有知トリップ


「──おい、大丈夫か?」


 声をかけられて、目を開く。顔に何か、粒のようなものが付いている。ざらざらする。けれど熱い。なんだろうか、これは。どこかで触ったことのあるものだ。ざざんと、波音。波音? ……なら、砂? それにしてはきめ細やかなような……。


「おい、聞こえてるか? どこか痛いとことかねェか?」

「……、ッげほ」

「大丈夫か? 水いるか?」


 声を出そうとした喉が発したのは、咳だけだった。気が付かない間に倒れていたらしいおれは、喉もなぜかカラカラだった。なんでだ? まったく身に覚えがない。むせながら、ふと気が付く。倒れていた理由どころか直前に何をしていたかも思い出せない。
 最後に行ったであろう事柄が何も思い出せないなんておかしい。自分の仕事や家族構成は思い出せる。好きな食事、趣味、あんなドラマを見るつもりで、映画館で上映される作品にワクワクしていたことも、別れてからずいぶん経つ元彼女のことだって思い出せる。けれど最近の出来事となると、とんと思い出せなかった。何も、思いつかない。


「おい、大丈夫か? ほら水だぞ」


 意識はとっくに現在から記憶に行ってしまっていたが、その間も体はむせ続けていたようで、喉が痛かった。わざわざコップに入れてくれたらしい水を受け取って、それを遠慮なくいただく。水を流し込んだらさらにむせる恐れもあったが、そういったことはなく、冷たい水はおれの喉を癒してくれたようだった。


「あの、ありがとうございます」

「おう、いいってことよ。で、どうしたんだ? こんなところでぶっ倒れて」

「……それがおれにもさっぱりで。変な話だと思うんですが、気が付いたら、ここに倒れていて。海に来た覚えもないんです」


 変な話だ。信じてもらえるとも思えないし、正直おれも信じたくない。自分の足で来たけど記憶がないか、誰かに連れてこられたか、その二択になる。
 誰かがおれをこんなところに放置する意味がわからないし、そうしたらおれの足で来てしまったということになる。じゃあなんで記憶がないんだって話だ。夢遊病とか、他に人格があるとか、おれの意識のないうちに、勝手に体が動くような事態だってごめんだし、ここまで自分の意志で来たけど何か争いごとに巻き込まれて思いっきり頭を殴られたとか、そういう事件に巻き込まれたパターンだってあり得る。だけど、どっちにしたって現実味のない話だ。

 おれの住んでいたマンションは海から遠い。何せ海なし県。夢遊病で済む距離ではない。
 事件に巻き込まれたってのも不自然だ。むせた喉以外は痛みなんてないし、ちょっと殴ってやばいからって逃げたなんてことはないだろう。もしそれよりも恐ろしい目にあっていたとしたら、声をかけてくれた人がいるような、そんな場所におれを放置しておくか、と言う話である。

 なんにせよ、言っているおれ自身でも信じられないような話だ。助けてくれた彼が信じなくてもしょうがないと思う。
 とりあえずここがどこかだけ教えてもらって、そのあとできれば交番まで連れてってもらえれば、交通費を借りて家まで帰ることは可能だろうか。とんでもなくご迷惑をおかけしてしまうが、交番までいかないとどうすることもできない。もしくは駅。ていうかおれ、事件に巻き込まれているとかじゃないよな? 家に帰って平気だよな?

 おれがそんなふうに色々とごちゃごちゃした思考をまとめていると、彼は意外なまでに優しい声をかけてくれた。


「そうか、大変だったな」


 満場一致で信じた、というか、疑うことすら想定していないような声色に、むしろおれが度肝を抜かれた。


「え、あの、信じていただけるんですか?」

「あ? 嘘なのか?」

「いや、本当です。でも、自分でも信じられないことだったので……」


 嘘だと思われた一瞬だけ気配が鋭くなったので、彼は存外一般人という枠には収まりきらない人なのかもしれない。怒らせるようなことはせず、交番まで案内してもらえないか聞いてみようとして、おれはとんでもない一言を聞いた。


「グランドラインだぜ、そんなこともあるだろ」


 ぐらんどらいん。グランドライン。グランドライン──偉大なる航路? 目の前の人物が冗談を言っているようには思えなくて、おれは頭がおかしくなりそうだった。何を言われた? だって、それって、あれだろ、アニメとか、漫画とか、世界的に人気のある、あの、──。

 おれの精神は大層貧弱だったので、そこで意識がシャットダウンした。

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「必ずエースさんを守れる人間になってみせます」


 手段は選ばない。それが例え汚名を背負うことになっても、おれの命を擲つことになっても。

水際、あなたの影を踏む

エースでトリップ@匿名さん
リクエストありがとうございました!



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