教育係時代の過去番外編


 ナマエという男がルッチの教育係となったあと、その奇妙な関係はゆるやかに続いていた。教育機関で受けたような危害を加えられたこともなければ、偉そうに何かを言葉にしたことはなかった。ナマエはルッチが今まで会ったことのない種類の人間だった。どこか妙な雰囲気を醸し出しており、柳のようにつかみどころのない男なのである。
 だからなのか、けれどなのか、ルッチはナマエのことが嫌いだった。実力を見誤って負けたからだけではない。誰にでも簡単に頭を下げるナマエの神経が信じられなかったためである。謂れなきことで頭を下げるそのさまに、プライドはないのかと何度も苛立った。だからある日、ルッチはナマエに聞いた。まるで問いただすかのごとく、言葉に棘を持たせて。


「どうしてお前はそんなに簡単に頭を下げる」


 任務へ同行することになったナマエと任務に向かう道すがらそんなふうに言葉をかけた。ルッチからナマエに話しかけることは極端に少ないのだが、言葉に驚いた様子もなく、無表情のままにナマエはルッチへと視線を向けてわずかに目を細めた。その目が自分を見ているのだと思うと、なぜか肌が粟立った。断じて鳥肌などではなかったが、ルッチの感覚はナマエの視線に妙なざわつきを覚えていた。


「何を聞きたいのかいまいちわかりませんが……いい機会ですから聞かせていただけますか、ロブ・ルッチくん。逆にどうしてあなたは頭を下げられないのですか? 自分にはそれが不思議でなりません」


 質問に質問で返すだなんて、と思わないわけでもなかったが、ルッチはナマエの問いに答えてやることにした。自分より格下の人間に頭を下げることや謂れのないことで頭を下げることをどうして平気で出来るのか、プライドはないのか。詰るようなルッチの口調で続けられた言葉にナマエは「なるほど」と相槌を打つ。その間、嫌味や悪口に近い言葉を吐き捨てられたはずのナマエはやはり少しも表情を変えなかった。そうしてルッチの言葉を聞き終えたナマエはゆっくりと口を開いた。


「たかだか相手に頭を下げたくらいで、あなたのプライドや質を否定されることには繋がりません。人格の否定でもなければ、あなたが弱者であるという証明でもありません」


 咀嚼して吐き出された言葉は、ナマエの言い訳というよりはわがままな幼子に言い聞かせるかのようなものだった。ルッチが頭を下げられない──命令を聞けないことに関して派遣された教育係なのだから当然と言えば当然だった。ルッチが何か言葉をはさむ前にナマエは言葉を続けていく。


「命令に従うのと、服従することは全く違うことです。頭を下げるだけでしょう? 心まで平伏する必要はありません」


 暗にそれは、命令に従っているはずのナマエがまったく心から敬ってなどいないという発言に相違なかった。それどころか相手を馬鹿にしている可能性すらある。ルッチは瞠目した。誰にでも従順であるはずの、模範的で優秀な海兵であるはずのナマエという男がわからなくなる。底が見えない。少なくともルッチが考えていたような男ではないようだ。しかしその事実はルッチをすこし愉快にさせた。ルッチを従順な犬に変えようとしていた政府が送り込んだ教育係が、上っ面だけでいいと断言してしまったのだ。政府も青雉も、見る目がないではないか。ルッチは内心の笑いを抑えることに忙しく、ナマエはそんなルッチに冷たい言葉を差し向けた。


「弱者に従えぬというのは、あまりにも狭量ではありませんか。仕事をやりたくないと投げ出したり、余計なことをしでかすのは幼子でもできます」


 ぴくりとルッチの眉が揺れる。ナマエはまるでルッチのことを煽っているようではないか。できないお前は赤子同然だとばかり。「慣れぬ仕事で間違えたというのならまだしも、殺す必要のなかった人間を独断で何百という単位で殺すなど使えぬ駒でしょう。ならばまだ幾分か腕の立たない真面目な者を使った方がマシだと上は考えています」。あからさまに自分の行った任務についての話が出て眉間に皺が寄る。必要なかったではないか、あんな使えぬやつらは。ルッチの考えが顔に出たのだろう、ナマエは「まだわかりませんか」と息を吐いた。


「あなたは変わらなければ切り捨てられるのですよ」


 ナマエの言葉に、ルッチの目が見開かれた。ルッチはCP9の中でも随一の強さを誇っている。一度ああして負けたとはいえ、仮に殺し合いをするのならナマエを相手にしたところで負けることはないはずだ。そんな強い自分が切り捨てられるといったナマエの言葉を信じられるわけもなかった。「誰だって暴発する恐れの高い銃など使いたくありません」。……悔しいことに言いえて妙だった。ルッチは誰彼殺しつくす兵器なのである。もしかしたら自分の方に向かってくるかもしれない、と考えるおろかな人間もいるのだろう。ナマエは言葉を失ったルッチに容赦することもなく話を続ける。


「考えるのは上の仕事。それによって得をするのも損をするのも上の何かです。駒である自分やあなたのような存在は与えられた役割を行うことが仕事なのであって、余計な思考や感情を挟むことは仕事ではありません」


 ルッチはナマエの言葉に二の句が継げないでいた。思い出してしまったからだ。暗殺者として育てられた中で、暴力をふるって教育する人間たちの言葉を。駒である。そんなもの、人間性の否定ではないか。たしかに自分は殺戮兵器だ。政府にとって人間という枠組みは入らないかもしれない。ルッチ自身も別に人として普通に生きることを望んでいたわけではなかった。けれども他人に駒だと、掃いて捨てるほどいるのだと言われるのはどうしても癪に障るのである。ルッチにはとても凶暴な気持ちが生まれてきて、目の前のナマエを殺してやりたくなった。しかし、殺してしまおうという頭の中の囁きは、途端、綺麗に消えてしまった。


「ですから命令など利用すればいいのです。必要なことだけこちらが大人になってうなずいて、その上で我を通せばいい。それだけのことでしょう」


 ナマエがまるで己を、暗殺者や殺戮兵器であるルッチを、人間であると肯定するかのような言葉を吐き出したせいである。今までにはなかった何かが胸の内にじわりと湧いてきて、ルッチは先ほどのように言葉を紡げずに黙り込んだ。胸の内を巣食うもの、その正体を探ろうとしているルッチから自身の時計に目を移したナマエはすぐさまルッチに視線を戻した。「立ち話をしている場合ではありませんでしたね、行きましょうか」。ナマエが背を向けるとずくりと苦いものが胸を支配した。ルッチにはそれが何か、まるでわからなかった。

at dawn dawn dawn

いいこだからおやすみで教育係時代、ルッチが主人公をきらいだけどきになるけどすき、すき?みたいな話@鈴木さん
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