パンクハザードにはゆるりと弧を描くようにして穏やかに笑うナマエという男がいる。秘書であるモネに近い立場の人間で、いつもシーザーの周りをうろついている。聞けば、事故以前からの付き合いで相当長く一緒にいるらしいことがわかった。シーザーはモネと同じかそれ以上にナマエのことを信頼しているらしく、身の周りの世話は全て任せっぱなしのようだった。見ているだけで有能さがわかるような、シーザーには出来すぎた部下である。あるいは、部下だなんていう関係ではないのかもしれない。注意せねばならないのはシーザーよりもモネとナマエの二人であることはよくわかった。
 だからこそ二人の前で目につくようなことをするのはご法度で、本来の目的ではないにしろ見たかった資料を見ることに専念した。時間はまだある。面倒なことに心臓も取り返さなくちゃあならねェ。まだまだ、しかけるときではなかった。資料に目を通しながらだらりと身体をソファに預けていると、こんこん、と扉が叩かれた。「入っていい」と声をかければ、緩く笑ったナマエが現れた。トレイにカップやソーサーを乗せている。


「紅茶でもいかがですか?」

「……そうだな、もらえるか」

「ええ、勿論」


 頷きながらナマエはテーブルの前まで歩いてくると、カップに紅茶を注いで「どうぞ」と笑った。手に取ればカップは暖められており、ずいぶん気の利く男であると改めて思い知らされた。喉に流し込めば、優しい味と温かみが広がる。ほっと一息つくと何故かナマエは部屋に留まりおれの姿を見続けている。その様子に違和感を覚えて目線をそちらへ向ける。ナマエは相変わらず笑顔のままだ。


「……シーザーのところへ戻らなくていいのか?」

「? 戻った方がいいですか?」


 おれの言葉にナマエは首を傾げている。別にいられると困る、というようなことはないが、シーザーに後々何かを言われるのは面倒だった。シーザーはナマエにべったりだ。それが部下という意味であれ、友人という意味であれ、あるいはそれ以上の感情を持っているという意味であれ、厄介なことには違いない。変な因縁を付けられると今後動きづらくなる。おれはただ“政府の資料に目を通したいだけの七武海の一人”でいるべきだ。余計な関係に巻き込まれたくはなかった。ましてや嫉妬の矛先など、何をされるかわかったものではないのだ。おれは資料を改めて手に取り、軽く追い払うような手振りでナマエに返事をした。


「シーザーに難癖つけられたらたまらねェからな」

「難癖……?」

「あいつはお前を気に入ってるだろう」


 ナマエは先ほどから首を傾げっぱなしだ。どうやらナマエは自分が気に入られているという自覚がないらしい。あれだけべったりとされて気が付かないとは、とんだ勘の鈍いやつである。それが恋愛面や人の感情の機微だけでなく、すべてにおいてだったらありがたいのだが、そんなわけもないだろう。ただの鈍いやつなど、シーザーがあれほど近くに置くはずもない。ナマエはくびを傾げたままで口を開いた。


「私はただの用心棒なんですが……」

「用心棒? お前が?」

「ええ、クラウンの身の安全の確保が私の仕事なのです。基本的にすることがあまりにないので給仕のようになっていますがね」


 どう見たってそんなふうには見えない。助手か何かだと思っていたが、秘書の一人か世話係と言われた方がまだしっくりとくるはずだ。シーザーほど細身ではないにしろ、ナマエという男は用心棒という言葉から連想されるような屈強な身体の持ち主とはかけ離れた優男なのである。第一、誰も呼ばない下の名前で呼ぶような男がただの用心棒だというのは説得力に欠ける。ただならぬ用心棒というのなら、話はまた変わってくるが。傾げていた首を元の位置に戻してにこりと笑う様はまさに優男だった。


「人は見た目に寄りませんので」

「ならシーザーの傍についていた方がいいんじゃねェのか? 用心棒なんだろ」


 やはり到底納得できるものではなかったが、本人がそう言うのならその可能性だってあるし、注意するに越したことはない。人が見た目に寄らないというのは確かな事実だ。もしかしたら弱そうに見えるナマエだっておれの知らない脅威的な能力者なのかもしれないし、脱いだら筋肉の鎧に覆われたすごい身体をしているのかもしれないし、信じられないくらい洗練された覇気の使い手なのかもしれない。……見た目通りに悪人のピンク野郎もいるが、それとこれはまた別の話だ。「ご心配には及びません」。ナマエの声。ナマエの笑い顔。どれもこれも、いつも通りのはずだった。


「警戒すべきはトラファルガー・ロー、あなた様でございましょう?」


 さらりと言われた棘のある言葉に思わず瞠目する。目の前のにこやかな優男から発せられたとは思えないほどに黒く、牽制を表すものだった。やはりこの男、鈍感などではありえない。疑われている、見張られている、そう受け取るべき台詞だ。視線をナマエから離せずにいると、張り付けたような爽やかな笑みが崩れて、すこしばかり子供らしい笑みに変わった。


「冗談ですよ、冗談。そこまで緊張なさらないでください」

「……お前がおれを信用できねェって思っていてもおかしかねェ」

「まさか。信頼に値する人物でございますよ」

「どうだかな」

「そうおっしゃらないでください、個人的には仲良くしたいと考えておりますのに」


 楽しそうに笑うナマエに対し、眉間にグッと皺が寄った。からかわれている、のだろう。ナマエはおれの眉間に皺が寄ったのを確認したせいか、余計に子供っぽく笑っている。何がおかしい、何が楽しい、と問い詰めなくとも自分の行動がどういう意味を持つかくらいは理解できた。“緊張しちまって馬鹿じゃねェの”で挙げ句“機嫌悪くなってガキかよ”ということだろう。優男で穏やかな気風を持つ男だと思っていたが、シーザーとただならぬ関係かもしれない男がそんなわけもなかったのだ。こいつ、絶対性格悪ィ。
 からかわれている、馬鹿にされていると理解しても、唇はむっつりとふてくされたようにへの字になってしまう。ここでの目的がなければナマエのことをバラしているところだ。苛立ちから手元の資料がぐちゃりと音を立てる。ふう、とため息をついてから、出て行け、と口に出そうとして──ナマエが自分の本当に眼前まで近付いていたことにそこで気が付いた。いつから近づき始めていたのかも、いつの間に目の前にいられたのかも、まったくわからない。にわかに混乱が襲う。その隙に伸びてきた手が、頬に触れた。掌がぐっと押し付けられる。真剣な顔。頭の中でリフレインされるのは“個人的には仲良くしたい”という言葉だった。
 こいつ、なに考えてんだ! 想像してしまった言葉の意味に血の気が引く。慌ててナマエを引き離そうとしても、押してみたナマエの身体はぴくりとも動かない。鍛え方がまるで違うと思い知らせるような、硬い身体だった。最早能力を使うしかない、と思ったとき、ナマエは目を細め唇の端をくいっとあげて笑った。身体が固まる。


「顔が汚れていましたよ」


 離された掌にはたしかに何か黒いものがうっすらとついていた。埃っぽい室内のどこかで擦ったかなにかして汚してきたのだろう。それはわかる。ナマエは先ほどとは違い、にこにこといつものように笑みをこぼしている。けれど内心はおそらくおれがいつも想像していたような穏やかで凪いだものではなく、悪辣とした性格の悪さを発揮しているに違いないのだ。


「……で、」

「で?」

「出て行けっ! いますぐ、飼い主のところに帰りやがれ!」


 おれがそう叫んで思い切り蹴りつけると「へっ」と間抜けな声を出したナマエは、混乱したような顔をしながらも頭を下げてようやく部屋を出て行った。出て行くときに「またお話ししましょうね、私、あなたのこと好きですよ」などと悪戯に笑っていなければより良かったことだろう。扉が閉まるのを確認して、自分の顔に手を当てる。……じんわりと熱を持っているのが悔しかった。ただの顔がいいだけの男ではないか。性格だって悪そうだと言うことがわかったばかりだ。あんなやつに惚れるわけもない。落ち着け、おれ。
 何度か深呼吸をしているうちに顔の熱は引いてきたが、頭の芯はまだぼうっと熱いような気がした。個人的には仲良くしたい。好きですよ。ナマエの声がぐるんぐるんと頭を回る。おかしい。ここまで意識させられたおれもだが、ナマエの方がおかしい。──あいつ、本当に何を考えてやがる。唇を噛み締めてみても頭の中のナマエは子供のように悪戯に笑うばかりだった。

※なにもかんがえてません

シーザーの部下で色々と勘違いされてるたらし主がローを口説く@赤夏さん
リクエストありがとうございました!



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