今日でお別れ。そう思うと、なんだかさみしい気もした。ノリでユースタス・“キャプテン”・キッドを迎え入れたことは、結果として、よかったのだと思う。
 シュウにとってこの世界は退屈で怠惰で、撃ち殺す的と自分で構成されている。だれかを本気で受け入れたこともなかったし、だれかを本当に自分と同じ人間だと思ったこともなかった。恋人や友人はいる。愛したし、愛らしいとも思ったし、一緒にいることが楽しいとも思った。けれどそれが己にとって大切なものだと思ったことはない。ペットを愛玩しながら、その動物を的として撃ち殺せる歪さ。
 育った環境は普通だったはずなのに、親が悪かったのか、なんなのか、もしかすると生まれた時から何かがおかしかったのかもしれない。けれどそれっぽく生きるのは、さほど難しいことではなかった。自分が他人と違うことなどわかりきった事実だった。

 人間は虫とは違う。人間は豚とは違う。人間は犬とは違う。人間は猿とは違う。

 そんな当たり前のことを蒸し返す意味も無く、シュウは生きてきた。自分だけ特別。思春期特有のそれかとも思っていたが、冷静な思考を持ちえるはずの年代になってもそれは変わらなかった。自分だけ特別、というのは、自分だけ異常、という意味なのだろうなァ、と思えるようにはなったけれど。
 しかしながらシュウは、そうやって生きることは苦痛ではなかった。初めからそうだから。悪くない日々。悪くない。
 その中で、ユースタス・“キャプテン”・キッドという人間は、よくも悪くも、普通ではなかったのだ。ギラギラしていた。本の中の虚構の人物だと言った彼は、あるいは人間だった。一緒にいて勝手に口が動いた。初めて同じものに出会った、そういう、喜び。楽しかった。悪くない? いいや、それは、生まれて初めての良いことだ。

 そんな日々が終わる。綺麗に消えてなくなる。シュウは、それを許容していた。いつもに戻るだけのこと。この日々の方がおかしいことなど、理解していた。諦めるのは得意だ。妥協するのも得意。なにも難しいことではない。シュウにとって、ほんのすこし、さみしいだけなのだから。
 今、目の前に立つ男は、初めて会ったときの、あの衣服に身を包んでいた。本の中の絵と全く変わらぬその姿は、非常に目立つ。やはり違う。誰とも違う、人間の姿だ。
 シュウがじろじろと見すぎたせいか、キッドの眉間にはシワが寄っていた。けれど怒ってはいないようだ。もし怒っているのなら、もう用のないシュウに殴りかかってくることだろう。キッドには遠慮する必要なんて、もうないのだ。


「なんだよ」

「ん? やっぱその服が似合うな〜いやーん素敵、って思ってただけだよ」

「は、思ってねェくせによく言うぜ」


 シュウは本当に思っている。キッドにはその服がよく似合っているし、彼に似合うということは、素敵であるという意味だ。けれど微塵も、伝わって欲しいとは思っていない。虫けら相手に生きてきたシュウにとって、自分の意思を伝える意味というものは限りなくゼロに近かった。そのせいか、態度は軽薄、言葉はぺらぺら。シュウにとって大切なのは自分が思っていることだけだった。──今は、それがすこしだけ、さみしいけれど。


「……なんだ、その顔」

「なに〜? おれがどんな顔してるって?」

「あ? ……よくわかんねェ顔だよ」


 なんだそれ。そう思う。でもきっと、キッドは思ったままを思ったままに発言しているのだろうと思った。だからキッドがよくわからねェ顔と言っているのだから、よくわからねェ顔なのだ。シュウはそう納得して、なぜだか笑ってしまった。
 キッドは調子が狂う、とでも言いたげな顔をしてソファに座っている。きっとキッドも人の気持ちを求めるタイプではなかったのだろう。だから相手から与えられると困ってしまう。自分からではなく、相手から。慣れていないのが丸分かりだった。


「……なんだよ」

「いやァ、別に? これが最後だしね〜。見ないともったいないし?」


 シュウがそう言えば、キッドは唇の端を上げて笑った。何が面白いのだろう。シュウにはわからない。そのまま、キッドはひどく関係のない話をし始めた。「そういえば、お前、恋人はいるのか?」。他愛もない話。それを続けてくれることがどれほど嬉しかったことか。シュウは唇を吊り上げて笑う。


「いるよ〜。犬みたいに愛嬌があるやつでね」

「家族は?」

「多分日本にいるんじゃないかな? よくわかんないけど」

「仲悪ィのか」

「普通じゃないかなー。あんま連絡取らない、ってだけで」

「友人は?」

「それなりに?」


 そうかとばかりにうなづいたキッドは、はたと手を上げた。色が薄くなっている。そのまま透明になって消えてしまうのだろう。人間が消える様は、当然のことながら初めて見る。シュウもその手をじっと見つめてしまった。キッドは立ち上がり、シュウの目の前まで来ると、不敵に笑った。キッドらしいな、と思って、シュウも笑ってしまう。最後に握手くらいすべきだろう、と手を差し出せば、キッドは手を取ってくれた。シュウよりも厚い手のひら、粗暴な指。


「一週間もいたのに、オニーサンの手に触ったのは初めてだねー。うーん、ザ・男って感じ? なのにマニキュアってレベルたけーわ」

「うるせェな」


 白い肌に、色のついた爪はよく映える。これで最後。キッドの顔を見るのも、キッドに触れるのも。シュウが手の力を緩めて、いよいよお別れ、となるはずだったのだけれど、キッドの手の力は緩みはしなかった。最後まで握ってるつもりなのだろうか? いや、でもなんで?
 シュウにあるのは軽い疑問だけだった。深くは考えることはない、感情を伴わないただの疑問。キッドは笑う。とても楽しげに。


「悪ィな」

「悪いって顔じゃないけどね〜、ま、そもそも謝られることなんて何にもされてないし、気にしなくてい、っ!?」


 力を込めて引かれるとはまるで思っていなかったためか、シュウの身体はかくんと傾いてキッドにしなだれかかるような形になる。何事か、理解できないうちに、シュウの耳元には言葉が届いていた。「これからすんだよ」。これから……する? その言葉を理解したのは、全てが終わってからのことだった。
 シュウは次の瞬間、まったく見知らぬ景色の中にいた。部屋の中にいたはずのシュウは、屋外にいる。しかも夏のようなじりじりとした日差しが己を焦がしている。ここは、どこだ? 前後不覚、とはまさにこのことを言うのだろう。あとになってみればそんなふうに思うほど、シュウは何も考えられなくなっていた。


「ようこそ、おれの世界へ」


 キッドがそう言って、笑う。楽しそうに、悪辣と。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -