荷物を持って逃げることを決行したその日、街の連中に見つかって父とドフィが捕まった。ドジっ子を発揮してもたもたしていたロシーとそのロシーと手をつないでいたおれが捕まらなかったのは、なんたる皮肉か。
 ロシーが目を見開いてぼたぼた涙を流しながら震えている。抱きしめれば縋るようにその腕が巻きついてきたが、そうしてずっと抱き締めていることはできない。身体を離し、ロシーと目を合わせる。ゆらゆら揺れる目はとても綺麗だ。この瞳が、とても愛しい。

「いいかロシー、お前は、拠点に戻れ」
「あ、兄上は、」
「おれは父上とドフィを助けてくる。もしおれたちが一日経っても戻らなかったら、どうにか隣の国まで行くんだ。天竜人だったことを言わず、海軍に保護してもらえ」

 正直なことを言えば、ロシーだけならどうにでもなるのだ。隣国は世界政府の息がかかっているだけのことはあって、海軍の駐屯地でもある。髪型を変えて目元でも出せば、見てもきっとわかりはしない。ロシーは天竜人とは思えないくらい優しい子だ。きっと誰かが救ってくれる。ぐりぐりと頭を撫でて、立ち上がろうとしたが、ロシーの手が服をつかんだ。

「いいなロシー」
「や、やだ、あにうえ、いかないで、いっちゃだめ、」

 言いたいことはわかる。おれが行ったところでどうなるわけでもないのだ。助けられるわけもないと幼いロシーにもわかっている。もしかしたら、殺されるかもしれないことも。ちゅ、と涙をためるその目にキスを送った。泣き顔も可愛い、綺麗な弟。

「ロシー、愛してるよ」

 お前だけでも逃げるんだぞ。そうつぶやいておれは駆け出した。

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 頑張ってみたものの、救出まであと一歩及ばず、おれも捕まってしまった。大分間抜けだ。ドフィだけでも助けられれば御の字と思っていたのだが、なかなかうまくいかないものだなァ。おれが前世ほどの年齢ならばどうにでもなっただろうに。
 投げ捨てるように床に転がされる。父は引きずられていった。顔をあげれば、泣いているドフィと目があった。いつものサングラスはどこかに行ってしまっている。


「アリィ、どうして来た、逃げられただろう……」

「フフ、馬鹿言うな。ドフィが捕まってるのにおれだけ逃げるわけねェだろ」


 おれが笑えば、ドフィの涙はもっとひどくなった。そんなおれたちは父のようにそのあと窓枠から吊り下げられ、下から火を焚かれ、矢を射られ、──いったいどこの魔女だと笑ってしまいそうになる。まあ、こいつらからしたら似たようなものか。天竜人など悪魔みたいなものだ。
 ぎちぎちと鳴るロープが食い込み、腕と肩が軋む。脇の下にロープが入っている分マシだが、なければ関節が外れて体重がかかり痛みは大変なことになっていたはずだ。これならまだなんとかなりそうだ。生きて苦しめろという声から察するに、おれたちを殺す気は今のところないらしい。

 天竜人の前を通ったから殺された? それは交通事故みたいなもんだろ。天竜人の前では頭を下げて横によけて大人しくしてりゃあいいとわかってたことだろう。教えなかったのは親であるお前だ。もしそれがまかり通る世の中が許せねェってんなら革命軍にでも入れよ。弱いものしか虐げられないのはお前は結局同じじゃないか。

 奴隷の娘が帰ってきて自害した? 奴隷になった娘が一度帰ってきただけよかったじゃないか。ピラニアに食わせて遊ぶやつだっているんだからマシってもんだ。最後に顔を見れただけよしとしたらどうだ。

 両目を遊びで奪われた? 両目だけで済んでよかったじゃないか。目なんて大したもんじゃあない。なきゃ不便だが、なくても死んだりしない。よかったじゃないか、精神的にも死ぬほどじゃなかったんだろ、さっきの話の娘さんみたいに。

 神も同然で人間じゃない? さっき天竜人じゃないって言ったのお前らだろ。矛盾してるぞ、馬鹿じゃねェのか。第一人間同士だからこんな扱いを受けて許せねェんだろうに。対等だと思っているからその仕打ちに耐えられないのだ。

 苦しい? 悲しい? 辛い? 現在進行系で味わってるよ。身体は痛いし苦しいし、肩のあたりなんて最高潮に辛くて、家族殺され痛めつけられりゃ悲しいさ。大体お前ら言ったよな、虫ケラ扱いだって。虫の痛みなんて誰が考えるんだよ。お前らは虫も殺さずに生きてるのか。すげェなァ、感激しちまうよ。

 聞いているだけで笑い出してしまいそうな暴言の嵐に、本当にこいつらは馬鹿なんだと思い知る。だからそんな目に遭うんだよ。こういうのは憂さ晴らしだなんだとしてないでさっさと殺して忘れちまうに限るんだ。いつまでも引きずって生きている間は、お前ら全員天竜人の奴隷みたいなもんじゃねェか。第一やってることは大して天竜人と変わりゃしない。本当に馬鹿ばっかりだ。
 父は壊れた機械みたいにドフィとおれをかばう言葉しか発しない。根っからの善人だなァ、と思う。ここまでされても恨み言のひとつも言わない。助けも乞わない。ただ子どもたちだけは助けてくれだなんて、どこまで心の清い人なのだろう。


「覚えてろ、オマエら……おれは死なねェ……!! 何をされても生きのびて……おまえらを一人残らず、殺しにいくからなァ!」


 それに引き換えドフィといったら。恨み憎しみ怒り。自分に暴挙を働いたものたちへのそういった負の感情しか見当たらいない。許せないのだ、自分という存在に傷をつけるものたちが。だってドフィは神なのだ。有象無象の人間共が、傷をつけていいものではない。


「フフ、……フフフ、フッフッフ!!」


 だからつい、おれは笑ってしまった。おかしくておかしくて仕方ない。よくもまああんなぬるま湯のような愛に溺れて育って、こうも綺麗に歪んだものだ。普通、ああいうロシーみたいなものになるだろうに。本人の素質か、それとも一緒に生まれたおれのせいか。
 「アリィ、アリィ!? 大丈夫か!?」と横から声がかかる。父の声だ。おれを心配している。下はざわついている。拷問じみた仕打ちを受けるこの場面で笑うだなんて気が狂ってしまったとしか思えないのだろう。実に愚かだ、気なんてなァ、最初っから狂ってんだよ。


「アリィ、何を笑ってるえ!」

「……いやァ、悪い悪い。下のやつらが驚いてるから笑っちまったんだ、まったくもってドフィの言うとおりだ。覚悟持ってやろうぜ、こういうことはよォ」


 どうして復讐されると思わなかったのだろう。自分が復讐心を持ったように、こちらも復讐心を持たないとなぜ思ったのだろう。そんな浅慮だから奴隷にされ、搾取される側に回るのだ。
 驚いているやつらを見下ろせないのが残念だ。恐怖におののく顔のひとつでも見たら胸がすっとしただろうに。けれど気配だけでもわかる。やつらは、怯えている。ドフィの気迫に、おれの笑い声に。天竜人という生き物が、人間とは全く別の生き物だとでも思っているに違いない。愚かだ。どこまで馬鹿になれば気が済むのだ。


「集団でおれたちを痛めつけるお前らは、おれたちなんかよりよっぽど醜悪だ。もはや天竜人ではないおれたちに復讐と称し、大義名分を得たとばかりに憂さ晴らしをしやがる。罰せられなければ、他人を害していいのか? 理由があれば痛めつけていいと?」


 というかそもそも、一般市民が殺されかけてんだから海軍助けに来いよという話だ。しかしまあ世界政府非加盟国だからこねェんだよなァ、加盟国でも見てみぬふりするかもしれねェけど。クズどもめ、仕事をしろ。
 おれの冷静な言葉にまた誰かが怯んだように呻いた気がした。善良な市民だってんなら、子どもをいたぶることは堪えたろう。甘ったれた綺麗な弟や逃げ惑うだけで抵抗すらしない父を追い掛け回し痛めつけたことは、決して忘れられない出来事になるはずだ。だがそれだけで折れるほど彼らの恨みは薄くない。薄いわけもない。


「い、今までお前らの祖先がやって来た報いだ! 改心すりゃあいいって話じゃねェ!」

「そうかそうかァ、なら、いいよなァ、おれたちが、お前たちに同じことをしても!」


 その言葉を待ってたんだよ、おれは。大義名分ならおれたちにもできたってことに気づかねェんだ。おれたちはもう人間だ。天竜人が人間をいたぶっても罪にはならないが、人間が人間をいたぶることは罪になる。だから、なにされたってこいつらは文句ひとつ言える立場じゃあない。もうとっくに、被害者から加害者になっちまってんだ。


「おれたちはお前たちに嬲られ、母を殺された! なァ、教えてくれよ、父がお前たちに何をした。母がお前たちに何をした! 弟が、ドフィが、おれが、お前たちに何をした!?」


 自分たちが憎くて憎くてたまらない天竜人と同じことをしてるクズだって思い知らせてやる。理由はどうであれ、無抵抗の人間を傷つけたその事実は変わらない。助けてくれと許しを乞う人間を踏み付け、憂さ晴らしに拷問し、いい気味だと笑って。思い知れ。人間は醜悪で、お前らも天竜人も何ら変わりのない汚らしい生き物だってことを。


「フッフッフ! 誰も答えやがらねェか!」


 答えないのではなく、答えられないのだろう。だっておれの言ってることは正論だ。おれたちは何もしていない。父にいたっては自分はいいから子どもだけでも助けてくれと頭を下げている。元天竜人ということを鼻にもかけず、自ら降りてきたのだ。天竜人でありたくないと、そのさまを否定して。
 だというのにこの仕打ちはなんだ。奴隷を弄んだドフィとおれはまだしも、父や母、弟に働いていい仕打ちではない。天上金を納める相手が減らし、おれのように弄ぶ天竜人を減らした父に、歩み寄った父に、おれの愛する父に、こんなことをしていいわけがない。──ああ、たまらなく、頭に来る。


「おれは家族を傷つけたやつを許さねェ」


 お前らのことは覚えたぞ、一族郎党、きっちり同じ目に遭わせてやる。


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