おれには、気になる人がいる。勿論それは、恋愛感情としての意味で、相手は十五か、もしかするともう少し年下の男だった。自分自身、いい年してあんまりにもあんまりな相手だとは思う。非難されても仕方のない相手だ。だが男女間の恋愛が普通であるとはいえ、女っ気が極端に少ない海軍や海賊の間では男同士の恋愛というのは存外ありふれており、驚きはすれど露骨に嫌悪を示すやつはあまりいないのである。しかしそれが認められているのは男同士の恋愛など一時的な感情で、最後には女と結婚して子供を作るやつばかりだからかもしれない。

 ただ実際のところ、男だとか女だとかそんなことはまだ問題にならない。想い人であるガルムは赤犬の直属の部下であり、その仕事ぶりはあの仕事の鬼である赤犬よりもストイックで、もはや命を削るようなのである。せっかく整った顔立ちをしているというのに浮わついた噂が一切立たず、恋愛などまるでしそうもない仕事熱心な男と言ってもいい。
 なので男だとか女だとか以前に、そもそもガルムは恋愛をするのかしないのか、という話になってくる。仕事よりも大事なものなんてないと思う。ただその仕事ぶりがあるからこそ、どうにもこうにも、ないはずの母性本能がくすぐられるというかなんというか。ただ単に年下だからということだけではすまされない感情が湧くのだ。

 そんなガルムの隊に、強制休暇の命令が出された。おそらく海軍史上はじめてのことだ。海兵は激務で、休みをもらえることがそもそも少ない。だから休みを与えられて断る人間はまずいないのに、ガルムは断り続けた。
 訓練期間を除いて、海兵になっておよそ十五、 六年、彼は一度の休暇も取ることはなかったのである。それに伴い配属された部下たちもほとんど休みを取ることはない。上官が遠征に行くのに休めという方が無理というものだ。地獄と称される隊に行きたいやつもいなくて、ガルムの隊は少数精鋭。それでもなんとかやってきていたのに、部下の中でも一番の古株、ガルムの副官が倒れそうだという噂が立ってしまえばもうダメだった。タイミング的にも、それが一番だということになって休暇の命令が下されたのだ。

 ──そのガルムが今、海軍本部の方を見つめている。とある路地から、買い物袋を持ってじっと。無表情の男がそうしていたら近隣住民から苦情でもきそうなものだったが、幸いガルムの顔はとても整っているので、怪しげというよりは憂い顔で、何かあるのではと勘繰りたくなる感じだ。それに、いつもと違ってその目には焦がれるような色が浮かんでいる。妬けちゃうなァ、仕事にだけど。


「あ〜、働きたいなァ」

「……クザン大将」

「って顔してんね、ガルム」


 軽く手を上げて現れてみても、ガルムは相変わらずだった。無表情の顔は微動だにしないし、くそ真面目というか、なんというか。あまつさえびしりと敬礼されたら苦笑いだ。仕事が骨の髄まで身体に染み付いている。


「仕事中じゃあないんだから敬礼も大将もおかしいでしょ」

「いえ、おかしくはないと思います」

「プライベートで大将って呼ばれたらおれ悲しいなァ」


 なんて泣き真似をしてみるものの、別に期待はしていない。そもそも休みがなかったガルムにはプライベートなんてものは存在していなかったのだろうし、切り替えも難しいのだろう。それでいいと思ってしまっているのは、ガルムを想っている身としては寂しいし悲しいけれど。


「では、クザンさん、とお呼びしても?」


 なのにガルムがそう呼ぶものだからおれは泣き真似しながら驚いて、思わず笑顔で言ってしまった。「もちろん」と。自分でぞっとするような甘ったるい声だった。笑顔もおそらく満面の笑みと言えるようなものだったはずだ。いい年して、恥ずかしい。どんだけ飢えてんの、と内心で自分にツッコミを入れているとガルムはいつも通りの表情でいつも通りの言葉を発した。


「クザンさん、すぐに仕事に戻ってください」

「え〜、ガルムが一人で暇してると思ったから遊びに来てあげたのに」


 サボりたくて抜けてきたというよりは、休みをもらったガルムに会いたくてサボってきたのだ。年下の女がすれば愛らしい行為かもしれないが五十間近のおっさんが年下の男にやっているとなると……結構痛々しい、か?


「ありがたいお話ではありますが、自分を抜け出す口実にするのはいかがなものかと思います」


 真顔でそう言ったガルムに、だよねーと返そうとしたのだが、「ただ、あるいは自分から一つ提案ができるかもしれません」と予想外のことを言ってくるものだからおれはつい声を弾ませて聞き返してしまった。そして、すぐに後悔する。


「クザンさんの仰る通り、自分は暇になりました。ですから、こちらで可能な事務仕事を自分が請け負う、というのはどうでしょうか」


 どれだけ仕事したいんだよ。おれにはあり得ない思考回路であると驚愕すると同時に、一緒にいることを選んでくれなかったガルムに胸が痛くなる。何を期待してたんだか、笑っちまう。仕事熱心なガルムがおれにサボれと言うわけがないのに。うなずくことのできないおれに、ガルムは「仰る通りですね」と言いながらも残念そうだった。それだけのことが、ガルムならば珍しい光景だ。


「言葉のわりにすげェ残念そうだね。おれもガルムのお願いなら聞いてあげたいところだけど、そりゃあさすがにダメだ。ガルムの休暇はおれより上の決定だし、そんなことしたらおれもサカズキに怒られちまう」

「サカズキさんに、ですか」


 サカズキの名前を出すとガルムの顔に表情らしいものが浮かぶ。落ち込んでいる、のだろう。ガルムにとってサカズキは敬愛している上官で、唯一まともに表情の変わる相手だ。ちょっと悔しい。いや、ちょっとどころではない。おれに対して表情なんて変わることはないのに、サカズキと会ったときには誰が見てもわかりやすいくらい目が輝いて嬉しそうにしているのだから。なのにそういうギャップも、好きなところなのだから始末に終えない。残念ながら、ガルムはすぐに無表情に戻ってしまったのだけれど。


「では、早く仕事にお戻りください。どちらにしろ、ここにいることがわかればサカズキさんに怒られますので」

「おお、たしかに。でも、一度くらいガルムと遊びたかったなァ」

「それは自分への質の悪い冗談として受け取っておきますね」

「あちゃ〜、本気なのにね」


 冗談なんて、とんでもない。おれは真剣にガルムと一緒にいたくて、わざわざ島中を探し回るつもりでここにきたのだ。そんな思いを伝えるわけにはいかないので、冗談のように言ってしまったから仕方ないのだけど。それほど仲がよいとは言えない上官のおれとしては、気持ち悪がられるのも嫌だし、と消極的にならざるを得なかった。


「本気ならなおのこと質が悪いですよ」


 そう言って、ガルムがわずかに唇の端を上げたから、おれは身動きが取れなくなった。寂しいとでも言いたげな笑みに見えてしまって、思考が止まる。


「このままではクザンさんも戻りそうもないので、失礼ながら自分が先に戻らせていただきますね」

「……あ、うん、じゃあまたね」

「ええ、また。それでは、お気遣いありがとうございました」


 なんとか返事をしてはみたけれど、おれは呆けたようにガルムの後ろ姿を見送るだけだった。今の笑顔は、仕事ができないことに関するものなのかもしれない。でももしかしたら、もしかしたら、どうせおれと一緒に過ごせないくせにという意味だったかもしれない。万にひとつくらいの可能性かもしれないけれど、そうじゃないとは、言えないわけで。
 今まで仕事しかしてこなかったガルムのことだ。暇を使いあぐねいているだろう。ならばやはり、これはチャンスなのだ。珍しくもおれはどこかにサボりに行くこともなく、本部にある自分の執務室に向かうことにした。あの感じなら、ガルムの休暇中に休みが取れたら、おそらく一緒にいられる。そうすれば、少なくとも今よりは距離を縮められるはずだ。我ながら妙案だ、とテンションを上げたけれど、このあと待ち構えているのはやってもやっても増えていく仕事であることをおれはまだ知らなかった。


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