ミョウジ・ナマエは、この会社の御曹司である。しかも幼少期より眉目秀麗、文武両道、もちろんのことながら仕事だって超一流。営業に行けば必ず予定以上の成果をあげてくるし、期日に間に合わせた上で予定以上により良いものを作り上げ、プロジェクトを先導すれば間違いなく成功する。そんなパーフェクト超人ではあったのだが、そんな彼にも当然のように欠点があった。──やる気がないのである。
 一応親の体面を考えて職にはついているものの、基本的に働かずとも一生生活できるだけの金を持ち、色々な才覚を持ったナマエには働くという気概に欠けてしまっている。そんな彼に巻き込まれる部下は、主に幼馴染みでもあり小中高ときて大学でまでも後輩でもあったユースタス・キッドであった。
 任された仕事はきちんとできるのと創業者の血族ということで部長職についているナマエは、手にゲームを持ちだらりとやる気のない体勢でデスクに突っ伏している。まるで今やるべき仕事はないとばかりにだ。周りもいつものことなので気に留めていない。不意に顔を上げたナマエは、近くの席であるキッドに目を向けた。


「おいキッド、茶ァ」

「ずっと座ってゲームやってんだからそれくらいテメェでやれってんですよ」

「おれが茶を淹れるとうますぎて他のものが飲めなくなるからお前が淹れろ」


 性格もあまりよろしくなく、傍若無人である。蝶よ花よと育てられたためか自分の言っていることは正しくて当然という態度なので他人からの評価はあまりいいとは言えない。しかも職務中にゲームをやっているような男のため、普通の人間ならそんな男の下につきたいとは思わない。
 しかしながらそれでもナマエは直属の部下には好かれていた。なぜかと言えば、正当に仕事の評価をしてくれるからである。人に仕事を押し付けることはあるが残業をしろとも言わないし、ナマエにしかできないことはきちんとやりきるし、押し付けた仕事が成功しても自分の評価として横取りするようなことはなくとも失敗すれば責任は負ってくれる。気が向けばお茶を入れたり、食事にも連れて行ってくれるし、合コンだって組んでくれて、アルハラもセクハラもしない──それなりにいい上司であった。
 だからといってすべてを受け入れられるわけでもなく、自分が必死に頑張っている横でゲームをしたり寝ていたりすると誰だって苛立った。そんなときキッドが全員を代表して怒ってくれるので、この部署はうまく回っていると言ってもいい。


「馬鹿言ってんじゃねェでさっさとテメェの仕事しやがれってんですよ」

「口悪いぞボケキッド」

「テメェもな」


 御曹司であるナマエを恐れずに叱りながらも仕事の手を止めないキッドの姿はいっそ神々しい。ナマエはその会話で多少なりともやる気を取り戻したのか、ゲームの電源を落としてクア、と目一杯のあくびをした。ナマエを視界に入れていた部下たちにもあくびが伝染する。
 ナマエは手元にある書類にいくつかサインをし、簡単にまとめ終えたかと思うとぴたりと手を止めた。それからデスクの上を一通り探したかと思うと、「ないな」とぽつり。デスクから部下たちへ目線を移す。


「ここに置いといた去年の資料ないんだが、誰から知らないか?」

「あっ、すみません! 出っぱなしだったんで僕がしまいました!」

「片付けるのはいいことだから別に気にしなくていいぞ。資料室だったか?」

「そうです」

「よし、じゃあキッド取ってこい」


 それがさも当然であるとばかりに言い切ったナマエに対し、キッドの額に十字路が浮かぶ。前の席に座っていた一人が思わずひいっと声を上げてしまうほどに綺麗に浮き上がった青筋だった。ぎぎぎ、とオイルの差していない金属関節のような鈍い動きで振り向くと、キッドはばしんと自分のデスクに乗った紙の束を叩いた。


「おれは、テメェが、押し付けた、仕事が、あんだよ」

「資料取ってくるくらいできるだろ?」


 何言ってんのお前? とでも言いたげで意味を理解してないナマエの顔と今にも殴り掛かりそうなキッドの顔を見比べて、周りがざわざわとし始めた。ナマエから一番被害を受けているのはキッドなので、おそらくストレスがたまりすぎて爆発してしまうのではないかと思っているのである。はあ、とナマエがため息をつきながら、ちらりと時計を見る。時刻は十二時より幾分か前だった。ぱんぱんっ、と甲高い音が響き、ナマエに注目が集まった。


「じゃあ少し早いが昼休憩。キッドは資料室から資料よろしく」


 あ、この人資料持ってこさせるためだけに休憩にしたな、と誰もが思った。ぷるぷると怒りに震えていたキッドは乱暴に音を立てて席を立ち上がると、部署を出て行った。おそらく資料室に行ったのだろう。彼は厳つい見た目に反してとても生真面目である。続いてナマエも立ち上がる。手には財布と上着。あ、飯食いに行くつもりだ。キッドのやつ可哀想に……。そう思いながらも皆、昼休憩に入っていった。

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 資料室に着いて、キッドははたと気が付いた。去年の何の資料が必要なのか聞いてこなかった。これは完全に自分のミスである。売り上げか、生産ラインか、はたまた……考えていけばきりがない。部署の抱えている仕事量が膨大であるため、何、と断言できないのである。ナマエに聞くのが手っ取り早いとわかっていたが、いちいち戻って嫌味を言われるのは嫌だった。いっそ全部持っていってやろうか、と苛立ちを感じていると、資料室の扉が開いてから閉まる音がした。身を乗り出して棚の陰から顔を出すと、ばちりと目があった。横暴な上司であり先輩であり続けた幼馴染み兼──恋人が笑っている。


「飯持ってきたぞ」


 紙袋を見て、近くの高級和食店の弁当であることがすぐにわかった。ナマエの金銭感覚がずれていてお高いものを買ってくるからではなく、キッドが好きな味だとわかって買ってきてくれているからである。実際ナマエはコンビニ弁当やジャンクフードの味が好きなのだ、こんな身体によさそうで上品なものはまったく好まない。
 変なところで気の利くナマエから弁当をひったくるようにして受け取って、どかりと資料室の床に腰を下ろした。ばりばりと包装紙を破いて中身を取り出す。目にも美味しい、彩の美しい弁当だった。箸を持とうとするキッドに、ナマエがあきれ顔でお手拭を押し付ける。


「手は拭けよ、汚いぞ」


 ナマエの言ったことはもっともである。キッドは受け取ったお手拭で綺麗に指の間まで拭いてから箸を持ち、手を合わせた。「いただきます」。むしゃむしゃと好きなものから口に入れていく。ナマエも隣で弁当を開いて、いただきますをしてから弁当の中身をキッドのものと勝手に交換していく。それもキッドの好きなものをキッドの方へ移し、キッドの嫌いなものを自分の方へ移していくものだから、つい顔が苦くなる。


「ガキ扱いすんなよ」

「おれは好き嫌いないんだからお前が好きなもの食った方がいいだろ」


 それがガキ扱いだというのに。むっとしながらも突き返すようなことはせず、キッドは弁当を片づけていく。なぜだかこの品のいい美味さにもイライラしてきた。ナマエはそんなキッドに気が付いているだろうに、何か言葉をかけるわけでもなく弁当の中身を減らしていく。特に会話もなく食べ終わると、ナマエは同じく食べ終わったキッドにペットボトルのお茶を差し出してきた。それを受け取り飲んでいれば、ナマエはふと思い出したようにキッドを見た。


「そういえば明日の朝の会議で使う資料できてるか?」

「できてるわけねェだろ。頼まれたの一時間前だぞ」

「今日中にできそうか?」

「残業すりゃあな」


 ナマエに嫌というほどしごかれてきたキッドにとって、資料作りはさほど難しいしごとではなかった。しかしながら量があるということと今日中に仕上げなければならない仕事はそれだけではなく、残業しなければ終わらないであろうことは明らかだった。今日終わらせなければいけないものがあるのはキッドだけである。なのにどうして自分に仕事を振るのか。「おればっか」。すねたような声が出てしまって思わず口を押えた。
 ちらりとナマエを見ると驚いていて、やってしまったと思った。キッドだってわかっているのだ。キッドが出来ない仕事は絶対に回してこない。だから信用されて仕事を回されているとわかっている。それでもたまには定時で家に帰りたいし、ナマエとまったり過ごしたいと思うのである。ナマエはしばらく間抜け面を晒した後、唇の端をくっと上げて笑った。整った顔によく似合う笑顔だった。


「わかってなかったのか」

「な、何がだよ……」

「お前が残業になりゃあ確認のためにおれも残って、二人っきりになれるからだよ」


 会社で二人きりになるよりさっさと家に帰って二人きりになった方がいいではないか。そう思ってキッドの眉間に皺が寄った。ナマエは「おれはお前以外のやつと残業できるほど人間できてないぞ」と言葉を続けた。それがどういう意味なのか、キッドは今度こそはっきりと理解した。
 キッドがこの会社に入れたのも、ナマエの部署に配属されたのも、すべてコネである。それもこれもやる気のないナマエが『キッドが同じ部署なら少し真面目に仕事する』と言ったからだ。だからキッドは社長や専務と言ったお偉いさんに頭を下げられて会社に入った。要するに、それと同じことなのだ。
 暗にキッドがいないとモチベーションが上がらない、と言われて、嬉しいのだか恥ずかしいのだかキッドにはわからなくなる。しかしそのどちらもキッドの表情に出ていたようで、ナマエは笑みを深めて顔を近づけてきた。ちゅ、とわざとらしい音を立てて唇が触れ、すぐに離れた。


「お前だってほかのやつとおれが二人きりで残業するのは嫌だろ?」


 ナマエはそう言って不遜に笑う。なんとも自信にあふれたナルシスト染みたセリフだ。しかしそれは事実なので、キッドには自信過剰だと罵れるわけもなく。口を閉じたまま黙りこんでいると無言を肯定と取ったナマエはとても楽しそうに目を細めて、今度はほんのすこしの呼吸も許さないほど隙間なくキッドの口を塞ぐのであった。

だれにもじゃまされたくない

キッドで上司部下のオフィスラブ甘々@yayaさん
リクエストありがとうございました!



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