サカズキは自分の口が大嫌いだった。まるで呪われているのではないかと変な勘繰りをしたくなるほど、考えていることや感じていることをそのまま言葉にすることができないのである。それも決まって、好意的な感情を抱いている相手が傍にいるときばかりだった。ただの口下手なら喋らなかったがゆえの誤解だったで済むというのに、声という形にしてしまったがゆえに否定のしようもなくなるのだ。『お前、おれにそうやって言ったよな?』。そう言われてしまえば終わりである。確かにサカズキはこの口でそう言ったのだから。言い訳をするなど言語道断。一度口に出したことは責任を持つべき。そんな頑固な思考回路も手伝って、サカズキはどうにもこうにも進退不可な状況に追い込まれた。
 長年好意を抱いているナマエのことは大嫌いで、顔を見るたびに悪態をつくほど仲の悪い、そんな男に成り果てたのである。


「よぉー、サカズキ」


 サカズキは自分の表情筋も大嫌いだった。緊張すると怒っているような顔になってしまい、これではどこからどう見てもナマエのことが嫌いだとアピールしているようなものである。それでもどうにか絞り出した言葉は「なんじゃ」の一言だった。何を言い出すかわからない口と、久しぶりに会えた好きな男の顔を見れた緊張からようやく発した言葉は、あまりにも残念なものだった。
 それに引き換えナマエと言えば、相も変わらず快活な笑みを作る明るい男だった。自分のように年を取っているはずなのに若々しい顔が笑うと見える妙に白い歯がまぶしい。


「なんだって言われてもなァ、会ったら挨拶の一つもすんだろ?」

「……ふん、用がのうならわしは行く」


 どうして挨拶を返せないのか。どうして挨拶してくれて嬉しいという気持ちを表せないのか。呪いでなければ最早病気である。しかも一生治ることのないであろう、不治の病だ。失敗をしても次からはああしようこうしようと省み、挫けることのないサカズキではあるがナマエとの関わりではそうもいかない。幾度となく同じ失敗を繰り返し、心が完全に折られている。最早死にたくなってくる。そう思うのももう何度目のことか。死なない己が情けなくなってすら来るようだった。


「おいおい待てよ、サカズキ」


 しかしながらナマエは毎度のこと、必ずサカズキのことを引き留めてくれる。しかも絶対に嫌な顔をしていない気のいい人間なのである。もしサカズキがそのような仕打ちをされれば憤るし、対応が荒くなり、悪い態度を取るに違いない。ナマエというのはまったく奇異な人間だ。それゆえに未だ好意を抱き続けているという結果に落ち着いているのだけれど。サカズキは立ち去ろうとしていた足を止めて振り返る。目線は厳しいままだったが、緊張しているだけに過ぎず、悪気はすこしだってなかった。


「何の用じゃ」

「なんだ、用がねェと話し掛けたらダメなのか?」

「わしがお前を好いとらんのを知っちょって言うとるんか」


 用もないのに話し掛けられた事実に喜んだあまり、ついうっかり思ってもいないことを言ってしまった。まったくもって逆である。ナマエのことを好けば好くほどに自分はまともに動けなくなる。鼻で笑っておかしいのではないかという目線を向けて、とんでもないことを言う。けれどナマエは気にしていないような顔をして、笑う。それはそれで辛かった。サカズキが好いていようとも好いていなくとも、ナマエにとっては関係ないということだったからだ。我ながら面倒くさい性格をしていると思う。嫌われたいわけではなかったが、ここまで言っても何の反応もされないということはある意味重症だ。それとも己の棘のある言葉が常となってしまい、慣れてしまったのだろうか。なんにせよ、いいことであるとは思えなかった。


「おれ、お前のこと好きだぜ!」


 親指をぐっと立てて楽しそうに笑みを作るナマエ。……好いている? サカズキの中に嬉しさが湧いたのも事実だったが、こんなことをされて好いてくれているということが信じられなかった。普通なら絶対に好くようなことはありえない。ナマエの頭が常人より幾分か軽量化されていようとも、人の感情には敏い男であるはずなのだ。なのに何故、という思いは顔に出たらしく、眉間に皺が寄る。ナマエはそれに答えるようにまた笑った。白い歯が見える。まぶしい。


「んん? お前もおれのこと好きだよな?」

「はあっ……!?」


 サカズキはナマエが発した言葉が理解できないでいた。いや、事実ではあるのだけれど、サカズキは先ほどナマエのことを好いていないと口に出して言ったばかりである。それがどう紆余曲折してそういう発想に至ったのかまるでわからなかった。驚いたサカズキに対し、ナマエも困惑したように首を傾げていた。ナマエという男は猪突猛進ながらもしっかりと自分の芯を持った人間であるため、困惑する姿と言うのも珍しい。口に手を当ててしばらくの間逡巡したナマエは、サカズキの様子をうかがうように視線を向けた。


「え、だってお前、おれのこと好きだろ? 違うのか?」

「な、何を……! 貴様んことなんか誰が好くっちゅうんじゃ!」

「だよな! よかった!」


 好きだろ、という言葉に反射的に思っていない言葉を返したサカズキに、ナマエは「ははは!」と快活に笑っている。会話が微妙に噛みあっていないように感じて、サカズキの眉間には皺が寄る。頭の中は混乱している。好いていることがバレている? いったいどういうことなんだ? 何がよかっただ、説明しろ。そんなふうに考えると、ナマエは相変わらず笑って随分と衝撃的な言葉をぶつけてくる。


「お前、ほんとわかりやすいもんな!」


 わかりやすい……?


「ん? だってお前緊張するとすぐ悪人みてェな顔になるし、おれが好きだから会うと全っ然思ってもねェこと口から出ちまうだろ。……もしかして気付いてねェと思ってたのか? そんなん表情だの声の調子だので本心じゃねェってわかるっつーの。何十年一緒にいんだよ!」


 ナマエがそれを言い切るとほぼ同時に、一瞬止まったサカズキの時間が動き出した。頭の中が大変なことになっている。混乱がひどくて整理が追いつかないが、今までずっとついてきた悪態は、反対のきちんとした正しい意味で伝わっていたらしい。目の前にいるナマエは、自分が思っていたよりも余程他人の感情の機微に鋭く有能な男であったのだ。混乱が行き過ぎてサカズキの頭の中は妙に平静になってしまった。それすら悟ったらしいナマエの笑みがその種類を変える。


「だからお前の大っ嫌いって大好きってことだろ?」


 ナマエの顔は、にやにやと、人をからかうような笑みを浮かべていた。……今までついてきた悪態は、すべて、正しい意味で伝わっている。用がないなら話し掛けるなは用が無くても話し掛けてほしいで、好くわけがないは好かないわけがないで、大嫌いは、大好きで。──理解をした途端、カアーッ、と一気に顔へ熱が集まってくるのがわかった。サカズキは気付いていなかっただけで、常に盛大な告白をしていたことになる。ナマエも好いてくれているというのなら、それは笑顔で受け止めてくれていたわけだ。とてつもなく、恥ずかしい。ぶるぶると拳を震わせるサカズキを見てナマエの笑みは止まらない。


「ほんっとに可愛いなァ、サカズキってば」

「はァ!? お前の目は腐っちょるとしか思えん!」

「まっさかァ。お前の素直じゃない口より高機能だろ」

「だ、黙らんか!」

「そこまで行くと逆に清々しいよな、お前」


 至極楽しそうに笑ったナマエがサカズキの肩をぐっと抱く。いきなり距離を詰められて、サカズキの心臓は止まりそうになった。にやにや顔のナマエが言う。「おれも好きだぞー」。ふざけたような言い方ではあったが、それでもとても心臓には悪いもので、サカズキは思わずナマエの腕を振りほどいて執務室へと急ぎ足で向かって行った。頭の中までマグマになったように何も考えられないサカズキが、ナマエがサカズキの気持ちに気づきながらも機会が来るまで一人でにやにやしていただけの性格の悪い男であるということに気が付くのは、まだずっと先のことである。

さんかいまわってあいしてます

ツンデレなサカズキをいじる男主@さゆりさん
リクエストありがとうございました!



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