魚人についてちょっと捏造



 ジンベエは自分の背中に突き刺さる視線に、困ったように顔をしかめた。恨みがましいその視線の正体を嫌と言うほど理解していて、ため息のひとつでも吐きたくなる。また、ナマエの嫉妬が沸々と煮えたぎっているのだろう。ナマエはジンベエの恋人で少々幼い感性を持っているため、ジンベエが人魚や魚人と楽しそうにしているだけでわかりやすく妬いてしまう。ナマエのその嫉妬癖は誰かに危害を加えるわけでもない可愛らしいものであるし、ジンベエにとっておおむね好ましいところであると言えるのだが、こうやって背中を見続けられているとどうにもむず痒い思いにかられるのである。
 ゆっくりとジンベエが振り返ると、ぐぬぬ、とでも言っていそうなナマエがハンカチを噛むという古典的な表現を用いながらやはりジンベエのことを見ていた。目があうと恨みがましかった視線は一気に緩和し、ナマエはほわほわとしたいつもの空気に戻ってぶんぶんと手を振ってくる。まるで犬のようだと思いながらジンベエは緩く笑った。それをもう終わりだという合図と勘違いしたのか、ナマエは走り寄ってきてジンベエと他の連中の間に身体を滑り込ませた。


「はいそこまでー! ジンベエ親分はこのあと用があるのでーす、散った散った!」

「えー! そうなんですか、残念。またお話しさせてくださいね」

「それじゃあ親分さん、また!」


 魚人や人魚が散っていくとナマエは満足そうな顔をしてジンベエの腕を服の上からつかんで歩き出す。随分と上機嫌なので水をさすことはしないが、このあとジンベエにこれといった用事は当然ない。寧ろ今日はなんの予定も入っておらず、何をしようかと考えているくらいだったのだ。
 ナマエはずんずんと歩いていって、進行方向から自分の家に招こうとしていることがわかった。人間なのに魚人島に家を持ち、島民に受け入れられているナマエは、とても不思議な存在である。


「どーぞ、入ってください」

「ああ」

「狭いですけどー」


 狭い、だなんて言っても普通の人間のくせにジンベエよりもほんのすこし小さいくらいの背丈があるナマエの家だ、ジンベエにとっても狭いわけがない。「飲み物用意しますねー」なんてのほほんとした声でナマエはキッチンの方へと入っていく。ジンベエはその後ろ姿を見送ってからリビングへと足を踏み入れ、二人で座れるようにと作られたソファに腰をおろし、ほっと一息をつく。


「ジンベエさーん、アイスコーヒーでいいですかー?」

「おお、すまんな」

「いえいえー」


 ナマエはジンベエにアイスコーヒーの入ったコップを差し出してにこにこ。渡してもにこにこ。隣に座ってもにこにこ。ナマエはジンベエと二人きりになると途端に、にこにことしだす。ナマエは本当に、随分とわかりやすい人間である。それほど愛されているということはジンベエにもよくわかっていたが、目の前で楽しそうに笑われればジンベエも改めて嬉しくなる。緩くジンベエが笑うと、ナマエはこれ以上にないほど頬をだらしなく緩ませてからジンベエに抱きついた。こぼれそうになったアイスコーヒーをテーブルに置き、ジンベエもナマエの背に腕を回してやる。


「ほんとジンベエさんすき……!」


 するとくぐもった声がジンベエの肩口に向けられ、ナマエはすこしテンションを上げてぐりぐりと顔を押し付けてくる。一人で勝手に楽しそうにしているナマエに、ジンベエは肩を揺らして笑う。「わしも好いとるぞ」と言えばナマエはバッと勢いよく顔を上げて、まっすぐにジンベエの顔を見た。その目がいつになく真剣だったために、ジンベエは妙な緊張感を持ってしまう。


「ジンベエさん、」

「な、なんじゃ」

「キスしていいですか、キスだけなんで、ほんと、」


 恥ずかしいからそういうことをするときにいちいち確認を取らないでもらいたい、と思うのと同時に、それがナマエの優しさであるとジンベエには分かっていた。魚人や人魚は魚に似通った性質を持つため、大抵の魚人や人魚たちは普通の人間よりも体温が低い。ジンベエもその例に漏れず、人間の平均的な体温より何度も体温が低かった。それに引き替え、ナマエと言う男は健康体そのもので、普通の人間よりも体温が高かった。すなわち、二人が直接触れ合うようなことになると、短時間ならなんということはなくとも長時間であればジンベエの皮膚は火傷ほどではないにしろうっすらと赤く色を変えてしまうのである。ゆえにナマエは揺れる思いを抱えながら必ず確認を取る。したいけれど、傷つけたくはない。そういう気持ちが手に取るようにわかって、ジンベエは思わず笑ってしまった。口腔内は食事を取るために多少熱には強くできているということを、すっかり忘れているらしい。


「わしのことは気にせんでもいい。好きに、っ」


 したらええぞ、と言葉を発するよりも早く、ナマエの唇がジンベエの唇を塞いだ。触れるだけでも温かく、侵入してくる舌は温かいという表現よりはやや熱いように感じてしまう。それはおそらく気のせいではないのだろう。口内を余すところなく味わおうと躍起になっているナマエの舌がジンベエの口蓋を擦りつけるように舐め上げる。いつもよりも幾分か熱く感じて、ジンベエは目の前がくらくらとするようだった。舌を絡ませながらナマエは指でするりと口からはみ出た牙を撫で上げ、ぞくぞくとした何かがジンベエの背筋を駆けのぼっていくのを感じた。歯にも神経は通っている。熱いものくらいはわかった。ナマエはいつもよりも興奮しているのか、指先から伝わる熱はいっそう顕著だった。懸命に口の中を愛撫してくるナマエのせいで、ジンベエの意識が熱に浮かされたようにぼうっとし始めた頃になって、ナマエはハッとして唇を離す。


「っ、ご、ごめんなさい、ちょっと興奮しちゃって! 平気ですか!?」

「……このくらい大丈夫じゃ」


 実際のところ、口の中は地味にびりびりとしていてナマエの言う大丈夫というラインはすでに超えていたが、ジンベエはそんなことを言うつもりはなかった。何よりも今問題なのは、ナマエが離れるまで自分の身体に当たっていたものの存在である。熱を持ち、硬度を増させた、ナマエのもの。あれだけわかりやすく興奮したのだから、身体にもそのように現れてしかるべきだろう、とジンベエは思う。寧ろ自分のような男にそうした性的興奮を覚えてくれるというのだから、嬉し恥ずかしといった心境だ。
 しかしナマエは絶対に自分からそれを言うこともなければ、なるべくジンベエに気付かれないように処理する男だ。キスとセックスではレベルが違うため、セックスともなれば、口内のように熱に耐えられる仕組みでない穴に硬く熱を持ったものを入れると言うことになる。しかもほんの少しの間だけ、なんてことは絶対に有り得ない。行為に突入してしまえば、すこし頭の螺子も緩くなり、うまく気を使えない状況になるということだ。ゴムも気休めにしかならず、そのまま腸が火傷するようなことになれば確実にジンベエが苦しむはめになるのである。だからこそナマエは絶対に思いを口には出さないのだけれど、それではあまりにも不憫だとジンベエは思うのである。
 ナマエはいつものようになんでもないような笑みを浮かべ、立ち上がろうとした。おそらくトイレに向かうつもりであろうその手をジンベエがつかむ。少し困ったような顔をしてナマエが見ていた。


「ジ、ジンベエさん? お、おれ、ちょっとトイレに、」

「ナマエ」

「は、はい」

「風呂に水を張ってきてはくれんか」

「…………えっ! い、い、……いいんです、か?」


 こくりとジンベエが頷くと、ナマエはなんとも言えない顔でジンベエを見たあと、「すみません!」と謝りながら風呂場の方へ走って行った。ジンベエとナマエが行為に及ぶときはいつも水風呂の中なのである。ナマエの身体が冷えるだろうに、とジンベエが気遣っても、絶対に譲ってはくれない一線だった。実に優しい人間である。彼のような人間を見ていると、人間も捨てたものではないと思えてしまう。……それにしても風呂に水か溜まるまでの間、どうしたものだろうか。どうかナマエが水が溜まるまで風呂の方にいてくれないだろうか、とジンベエは本気で思ってしまった。その気まずさをまぎらわすように、からん、とアイスコーヒーの氷が音を立てた。

きみが思うようにぼくもきみを、

ジンベエと男主(人間)のイチャラブの甘裏@WANWANさん
リクエストありがとうございました!
裏までいかなくてすみませんでした……!



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