キッドは、理解し損ねていた。というよりは、理解しがたいものであると思いたいだけのかもしれない。
 男──シュウが言うには、この世界は異世界であり、キッドの生きていた世界ではないのだという。その時点でこいつは何を言っているんだと苛立ったが、次の一言でおおよそのことを理解した。……理解してしまったのだ。

『簡単に言えばオニーサンの故郷もないし、旅してた仲間だっていない。はじめっから存在してないことになってんの。地続きでも、海を渡っても、空を飛んだって、どこにも存在してないってこと。わかる?』

 それがもし本当のことならば、キッドはわからないのではなく、わかりたくなかった。そんなもの、自分の力では帰りようがないではないか。そんな“異世界”を否定しようとしたキッドに突きつけられたのは、見たこともないような機械や文化の数々だった。栄えたそれが、キッドの世界にはありえないものだとわかってしまった。わかるしかなかったのだ。
 にわかに絶望の淵に立たされたキッドに、シュウは妙に優しい笑顔で語りかけた。それがたまらなく不快だったのだが、シュウはそんなことに気がつきもしないで話を続けた。

『大丈夫、ダイジョーブ。手紙にも書いてあるでしょ? 一週間ありゃあ勝手に帰れるんだってさ。よかったじゃん』

 へらへらと笑ったシュウは、そして提案した。

『一週間なら衣食住の面倒みてあげるよ。ここは寒いし、うち来れば?』


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 それから一日、家の中で能力を使わなければ適当に過ごしてくれて構わないとキッドは放任されている。服もサイズがそう変わらないため、適当に着てくれと提供されたし、食事はシュウが用意していた。食べたことのない料理、見たことのない機械、読んだことのない文字。すべてがキッドの頭痛の種になる。


「アハハ、そんな顔したってしょーがないっしょ?」


 この馴れ馴れしいシュウもそうだ。妙に気安いし、キッドは話しかけられるだけで腹が立った。まだ一日しかたっていないのにキッドは何度か殺すまではいかなくとも、暴力に訴えてやろうかとも思った。思ったが、食料を十分に貯蔵していないこの家ではシュウがきちんと動けなければ食事が出てこないし、シュウが言った“ケーサツ”とやらにこられても迷惑だった。
 たった一週間とはいえ、いや、たった一週間だからこそ野宿なんてものはごめんである。あたたかい寝床も、食事も確約されている。ならばシュウのことなど無視をしておけばいいのだ。そして、あと一日になればなぶり殺したっていい。キッドは気は短いが、損得勘定くらいはできる。
 ……そう思っても、面倒なことにシュウという男はキッドに対し、警戒心がまるでない。いくら不機嫌な顔をしても、自分の絡みたいときに絡んでくる。キッドはシュウのことなどただの宿主くらいにしか思っていないのにもかかわらず、シュウはキッドに興味があるらしかった。その感情がなんであれ、面倒なことには変わりなかった。


「不満げだけどさァ、超高待遇でしょ? ちょっと小うるさいおれがついてるだけじゃん」


 キッドはそれが一番気に食わないのだが、どうやらシュウにはそれは伝わっていないらしい。シュウの言葉を無視し続けているというのに、シュウはずっと話しかけてくる。いい加減苛立ちが頂点に達したとき、音が鳴った。聞き慣れない音にニヤニヤ顔だったシュウは不満そうな顔になって立ち上がる。何かしらの機械の前に立つと、取っ手のような何かを手に取り、取っ手の先の片方を耳に当てた。


「Hi, Who's──ああ、どうも……マジで? わかった。取りに行くわ。あいあい、連絡ありがと」


 取っ手に話しかけているところを見ると、どうやら電伝虫に近い何かだったようだ。かちゃんと取っ手を置くとシュウは振り返ってキッドのことを見た。取りに行く、と言っていたから出かけるのだろう。予想していたとおり、シュウは「出かけてくる。火事とか起こさないよーにね」と笑って出ていった。すぐさま出ていったので、おそらくキッドからの返事は期待していなかったのだろう。
 キッドはその期待されていないとおりに返事をすることもなく、家主の出ていった家でようやく気を抜いた。シュウはキッドにとってなんとなく気のおけない男である。何かをされると警戒しているわけでもないし、与えられた食べ物に毒が入っているとも思わない。けれど感情表現は豊かなシュウの、その思考回路を理解できない気がした。


「ったく……面倒なことになっちまった」


 シュウの用意した菓子に手を伸ばして、かじる。口に残る甘さにため息をついた。することがあるわけでもない。帰ってくるまでの間、家探しでもしてやろうかとも思う。しかしながら家探しをすればシュウがキッドに絡んでくるのは明白である。妙なシュウの相手をするのは面倒だった。
 もう一度キッドはため息をついて、それからソファに寝転がった。上等なもの、というわけではないが、寝心地がわるいわけでもなかった。目蓋を閉じる。暗闇に残るのは、シュウの鬱陶しい笑顔だった。


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