八時になって来店の音が鳴る。ただでさえ混んでいる時間に更に人が来たとなっては笑顔が崩れそうになるものの、どうにか頑張って笑顔を作り直して入り口に向かう。いらっしゃいませ、何名様ですか? と続くはずだった言葉は喉の奥に消えていった。長身スーツのファミレスでは明らかに場違いな人種の方々──ということは紛れもなくオーナーから先ほど電話で伺った方々であることは間違いない。自分の身なりに問題がないかを軽く確認してから笑顔を作ってお三方を出迎えた。


「いらっしゃいませ。ご予約のクザン様、サカズキ様、ボルサリーノ様でお間違いないでしょうか?」


 お三方はそれぞれに軽く驚いて、頷いたり返事をしたり笑ったりして肯定の意を示した。「それではこちらへどうぞ」とお三方を先導して本日二回目のカーテンの奥へと足を踏み込んだ。ファミレスに似合わないお三方も、この空間でならしっくりくる。ちなみにおれは少しもしっくりこない。
 席に座ってもらってから勿論のようにあのお値段の書いてないメニューを取り出して差し出せば、値段が書いていないことにはツッコミも入れず、何を食べようかとすこし考えているようだった。うわあ、やっぱ慣れてる人だ。傷の人はめっちゃ聞いて来たのに。おれはその間にスパークリングウォーターを用意して配膳する。それから彼らは一分も経たぬうちにあれやこれやと注文してきた。おれはそれを聞き逃さないように頭の中に叩き込む。オーナーからの意向でこのスペースではメモを取ったり電子パネルの操作はしてはいけないことになっている。曰く、『スマートじゃねェ』そうだ。正直無茶です、オーナー。頑張りますけど!
 注文を聞き終えて、復唱し、確認を取る。一つの間違いもなかったようで、お三方からは色好いお返事がいただけた。おれはお三方にはそんなふうに見えぬように、けれどもすぐさまカーテンの外に出てメモを取る。忘れる! マジで忘れるから! それからばたばたと厨房に駆けこんで注文を読み上げる。厨房からは悲鳴が上がった。……気持ちはよくわかる。痛いほどにな!


「イードはそこにいろ! お三方だけに集中しろ!」

「でも今店めっちゃ混んでます! 無理です!」

「くっそォォ! 今日のシフト組んだヤツ誰だよ! 無理だろこれぇ!」

「オーナーですよ!」

「ごめん今のなし! 言わないで!」

「話してねェで集中しろお前らァ!」

「はい!」


 阿鼻叫喚の地獄絵図とはまさにこのことで、厨房内はてんやわんやを超えてもはや戦場だ。それでも皆が皆頑張っているのだからすごくいいと思う。……よくねえよ! 落ち着け自分! 変な方向に飛んでいた意識をどうにか戻して、まずは前菜の類からお三方のもとへと運んだ。順番を間違えるな、動作を綺麗に、焦っていることを悟らせるな! 自分に言い聞かせながらあのお三方の相手をするのはとても疲れた。いつも来ているジュラキュールさんとは別で、とんでもない緊張が走る。オーナーからも大事な客であると言われているのだ。絶対に失敗できない。いや、ジュラキュールさんもそうだろうけど! 慣れってあるし!
 一般客側と大事なお客様を交互に繰り返していると、正直目が回ってくる。でもホールにいる人間が圧倒的に足りておらず、おれが出るしかないのである。厨房だってあれを作ってこれを作ってと忙しいのだから文句を言える状況ではないのだが、いまオーナーがいたら間違いなく文句を言っていたことだろう。もっと人を増やしてください、と。正直ね、オーナーのお眼鏡にかなった人だけしか採用しないから、ほんと厳しいのよ。しかも技術基準で選んでないし。勘弁してよねー! ほんとに!!


「イード、忙しそうなとこ悪ィが会計いいか」

「おう、いいぞ」


 脳内でオーナーに不満を垂れていると、ローから声がかかった。ちょうど一息つきたいと思っていたところなので、会計という作業は嬉しい。ローが持っていた伝票を受け取って、レジを打つ。会計を済ませ、おれはいつものよりもにっこりと笑みを浮かべた。


「ありがとうございました、またの来店をお待ちしております」

「……イード」

「ん? どうした」

「その……なんだ、お前の笑い方、っつーか、……笑顔、いいと思うぜ」


 突然ローがそんなことを言って褒めてくるものだから、おれは思わずきょとんとしてしまった。笑顔を褒められたのはオーナーに指導されたとき以来のことだ。勿論滅多にあることではない。おれがあまりに反応を示さなかったせいか、ローは踵を返しとても小さな声で「帰る……!」と言った。ただ帰ろうとしているだけならば、おれも普通に見送ったのだが、ローは首まで真っ赤にしていて後ろからでも照れていることがわかってしまった。そんなことをされたら笑っちゃうじゃねーか。ローが扉をくぐる前に、すこし大きな声をかける。


「ありがとう、元気もらった!」

「……こっちこそ。じゃあな、また来る」


 ちらりと振り返ったローは軽く手を振って店を出ていった。なんだ、キッドのやつ馬が合わないとか言ってたけど、ローっていいやつじゃん。触れていい話題かわかんないけど、憎んでるとか絶対嫌だとかじゃあないんならちょっと仲良くしてみればって言ってみようか? キラーとかと四人、男だけで遊びに行くのも悪くないと思うんだけど……。そんなふうに一瞬ちがうところに意識が飛びかけたが、おれにはまだまだ仕事が残されていた。あー、早く休憩時間にならないかなあ! ならねえけど!
 大股で厨房へ戻ると、既に三人分のデザートが出来上がっていた。あんみつに、バニラアイスに、チョコレートケーキ。よくもまあこんなにはっきりと好みが分かれたものだ。お盆の上に乗せてカーテンの奥に持っていく。商品名と一緒に各人の前に並べ、一度下げた頭を上げるとお三方がこちらをじっと見ていて驚いた。しかしオーナーの『あからさまな反応を取るな』という声がどこからともなく降ってきて、驚いた素振りを抑えることになんとか成功する。「どうかなさいましたでしょうか?」と聞けばお三方は口を開いた。


「いや、よく覚えてんなァ、って感心してんのよ、おれは」

「わしゃあ妙な手際のよさが気になっとった」

「わっしもそのホテルマン並みの丁寧な対応にびっくりしてるんだよォ、そういうとこで働いてた経験とかあるのかい?」

「……恐縮です。バイトはここでしかしたことがありませんが、オーナーの教育でしょう。熱心にご指導してくださるので……」


 いきなり話し掛けられたことで、おれの頭の中はパンク状態だ。マニュアルにないようなことをしないでほしい。しどろもどろになりそうなところをなんとか持ち直して、顔には笑顔を張り付けたままだ。やばい、顔が硬直しそう……。お三方は「へェ……あいつがねぇ」「あいつがそんなことするんか」「意外だねェ」なんて仲良さそうに話していた。


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