サッチ視点



 マルコと無事に付き合うことになって、ナマエの奇行が止んだ。勿論それに付随していた愚痴もなくなったのだが代わりにおれを待っていたのは、ナマエからの惚気だ。主にマルコが可愛いとか、目が腐ってんじゃねェかと罵倒したくなるようなひどく甘ったるい惚気だった。それでも、何をした、という報告がなかっただけいいのかもしれない。身近な友人であるナマエとマルコがナニをしてる、だなんて想像もしたくない事柄である。今ほんの少しそう思っただけで鳥肌がひどい。絶対に聞きたくない。
 そんなふうに思っていたある日、ナマエから毎日同じような惚気を聞かされて、話半分に頷いていたら突然何か殺気のようなものを感じておそるおそる振り向く。射貫くような視線の正体は、マルコだった。殺人鬼のようなとても冷たい目をしているということは、おそらくおれに嫉妬しているということだろう。なにそれ超迷惑。早くナマエが惚気を終えて、マルコのことを探しに行かないかな、と考えていると、ナマエがハッとして立ち上がった。


「あ、オヤジに用があったんだった。ちょっと行ってくるわ」

「おう……」


 あ、これ、おれ、死んだかもしれねェ。引き止めたかったが引き止めたところでオヤジのところに行くのなら間違いなくおれよりオヤジを優先するし、引き止めたところを見られたら余計にひどい目に遭う気がする。ナマエが食堂を出て行ってきっかり十五秒。マルコがおれの肩をがしっと力強くつかんだ。


「いでででで!! もげる!」

「もげちまえ」

「やめて! マジで!」


 チッというきつい舌打ちのあと、マルコはおれの肩から手を離すと、ナマエの座っていた席へと腰を下ろした。付き合う前からそれなりに嫉妬深いとは思っていたが、まさか惚気に来られているだけなのに肩を破壊されかけるとは思っていなかった。先ほどまでデレデレとしていたナマエとは対照的にマルコはとても不機嫌そうだ。付き合う前とそう大して変わらない態度に、少し首を傾げた。どうしてこいつ、機嫌が悪いんだろう。いくらナマエがおれに構ったとして、それは全部マルコへの惚気である。そんなことは百も承知のはずで、肩を握るまでは納得できるが、そのあとこうも機嫌が悪いままなのはどういうことだろうか。


「なんかあったのか?」


 だからそう、思わず聞いてしまったのである。いつもの癖というか、お節介焼きな性分が発動してしまったというか。すこし考えてから口を開くべきだったのに、おれはそこを何も考えなかった。何かあったのか? じゃない。どう考えたって何かあったに決まっているのだ。
 おれの言葉に瞬時に反応したマルコは、ぎらりとおれの顔を睨みつけてくる。しまった。そう思ったのはこのときだった。マルコは立ち上がり、テーブルの向こう側から手を伸ばしておれの胸ぐらをいきおいよくつかんだ。視界が揺れる。「ひっ」と思わず声を上げてしまったのはご愛嬌。それくらいマルコはヤバい顔をしていた。


「何かあった、じゃねェよ。何もねェんだよ」


 特徴的な語尾はどこに行ったんだ、とからかうことすら許さない、ドスの利いた声におれの口は愛想笑いのような笑みを浮かべたまま硬直してしまう。なんか言ったらマジで殴られそうな雰囲気だ。両手を上げて降参のポーズを取れば、マルコはおれを解放した。よかった……お前が殴るような男じゃないって信じてたぜ。
 内心ほっと一息をついたところでマルコに視線を戻せば、キレていた表情はふてくされたようなものに変わっていた。そして言われた言葉を頭の中で反芻する。──何もねェ、というのは……? どういう意味かを考えようとして、先ほどまで聞きたくないと心底考えていた事柄を思い出した。いやいやまさか。そんなことがあるか?


「……もしかして、恋人らしいことを何もしてねェ、ってことか?」

「そうだよい。あいつ、同じ部屋の同じベッドで寝て、何もして来ねェでそのまま寝ちまうってんだから信じられるか?」


 はあ、とため息をついたマルコに、おれも苦笑いを浮かべてしまう。付き合う前からあれだけ好きだと言っていたし、最近だって可愛い可愛いとでれでれしているのだからてっきり事はもうすっかり済ませているのだとばかり思っていた。ベッドの中で一人ドキドキしていたであろうマルコの心情を考えると涙の一つでも出そうだった。──ようやく実った恋。同じベッドの中、お互い子供ではないし、今までどんな経験があるのかもなんとなく知っている。そんなとき、隣にいた男が寝息を立て始めるのだ。おそらく呆気に取られたことだろう。茫然として、おいなんでテメェ寝てんだよ、と文句の一つでも考えただろう。しかし起こすようなこともせず、悶々とした何かを抱えながら眠りにつくのである。


「お前、」

「可哀想だとか言ったら殴るよい」

「……」

「思ったのか」


 殴られるのかと身構えるよりも早く、マルコは深いため息をつく。「おれもそう思うよい」。そう言ってしまうマルコが余計に哀れだった。しかしまあ、ナマエが行動に出ない理由もなんとなくわからなくはないのだ。何せナマエはマルコと手を繋ぎたいがためにあれやこれやと面倒なことを画策していた男だ。その手を繋ぐという目標を達成した直後、色々な過程をすっ飛ばしてお付き合い、そしてベッドインとなれば、隣にいるだけで幸せ、なんてことを考えている可能性もある。おれがそんなことを考えている間に、本格的に項垂れ始めたマルコにとりあえず提案してみる。


「まどろっこしいことはやめて、ちゃんと話し合ったらどうだ?」

「セックスしたいです、って? 馬鹿丸出しじゃねェかよい……」

「あいつにはそれくらい言わねェとダメだろ」


 基本的にナマエは人の話を聞かない上に、自己完結してしまうタイプである。ついでに言えば、なかなか人の気持ちを察することのできない鈍感野郎でもある。察すると感情移入が激しいので必ず弱者か正しいことを言う方の味方についてくれるのだが……基本的には対人スキルがすこしアレな感じなのだ。いいやつなので好かれていて、そのためナマエの代わりに周りの対人スキルが磨かれていくわけである。
 そんなナマエを好きになってしまったマルコも運がないというか、なんというか。ガキでもあるまいし、なんて思っているのだろうけれど、ナマエに言わずともわかってほしいなんて考えは通じないのだから仕方ない。
 二人で黙り込んで、おれは苦笑いを浮かべて、マルコはまたため息をついた瞬間、廊下がざわざわとうるさくなった。何事かとドアの方に視線を向けていると、ばんッと乱暴にドアが開いた。マルコも振り向いて、「ナマエ!?」と驚いた声を上げた。


「おー、ここにいたのか」

「い、いや、お前、そんなのんきに声かけてくる場合じゃねェだろ!」


 ざわざわとした空気の原因はこれだったのか、とナマエの顔に視線が行く。顔面の右側が真っ赤に腫れていた。あきらかに痛いであろうその赤さは、ぶつけたなんて言い訳が通じるわけもないほど、人為的なものである。マルコをちらりと見る。完全に怒っていた。いきおいよく立ち上がると、ずかずかとナマエに近付いていき、地を這うようなおそろしく低い声を発した。「誰にやられた?」。あ、こいつ、絶対なんかやらかすつもりだ。思ったけれど、ナマエが発した至極あっさりとした声で目が点になる。


「オヤジ」

「……オヤジ!? ナマエ、お前いったい何したんだよい!」

「何した、っていうか、殴ってもらったっていうか……?」

「はァ!? いつからマゾに目覚めたんだよい!?」

「勘違いされそうなこと言うな! 目覚めてねェよ!」


 殴ってもらったというナマエの奇行も奇行だが、マゾだなんて言っているマルコもマルコである。混乱してるんだろうなァ、おれもだけど。古参二人の掛け合いがあまりにもでかい声で行われているので、ぞろぞろと観客が増えていることにもきっと気が付いていないのだろう。恋人になったことはすでに誰しもが知っていることなので会話を聞かれて困るようなこともあるまい、とおれは二人を見守ることにした。


「じゃあなんでそんなこと頼みに行ったんだよい」

「いやほら、オヤジはみんなのオヤジなわけじゃねェか。おれのオヤジでもあるが、マルコのオヤジでもある」

「……それで?」

「だから手ェ出す前に一応オヤジに息子さんをおれにください、って言いに、っぶ!!」


 ナマエがそれを言い切るよりも早く、マルコが感極まって抱きついた。ナマエは勢いよくぶつかられて腹に衝撃を受けたのか、顔が腫れてもなんとも思っていなさそうだったのに、今は痛そうに顔を歪めて呻いている。マルコはそれに気がつかぬほど喜んでいるようで何やら単語でしか会話できなくなっている。「好き」とか「馬鹿」とか……ああもう、吐き気さえしそうだ。

おなかいっぱい

不吉な予感を捉えきれずの続編もしくはマルコ受け@匿名さん
リクエストありがとうございました!



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