ああ、今日は……」

「すげーな、鷹の目! お前こんなふうに入れんのか」

「……二人だ」

「畏まりました。では、ご案内させていただきます」


 いつもは一人でいらっしゃるオーナーの知人であるジュラキュールさんは、今日は二人できたらしい。目元に三本線の傷がある人で、ちょっとびっくりしたが案外普通の人のようだ。お二人を案内させてもらおうとしたら、他のお客さんから「ちょっと、その人後から来たのよ?」なんて声がかかる。待っている人からしてみれば当然の文句なのだが、こちらにはこちらの事情がある。だからそんな恨むような目で見ないでほしい。恨むならオーナーを恨んでくれ。


「お待たせしていて大変申し訳ございませんが、こちら、ご予約のお客様でいらっしゃいます。どうぞご容赦くださいませ」


 そうおれが頭を下げればファミレスで予約というのが納得いかないのか、不快そうな顔をしながらもおばちゃんは引いて行った。他のお客さんたちにも頭を下げてから、ジュラキュールさんたちをご案内する。一応チェーン店だけど、ここ、一号店はファミレスとは思えないようなものがたくさんある。例えば予約席という名のオーナーの知人のための隔離スペースだ。カーテンで仕切ってあって普通のお客さんが予約したところでまず入ることはできないし、普通のメニュー以外に信じられないようなお高いメニューが存在する。全部オーナーが食べたいものだ。ひどい職権乱用な気もするが、それでも利益になっているのがオーナーのすごいところだと思う。オーナーマジ有能。
 ジュラキュールさんがいつも座る席にご案内して、メニューを差し出し、本日のおすすめを伝える。勿論ジュラキュールさんは普通じゃない方のお高いメニューだ。今日はそのメニューを作れるシェフもいるし、問題ない。スパークリングウォーターを用意してテーブルに置けば、不思議そうな顔をした三本線の傷の人に声をかけられた。


「おい兄ちゃん、なんだこのメニュー。値段書いてねェぞ」

「ご予約席専用のメニューです。一般のメニューもございますが、そちらをお持ちしましょうか?」

「いらん。イード、いつものをこいつの分も頼む」

「畏まりました。それでは今しばらくお待ちくださいませ」


 ジュラキュールさんが一方的にすべてを決めてしまったが、傷の人は特に文句もないようで水を飲んでいた。おれは厨房に戻ってジュラキュールさんがいらしたことといつものメニューを頼むようにお願いした。ジュラキュールさんが来たという事実が伝わった厨房にはぴりぴりとした緊張感が走る。ジュラキュールさんの評価がそのままオーナーへ伝わることを理解しているからだろう。もしジュラキュールさんが不味いと言えばシェフは解雇されるだろうし、粗相をしたと言えばおれも解雇されるかもしれない。それを避けるためなのか知らないが、おればかりがジュラキュールさんの相手を押し付けられているような気がする。ま、別にいいけど。ジュラキュールさん、めっちゃいい人だし。
 おれはジュラキュールさんに店に出してある一番いいワインとグラスを持っていき、どこのレストランのボーイさんだってくらいに綺麗に注いでみせる。オーナーに死ぬほど練習させられた過去を思い出してほんのり涙が出そうだ。『おれに恥をかかせる気か?』。あの時のオーナーは目が少しも笑ってなかった。


「うっまいワインだなァ、なあ兄ちゃん、ここ、ファミレスだよな?」

「ええ、でもこの奥のスペースだけは特別なんです」


 お値段も半端ないしね。サービスも格段に違うしね。おれたち従業員は死ぬほど気を遣いまくるんだけどね。その場から下がり、今度は一般のお客様に集中する。食べ終わった箇所はさっさと下げ、思ってもいない「どうぞ、ごゆっくり」を吐きだし、注文を受け取っては厨房でお願いし、ドリンクバーの補充をし、料理を持っていき、お客様を案内し。そうして三度目に厨房に戻ったとき、ジュラキュールさんの料理が出来上がったとの報告を受けて持っていく。ていうか誰か持って行けよ! 冷めんだろうが!
 前菜やスープなどは一切なしで、魚料理と添えた野菜のみと少ない量の皿を持って席へと運ぶ。長ったらしいよくわからない料理名を言いながらお二人の前に置いて、頭を下げてもう一度戦場へ。ああああああああいつになったら三時になるんだよ! 早くおれをここから解放してくれ!
 料理を運んでから三十分ほど経ったのを確認してジュラキュールさんのところに向かう。ワインをお注ぎして、いらないものを下げて、とやることを頭の中で反芻し、カーテンを開いた。ジュラキュールさんの席に着くと、傷の人がきらきらとした目でこちらを見てきて何かと思った。


「美味かった! ……んで、メニューが欲しいんだけど」

「畏まりました。こちらをどうぞ」


 喜んでもらえたのは素直に嬉しいが、このまま色々頼まれるということはシェフの胃が荒れるんだろうな、と思って少々意識が遠きそうになった。


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