「うえっ、げほッ、……やめろよナマエ! おれがお前に何したってんだよーッ!」

「なんだなんだ、いきなりどうした?」

「いきなりどうしたじゃねェよ! お前だろ、おれのパスタをタバスコまみれにしたの!」


 ハートの海賊団の潜水艦では、食堂で喧しい声が上がっていた。そこにいた数名のクルーは巻き込まれぬように食事のトレーを持って移動する。ナマエとシャチの喧嘩もどきはいつものことで、慌てるようなクルーは誰一人としていない。ナマエはシャチにちょっかいを出し、シャチはそれに対して何かしらのアクションを取る。それだけのことではあるのだが、ときたま流れ弾のように被害が周りに及ぶこともあった。それを避けるため、距離を取るものの、あとは平穏の中のちょっとした刺激として受け入れられていた。
 しかしクルーがそうだからと言ってやられているシャチにしてはたまったものではない。先ほどまで美味しかった海鮮パスタはすこし目を離した隙に見るも無残な真っ赤な姿になってしまっている。喉の奥が熱くなり、むせたことによるものか、あるいは辛みからか涙さえ出てくる始末だ。対面に座ったナマエはきょとんとした無害そうな表情でシャチを見ていた。


「おれがお前のパスタをタバスコまみれにしたって? 見てたのか?」

「い、いや、見ては、ないけど……」

「へえ、シャチは犯行を見てもいないのにおれを犯人だと決めつけたのか……」


 ナマエがとてもがっかりしたような表情でシャチのことを見てくるものだから、シャチはつい言葉を詰まらせてしまった。たしかにナマエがタバスコをかけたところを見たわけではないのだ。いつもやるのはナマエだからと決めつけるのはいけないが、だからと言ってほかに誰がやる。シャチに嫌がらせをするのはナマエだけだ。わかっていても、なんとなくシャチの中には申し訳なさが沸々と湧いてきてしまう。
 もしかしたら、誰かが近くで手を滑らせて、ナマエのせいにしてしまえばいいと思ったのかもしれない。どうせナマエだろうとシャチが今決めつけたように、そいつもそういう想像を働かせたのかもしれない。そんなあるかもわからない可能性が頭の中をよぎって、シャチはナマエの様子をうかがうように見た。ナマエはじっとシャチのことを見ていた。


「……ナマエじゃ、ねェのか? それなら、」

「いや? ぶっかけたのはおれだ」


 ごめんな、と謝ろうとしたシャチは思わずずっこけた。その様を見て、ナマエはひいひいと笑っている。「やっぱりお前だったんじゃねェか!」。シャチがいきり立つと、ナマエは「そうだけど? 否定した覚えはないなァ」とにやにやしながら言ってくる。たしかにナマエは否定してはいなかった。しかし、あれはそういう雰囲気だっただろう。シャチは自分の拳をぎりぎりと握りながら、怒りのままにナマエに飛びかかった。しかし直線的な攻撃は誰でも簡単に読めてしまうもので、ナマエはひらりとその攻撃をかわす。しかも自分とシャチの両方の皿を持って逃げたため、食事をひっくり返すような真似はしなかった。


「避けんなよ!」

「避けるだろそりゃあ。お前、海の中で食べ物がどれほど大事かわかってんのか?」

「はァ!? 食えなくしたのはお前だろ!」

「どこが。まだ食べれるぞ」

「じゃあ食ってみろよ!」


 物理的な第二撃は行わず、シャチはびしりと指をさしながらナマエにそう言った。真っ赤になったパスタはとてもではないが食べられたものではない。あのパスタ、というよりタバスコは一口でシャチの喉や口の中を妙な痺れでいっぱいにしたのである。どうせ食べられはしない──というシャチの思考は見事に打ち砕かれた。くるくると巻いたパスタを口の中に入れ、十分に咀嚼し飲みこんだナマエは何事もなかったかのように平然としている。


「ほらな」

「えっ、ええ!? めっちゃ辛いじゃん!? お前舌大丈夫か!? ていうか腹壊すぞマジで! 食うなよ!」

「辛いのがお好みならもっと赤くしてやるよ」


 ざばっ、と皿の中に七味唐辛子がかけられた──船長であるローによって。騒ぎを聞きつけてきたのか、やや不機嫌そうな顔をしながら、「食堂で遊んでんじゃねェ、バラすぞ」とシャチのナマエを睨みつけてくる。ナマエはローが現れるなり、「はァい、了解ですキャプテーン」と大人しく席に着いた。ローの前ではいい子ぶりっ子な野郎め! とシャチが内心激しく怒りながらナマエを睨みつけていると、ローから視線を向けられてしまった。謝りながらシャチも大人しく席に着いてため息をつく。パスタは食えなくなるわ、キャプテンに怒られるわ災難続きだ。近くに座っていたナマエから、すっと皿が差し出される。皿の中身はパスタよりも赤いものの方が多くなってしまっていた。


「ほら、お前のパスタ」

「いやいやいやいや! そんなんもう食えねェっての! 腹壊すわ!」

「シャチ、うるせェぞ」

「すみませんキャプテン!」


 じろりと睨みを利かされて、シャチは慌てて再度謝った。ナマエは「怒られてやんの」とにやにや笑っている。一体誰のせいだと思って、と怒鳴り散らしたくなったがローが食堂にいる以上はそうすることもできなかった。目の前に差し出されたパスタは最早グロテスクと言って差しさわりない。……これ、おれが食べなきゃいけねェのか? 周りをちらりと見渡してみる。一部始終を見ていたコックが包丁を片手ににっこりと笑っていた。食べなければどうなるのか、シャチには嫌と言うほどわかってしまった。ため息をつきながら、赤い何かを巻きつけて、口に持っていく。


「……いや、無理だろ……ヤバい臭いすんぞこれ……」

「根性なしめ」

「お前な……誰のせいだと、」

「仕方ないなァ」


 ナマエがぽつりとつぶやいたかと思うと、シャチの腕ががしりとつかまれた。驚いている間に腕は引っ張られ、巻き取っていた真っ赤な塊はナマエの口の中に消えて行った。シャチは思わず悲鳴を上げそうになる。そんなものを摂取しようものなら、確実に身体に悪いに決まっているのだ。「ぺっしなさい、ぺっ!」とまるで子供に言うようにナマエに言えば、ナマエはゲラゲラと笑った。笑った時に見える口の中は、真っ赤だった。


「おま、それはないわ!」

「そういう問題じゃねェって! 腹壊すってほんと!」

「大丈夫だっつーの、お前とは違うからな」

「いやいやいや! 同じ人間! 構造は基本的に一緒! ですよねキャプテン!?」

「そうだな。だがうるせェ……次騒いだらバラすぞ」


 ローは珈琲を飲み新聞を読みながらそう答えた。バラされたくはないためシャチは小声になりながらも、「ほらな。キャプテンも言ってるし」とナマエに告げる。しかしナマエは「ふゥん」と頷きながらも巻き切った赤いものを口の中に放り込んで完食した。七味唐辛子が一瓶丸々入ったタバスコまみれのパスタをである。サア、とシャチの顔色が悪くなる。ナマエはそんなことも気にせず、本来ナマエの皿であったはずのパスタを差し出して「こっち食えよ」と言いながら真っ赤な皿を下げるべく立ち上がった。
 今日はナマエの体調に気を付けながら過ごそう、とシャチは決めて、ナマエのパスタに手を伸ばした。すこし冷めてはいるが、先ほどまでと比べてよほど美味しそうなパスタである。くるりと一口分を巻いて、口の中に放り込む。


「ぶはッ!? に、にっが!!」


 噛み、舌に乗った瞬間痺れるような、脅威的に不味い味付けだった。シャチは思わず噴き出してしまう。どうやら二段構えだったようだ。あ、あの野郎……! 視線を向ければ、ナマエはキッチンの方からにやにやと笑ってシャチのことを見ていた。途端、ぱんッ、と頭が叩かれ、ずるりと首が落とされる。シャチがゆっくりとその方向を見れば、ローが冷やかな笑みで見下ろしていた。


「次はバラす、っつったな?」


 ・
 ・
 ・


「あーあー、あんなに騒いじゃって」


 すこし離れたところからシャチが怒られている様をナマエは眺めていた。口元にはにやにやとした笑み。その笑みを見慣れているせいか、隣に座っているペンギンはナマエに一番似合う表情はそれなのではないかと思ってしまった。ペンギンはため息をつきながら楽しそうなナマエに声をかける。


「そろそろやめてやったらどうだ?」

「何を?」

「シャチへのちょっかい」

「無理無理。一生やめられないと思うわ」


 楽しそうにしているナマエと、ぎゃあぎゃあ騒いでいるシャチ。加害者と被害者。両方を見比べながらペンギンはシャチが哀れでならなかった。シャチが何かしらの行動を取らない限り、ナマエは絶対にシャチへのちょっかいをやめたりしないのだ。ナマエがどうしてシャチをいじめるのか、ペンギンは一応のところ理解している。──好きな子ほどいじめたくなる。ナマエはそんな、こどものような男である。


「あいつさァ、おれがいじめてる最中でもおれを気遣うし、おれにやり返そうとかしないし、おれから離れようとかしないんだぜ?」


 可愛いよなァ、なんて笑うナマエは至極優しい顔をしていて誰でもころっと落ちそうだと言うのに、肝心のシャチが見ることは適わないのだろう。実際、言っていることがことなので、優しい笑顔も台無しである。ペンギンはもう一度ため息をつく。さっさとくっついて、二人だけのところでやってくれねェかな。

きみが知らないだけさ

シャチで好きな子ほど苛めたくなる性格の男主@黒い鳥さん
リクエストありがとうございました!



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