「ナマエ、いるか?」


 港町一番の屋敷に忍び込んで、離れにある一室の窓をノックする。まるでコソ泥のような行い。知り合いに見られたらさぞや驚かれるであろう、大海賊らしからぬ姑息な行いだ。常であれば正面から行くであろうシャンクスであるだけに、不自然とも言えるものだった。それはすべて、ここに住む一人の為に行われている。
 シャンクスの声とノック音につられたように、いきおいよく窓が開く。輝かしいばかりの青年──ナマエが姿を現した。


「シャンクスさん、こんにちはっ!」

「おう」


 声を潜めながらも、感情を隠しきれていない。まだ成人にも満たないナマエの純粋な感情表現にシャンクスも笑みを深くする。感情が乗ったのは声だけではなく、シャンクスの姿を見てニコニコと笑っていた。そして彼はいたって普通に、それが当たり前だといったふうに、シャンクスを部屋の中に招き入れた。
 ナマエは決して四皇のような悪名高いシャンクスに怯まない胆力の持ち主などではない。四皇がどんなものか知識すらあいまいなのだ。海賊を見たことのないナマエは、四皇についても実感を伴わず、すごい人、くらいにしか思っていない。

 どうして海賊が寄港するような街で、こんなふうに純粋な人間が作られたのか。

 答えは簡単だ。この離れに閉じ込められ、一度も出たことがないからだ。外部から遮断された離れで、家主の許可が下りたメイドや従僕、それからその家主本人とだけ会うように手配されている。
 ナマエはそれを疑問にも思わなかった。シャンクスに会った当初だって、海軍から逃げて迷い込んだシャンクスが「よお、お前はこの家の住人か?」なんて気安く話しかけたのに対し、目を丸くして瞼を開閉させていただけだった。明らかに見慣れぬものを見る動き。ただそれも、すぐに今のような柔らかい態度に変わった。
 本来ならば会うはずのない人物と会える。それはナマエの好奇心を強く刺激したのだ。小さな離れに押し込められ、決められた相手とだけ話す。そんな生活で出会ったシャンクスという異物は、それはそれは刺激的だっただろう。

 ナマエにとってのシャンクスも、シャンクスにとってのナマエも、自分とは関係のないと思っていた人種だった。シャンクスから見たナマエは自分にはないものを持つ、けがれのない、生き物だ。話を聞くうちに、ナマエがそうして作られた人工物だと理解した。
 汚い蛾が、いや、巣を張る蜘蛛が、美しい蝶を見た時のような気持ちだったのかもしれない。きらきらしているものを、汚したくなるような。天女や天使を地上に引きずりおろすような。食い散らかしてやりたくなるような。


「ねえシャンクスさん、この前の話の続きを聞かせてくださいっ」

「いいぞ。確か島に到着したところからだったな」


 窓から入った陽光を浴びて、ナマエがきらきらと光る。これは自分がナマエをとても美しい、手を伸ばしてはいけないものだと認識しているせいなのか、それとも本当に光り輝いているのか、シャンクスには判別がつかなかった。
 伏せたまつ毛の美しさ。黄金の色彩は光の中でこそ、一等に輝いている。清流のような、海にはない、無味の澄みきった美しさ。

 それを自身の話で汚す、密やかな行い。実際に押し倒して物理的にぐちゃぐちゃにしてやるわけでもない、些末な行い。けれどもたしかにこれは、白いキャンバスを、自分の色で染めていく行為だった。

 おそらく、すでにナマエの変化に家主は気が付いているだろう。自分の色が塗り替えられてきていることを。何かおかしいとは思っている。変化があること自体がおかしいと気が付いている。理想を作ろうとしているのだ。その想定していたものからずれてきているのなら、絶対に気が付く。
 家主はどうするだろうか。原因を突き止めようとするだろう。シャンクスを探し当てることはそう難しいことではない。シャンクスはナマエの希望にそってなるべく見つからないように忍び込んでいるものの、部屋にまで入れてしまったでいるのだ。今踏み込んでくるだけで、すぐにわかってしまうことだ。

 ナマエは危ういことをしているという自覚があまりない。彼にあるのは幼い少年が門限を五分ほど破ったくらいの、その程度の悪さをしているという自覚だ。そういうふうに作られたから。作られてしまったから、思い当たらないのだ。

 よからぬ男が入り込み、余計なことをしていると気が付いたとき、家主はどうするだろうか。子供を閉じ込め、清く美しく育てる、そんな癖を持つ家主。想像するに極度の潔癖だ。ナマエほどの逸材はそうないとわかっていても、よからぬ男の手垢のついたナマエを、許すだろうか。許せるだろうか。


「シャンクスさん?」

「ん、ああ、悪い。つい思い出して笑っちまった。今から面白いところだからよぉーく聞いとけよ」


 つい、想像して笑みが出てしまった。ナマエは家主に打擲されるだろうか。捨てられるだろうか。さすがに殺すことはないと思うが、念のため、殺す場合に備え常に狙撃手に狙わせている。今だって誰かしらがシャンクスとナマエの会話をスコープ越しに見つめているだろう。面倒くさいことをするお頭だ、と呆れた顔で。

 楽しそうに笑うナマエを見つめる。きれいなナマエ。純粋なナマエ。未来のことなど気づきもしないで、うつくしく笑っている。
 ──殴られたら連れて帰ろう。捨てられたら拾おう。殺されそうになったら攫っていこう。


「楽しみだ」


 ナマエが海賊船に乗ったとき、彼はどうなるだろう。清いままでいられるだろうか。連れて行ったシャンクスに暴言を向けるほどになるだろうか。それとももうシャンクスしかいないと縋るだろうか。どうなってもいい。どうなったとしてもシャンクスはナマエを離す気はない。もう逃がさないと決めたのだから。

撫子

シャンクスが若い青年に背徳感を抱きながらも恋をするお話@桐生さん
リクエストありがとうございました!



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