サイアクだ、と思った。野良犬との関係を探るために一時的に仕事を抜け出してまで話を聞きにいったのに、収穫はなし、どころか、おれがいたことなど初めからバレていたのだとばかりに目が合ってしまった。こんな失態はおれではありえないほどだ。しかも話していた内容は、偽るためとはいえ自分が行なっていることを“難儀”だの“奇行”だのと称していたのだ。苛立ちよりも先に妙なモヤモヤが胃に溜まるようだった。言葉で説明するのが難しい感情だったが、今この状況でおれと接触して欲しくない、と思っている。
 息を乱す事もなく仕事場に戻れば、誰もおれがいなかったことに気が付いていなかったかのようにするりと紛れ込めた。普通は、こうなのだ。おれの技量をもってすれば、バレるわけもない。気配などなく、ただその場にいるだけで気がつかれるわけもない。……なのに、どうして。
 妙な気持ちがこみ上げてきて、ため息のひとつでもつきたくなるが、ため息などついている場合ではない。ため息でもつこうものなら、ただでさえニヤついているカクが余計なちょっかいを出してきかねないからだ。今だってチラチラとこっちを見ては笑いをこらえている。……苛立ちがこみ上げてくるが、それを露にすれば向こうの思うつぼである。


「ルッチー! さっき頼んでやつどこだ!?」

「“向こうに置いてあるっポー”」

「おっ本当だ!」


 昨夜家について吐いていたパウリーだがもう調子は戻っているらしい。今朝方、借金取りへの返済も終えていたし、それで機嫌もいいのだろう。鼻歌を歌いながら仕事を続けるのは構わないが、調子に乗りすぎてうっかり失敗なんてことはしないでほしい。

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 妙にもやもやとした気持ちも落ち着き、仕事に専念していると、まさかの人物が訪れた。──ガルムである。昨夜“関わらない”と言ったにもかかわらず、どうしてここを訪れているのか。やはり邪魔をしにきたのか、それとも先程のことをたしなめにでも来たのか。どちらにせよ、妙なもやつきは胃の中に舞い戻ってきた。
 ガルムの存在に気がついたパウリーやカクが近寄っていく。おれはできるだけ関わらないように、息を殺していた。


「ガルムー! 昨日は酔いつぶれて悪かったな!」

「いや、気にしなくていい。お前こそ昨日は大丈夫だったのか?」

「おう! 吐いたからな!」

「限度を知った方がいいと思うぞ。飲みすぎは身体に毒だ」

「うおー……耳に痛ェな」


 自分でも飲みすぎたという自覚はあるのだろう、パウリーは苦笑い気味に言葉を返した。カクはというと、二人の会話に合いの手のように笑い声を挟んでいたが、パウリーたちの会話が一段落すると、「それで? ガルムはなんでまたガレーラに来たんじゃ?」と首をかしげた。その様子はどこか白々しいものを感じさせる。ガルムは顔をカクへと向けた。


「アイスバーグさんに用事がありまして。今、どちらにいらっしゃるかわかりますか?」

「アイスバーグさんか? そうじゃな、もうすぐこっちに顔を出す時間……ってああ、噂をすれば来たわい」


 おーい、とカクがアイスバーグに手を振った。それに気が付いたアイスバーグが手を軽く上げて近づいてくる。ガルムと認識したのか、アイスバーグは口角を上げて笑い、軽くその背を叩いた。その程度ではびくともしないガルムは、軽く頭を下げる。


「よく来たな。──カリファ、例の資料を」

「はい、どうぞ」


 カリファの差し出した資料がガルムの手に渡される。アイスバーグが隣からのぞき込むようにしてその資料の中身を説明していた。「これがオススメだがあいにく出来てるものはねェ。こっちが今在庫のあるものだ」。どうやら船の話をしているらしい。先ほど黄猿から休暇だなんだと言われていたが、結局のところ仕事をしてるのではないか、と笑いそうになった。しかし、その考えは次のガルムの言葉で途端に否定されてしまう。


「中古で構いません、帰郷に一度使うだけになると思いますので」

「……ならそうだな。レンタル、という形にするか? 買っていってもどこにも置いておけないだろ」

「可能ならばその方がありがたいです」

「わかった。値段はこんなもんだが大丈夫か?」


 アイスバーグが手元にある資料を指さして聞いている。ガルムは頷いてそれを了承した。「なら今日中に整備しておこう。早い方がいいだろう?」。アイスバーグの問いにガルムは「何から何まですみません」と頭を下げた。アイスバーグは気にするなとばかりに明るい笑みをこぼしている。
 ……昨夜、二人で飲みに行ったのは確認したが、そのときに関係が近づいたと見るのが正しいか。警戒していたはずのアイスバーグがまるで社員を扱うかのように朗らかな態度を取っているのが気になった。仕事ではない──そんなフリをしてあいつはやはりアイスバーグに近寄っているのではないか? なぜだか強くそう思った。そうであるべきだと思った。
 二人の話が一段落したところで、アイスバーグはパウリーに視線を向けた。仕事に戻ろうとしていたパウリーとカクは足を止める。


「ちょっと早ェがガルムもいることだ、飯にしてきたらどうだ?」

「えっ、いいんですか?」

「ああ。昨日も迷惑かけてたみたいだし、飯くらい奢ってやれよ」


 パウリーは散々ガルムに絡んでいたことや店の中で吐きかけたことを覚えているのか、苦笑いになりながらも頷いていた。ガルムは遠慮しているようだったが、パウリーが遠慮されたくらいで自分の考えを曲げるような性格はしていない。結局、昼飯はパウリーと取るようだった。カクが思いついた、というように笑みを作る。自重しろ、と思ったが、あの会話の中に混ざる気にはなれなかった。


「お、ならわしも混ぜてもらおうかのう。日頃からパウリーには迷惑をかけられてるしな!」

「悪かったな! あ、じゃあ、ルッチ、お前も来いよ! 昨日迷惑かけたから!」


 あのケチなパウリーがまさかこちらに話を振ってくるだなんて思っていなかったが、すぐに金が入っていて気が大きくなっているのだということがわかった。今朝無様な様を見られたこともあり、「“……おれはいいっポー”」と断りをいれたものの、アイスバーグの前では拒否権がないようなものだ。想像していたように、行って来いとすすめられてしまう。仕事を中断し、四人でガレーラを出る。──ガルムの目は、ほんのすこしもこちらを見てはいなかった。


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