あなただけに許す傷の続きなので、そちらを先にお読みいただくようお願いいたします


 ──ヒナが帰ってくる。

 遠征初日、わけのわからない告白劇から約一か月。ヒナが遠征を終えて本部に戻ってくる。前日に「そろそろ着くと思うわ」と連絡自体はもらっていたため、わかりきったことではあったが、スモーカーにとっては告白した時よりも余程、戻ってきたヒナと会うことに緊張していた。

 あんなわけのわからない告白、本人を前にしなかったから言えたということもあるのだ。そして勢いに任せて、自分の方が正しいのだと思わせるような口ぶりで、意見をねじ伏せたという自覚はある。
 ヒナだって戻ってきた頃には冷静になっていることだろう。電話口ではやっぱりやめるとは言わないと言っていたが、それが実際に守られるかどうかはわからない。誠実であろうとすれば、別れる方がいいという判断になるかもしれないからだ。

 ヒナはスモーカーのことなど好きではない。人間・同期・友人としては好かれているという自信がある。だが男だとか女だとか、そんな関係を想像させるような感情は持っていないと断言できる。それほどスモーカーはヒナのことを見つめてきたし、ヒナのことを好いてきたのだ。これだけは間違いない。
 手を出してきたことから、劣情くらいはあるだろうが、それだけで繋ぎ止めておけるとも思えない。遊び人だが常識くらいは持ち合わせている。そして誠実であろうとしてくる。スモーカーにとっていい方向に進むのか、それとも悪い方向に転がるのか。

 そんな考えたくもないことが頭の中で渦巻いた状態では、書類仕事などそう簡単には進まない。いつもよりも時間をかけて出来上がった書類を部下に届けさせようとして腰を上げるとほぼ同時、ノックの音が響き渡り、部下の返事と共にドアが開いた。


「お邪魔するわ。スモーカーくんいる?」

「ヒナ大佐! お疲れ様です。スモーカー大佐なら、あちらに」

「ありがとう。あ、これ皆にお土産。よかったら食べて」

「わー、ありがとうございます!」


 入ってきたのは、スモーカーの頭を悩ませていたヒナ本人であった。一か月前と特に変わりない態度でスモーカーの前までやってきた。


「はい、スモーカーくんにもお土産よ」

「……なんだこれ」


 ヒナがスモーカーの机に置いたのは、よくわからない木彫りの置物だった。複雑な模様が彫ってある柱、のようなもの、というのがスモーカーによる第一印象だ。しかもそれなりに大きく、机の上だと地味に邪魔になる。


「健康祈願のお守り」

「……どーも」


 にっこりとした笑みを向けられて、何か違う意図があるのではないとスモーカーは疑ってしまう。とはいえ、ヒナもそんな話をしに来たわけではないだろう。書類を部下に渡し、持っていくように指示を出し、ヒナに向き直った。


「飯でも行くか?」

「そうね。スモーカーくんにもまだ教えてない良いお店があるんだけど」

「じゃあそこでいい」


 食堂ではなく外の店を指定するということは、折り入った話があるのだろう。そして直近でヒナがスモーカーに話したい折り入った話など、一つしかない。考えたくもなかったヒナからの話を受け入れる覚悟だけ決めて、ヒナの後をついていった。
 想像通り、個室のある落ち着いた雰囲気の店だった。ヒナは何度か訪れているのか、慣れた様子で入店し、スモーカーはそれに続いて個室へと案内された。座敷に上がるため靴を脱いで、席につく。適当に食事を頼んで、個室に二人きりになると、ばちりと視線が絡んだ。


「話、あんだろ」

「あら、場の空気を温めてからじゃなくてもいい?」

「そういうのはいい。さっさと言え」


 ふざけたような調子のヒナに対し、つい言葉がきつくなった。ヒナはわざとらしく肩をすくめて見せ、それから声色を先ほどまでのふざけていたものから真剣なものに変える。


「じゃあ謝りたいんだけど、いいかしら」


 スモーカーは、ゆっくりと息をついた。想像していた中で、一番悪い結果になりそうだ。「なんだ」とヒナの次の言葉を促した。


「まずね、あなたを傷つけてきたこと。知らなかったからって何をしてもいいわけではないわ。ヒナ反省」

「電話でも聞いた。わかってておれも傍にいたんだ、別にお前に非はねェよ」

「それでも。私はスモーカーくんを傷つけたくなかったわ。ごめんなさい」


 ヒナはそういって頭をさげる。さらりと髪が流れて、細い首が見えた。白いうなじに一体何人の男が魅了されてきたのだろうとぼんやり考えた。
 そうしている間にヒナは頭をあげて、スモーカーを見た。まっすぐな瞳。こういうところにスモーカーは惹かれたのだ。まっすぐで諦めが悪くて、なのに柔軟で、妙な包容力がある。その上顔もプロポーションもよくて性癖までうまいこと合致してしまった。そういうヒナに、スモーカーはずぶずぶと嵌まっていった。


「それでね、ものすごく今更で、何言ってんだって、言われるかもしれないんだけど」


 このあとに続く言葉が“やっぱり好きじゃないとお付き合いできない”なんて言葉だったら、どうしたものかとスモーカーは考える。そのまっすぐな、偽れない感情を、受け入れたいと思う。同時に、ようやく踏み出した一歩を引き返したいとも思えなくて、胸の中がもやもやする。どちらも本心だから始末に負えない。
 答えは得られないまま、ヒナの声に耳を傾ける。遮ったところで時間稼ぎにもならない。第一、あまりにも女々しすぎる。そんな格好悪い真似は、ヒナの前だけではしたくなかった。


「スモーカーくんのこと、好きだったみたい」

「は? ……はァ?」


 あまりにも予想外の言葉に「は?」しか言えなくなる。何を言われてるのか、スモーカーにはわからなかった。ヒナは今何と言った? スモーカーくんのこと、好きだったみたい? そんな、自分に都合がよすぎる言葉が聞こえなかっただろうか。おかしい。だってそんなわけはない。
 スモーカーが見ている限り、ヒナは一度だってそんな素振りを見せなかった。出会ってから見続けたスモーカーが言うのだからこれは間違いない。恋をする人間の目は鏡の中で嫌というほど見ている。そしてその目をヒナから向けることを分不相応に期待して、そのたびに踏みにじられてきたのだ。それに、電話でヒナは言っていた。はっきり、スモーカーに恋愛感情はない、と。
 だがヒナがふざけてそんなことを言っているとは思えない。ナイーブな話題を茶化すようなことはしないとわかっている。


「ごめんなさい、あんなこと言っておいて、虫が良すぎるかしら」

「……いや、別にそんなことはねェが」

「信じられないわよね、ヒナ同感」


 ヒナ自身も無茶なことを言っているという自覚があるようで、ため息をついて、それから肘をついた。


「考えたのよ、スモーカーくんのこと。私はどう思っているのかも。そうしたら、もしかして私、スモーカーくんのこと好きだったんじゃないかしら、と思ってね?」

「……どうしてそうなったんだ」


 納得できるだけの理由が欲しくて、スモーカーはその答えに至った考えを知りたかった。ただ好きですと言われても、あんな話をしたあとだ。納得するのは難しい。
 ヒナはうなずいて、自嘲するように笑った。珍しい表情だった。


「この前、致しちゃったじゃない? あの時に思ったのよね、たしぎちゃんが家に入ってきて、なんでたしぎちゃんに鍵を渡してるんだって。きっと恋人なんだろうな、じゃあぶち壊してやろうって。ひどい話よね、ヒナ謝罪」


 スモーカーはもっと抽象的な、具体性のないあやふやな内容を想像していた。けれどヒナの言葉は、想像の何倍も衝撃を以って、スモーカーの心を激しく揺らした。歓喜だ。その言葉が嬉しくてたまらなかった。


「……嫉妬、したのか」

「たぶんね。想像上ではあったけど、それは結果論だわ。私はスモーカーくんの恋路を踏みにじろうとしたの、ごく自然にね」


 ヒナという人物は、間違っても友人の恋を潰そうとするような性格はしてない。長く一緒にいたスモーカーだからこそ、ヒナの言葉が事実だと思い知ることができた。浮遊感にも似た感情が揺れ動いて、まともに言葉を発することができない。


「ねえスモーカーくん。だから私、あなたが好きだわ」


 目を細めて、ヒナが笑う。そのまっすぐな瞳はどこかの鏡の中で見た、甘やかな色を帯びているような気がした。

遠回りの太陽

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