脳内でクロコダイルさんがあられもない姿になる前におれはクロコダイルさんの腕の中から解放された。助かったと思ったけれど、おれは平常心ですよ、みたいな顔をして、何事もなかったかのように「それでは、波止場までご案内させていただきますね」とクロコダイルさんに改めて頭を下げ直した。船も待っていることだし、早く行ってあげた方がいいと思う。
 おれたちの会話を聞いて、クロコダイルさんが帰ることがわかったのか、ドフラミンゴさんはニヤリと楽しげに口角を釣り上げた。


「ワニ野郎はお帰りか。なら、おれもお見送りしてやるよ」

「あ? 結構だ、部屋で待つこともできねェガキの見送りなんざいらねェよ」


 クロコダイルさんも口角を釣り上げて笑っている。なんだかとても怖い牽制を見ている気がするし、お互いの視線がかみ合ったところでばちばちと火花が散っているのが見える気もする。ただ、おれとお二方の身長差は歴然としているので、巻き込まれるようなことはないので、まあ、いいと言えばいいのだけれど。それでも仕事としては滞るので、ドフラミンゴさんが付いてこようがどうでもいいから波止場までお送りさせてもらえないだろうか。
 しかし一分も立たぬうちにその腹の探りあいのような貶し合いのような会話は終わりを迎えた。しつこく構ってくるドフラミンゴさんの相手をしてやるのは、時間の無駄だということに気がついたのだろう。ドフラミンゴさんのことは無視をして、「おい、案内を続けろ」とおれに指示を出してくる。おれはそれに頷いて、道を歩き出す前にドフラミンゴさんを見た。
 妙に高い身長のせいで首が変な音を立てたような気もするが、気のせいだということにしておきたい。ニタニタと楽しそうな顔は、悪さをする猫のようでもある。


「ドンキホーテ・ドフラミンゴ様、規定されたエリア以外はあまり本部内を歩き回らないように願います。どうぞ、お部屋へお戻りを」

「冷てェなァ、メアリちゃん。誰かがおれを見張ってりゃあいいんだろ?」


 ゆるゆるとした足取りで向かってきたドフラミンゴさんは、長い指をこちらに伸ばしてきておれの顔に触れた。お前が見張っていろ、ということなのだろう。ぶっちゃけおれにはドフラミンゴさんを止められるだけの力はないと思うので、見張る意味もあってないようなものだと思うのだけれど……。
 困ったな。次に案内するのがドフラミンゴさんだから、一緒に行くのは効率的に悪いことではないのだけれど、この人なんか面倒なこと起こしそうなんだよなあ……クロコダイルさんに迷惑かけるのも忍びないし、……ていうかいい指してるな、ドフラミンゴさん。噛み付きたくなる……。
 意識がドフラミンゴさんの指先に移ったとほぼ同時に、廊下の端を横切るクザンさんの姿が見えた。おさぼりのようだが、──これはしめた!


「クザン様!」


 おれのでかい声にびっくりしたのは呼ばれたクザンさんだけでなく、おれにちょっかいを出していたドフラミンゴさんもクロコダイルさんもだった。ドフラミンゴさんは驚いて振り返る始末。クザンさんはおれたちを見てなんとなく状況を察したらしい。いつもどおりのゆったりとした足取りで近づいてきたかと思えば、やる気のなさそうな目と手でドフラミンゴさんを牽制した。


「あードフラミンゴ、うちのメイドに手ェ出すのやめてくれる?」

「なんだ青雉、てめェのお手付きか?」

「……はあ、そういう下卑た話じゃあないんだけどさァ、」


 ぽん、とドフラミンゴさんの肩に手を置いたクザンさんからはひんやりとした冷気が流れてくる。──「手ェ出すの、やめてくれるよなァ?」。それはわかりやすい脅しだった。あらやだ格好いい。いつも不真面目にサボってるクザンさんとはとても思えないくらいだ。おれが女の子だったら間違いなく惚れてることだろう。フッフッフ、と楽しげな笑い声。「わかったわかった」と言いながらドフラミンゴさんはぱしりとその手を払った。


「本気になるなよ、たかがメイドだろ?」

「そのたかがメイドにセクハラ続けてんのはどこの誰だっつー話だ」


 クザンさんからのお言葉に、ドフラミンゴさんは笑ってごまかしている。事実だからな……っていってもおれがハラスメントだと感じていないからセクハラで訴えることはできないけど。つーかおれこんなことしてる場合じゃないわ。クザンさんがドフラミンゴさんの相手をしてくれている間にさっさとクロコダイルさんを港にお連れしなければ……。今まで完全に放置していたクロコダイルさんの方へと振り返って、頭を下げる。


「大変お待たせいたしました、申し訳ございません。ご案内させていただきます」

「いやいい。お前の失態じゃあねェからな」


 案外優しいお言葉が聞こえてきて、おれは少々驚いた。文句の一つじゃすまないだろうと思っていたんだが……まあいいや。この場はクザンさんにお任せして、さっさと──そう思って足を動かしたらがしっと腕をつかまれた。またドフラミンゴさんか……と振り返ると、困ったような顔のクザンさんだった。


「え? なに、おれがこいつの面倒見るの?」

「……面倒を見る、というか、お部屋に戻っていただくところまで確認していただけたら幸いです」


 クザンさんにだってそれくらいできんだろ。そう思うのにクザンさんの顔は至極嫌そうな顔をしている。面倒なのか、はたまたただただ嫌なのか。でもね、仕事って全部楽しいってわけじゃあないから──諦めろ。そういう思いを込めてにっこりと笑ったら、クザンさんは訳の分からないことを言い出した。


「よし、じゃあおれもこいつもクロコダイルのお見送りして、それから議場に連れてけばいいじゃん」

「えっ」

「……あァ? てめェ、」


 クロコダイルさんが何か不満を口にしようとして、ドフラミンゴさんのけたたましい笑い声がそれを邪魔した。そりゃあこんな展開、ドフラミンゴさんにとっては楽しくてたまらないだろうよ……。おれは上司に逆らえないし、上司はこんなだし、クロコダイルさんにはもう諦めてもらう他ないだろう。申し訳ないです、と目線を送れば、クロコダイルさんの眉間のシワはこれでもかというほど深くなったが、ため息と共に「勝手にしろ」と了承した。ほんと、申し訳ないです。

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 おれを先頭に、クロコダイルさん、ドフラミンゴさん、クザンさんというなんとも奇妙な四人組での歩みは非常に注目を集めたが、それも波止場についてようやく終わりだ。既に荷物は乗員の方が回収していったらしいので、特にこれといった荷物の運び入れもない。あとはクロコダイルさんご本人が乗船すればそれで完了である。
 ドフラミンゴさんに絡まれていたクロコダイルさんが一歩踏み出して、止まる。そして振り返り、おれを見た。あまりにもじいっと見られたので、なんだか不安になってくる。


「いかがなさいましたか? 何かお忘れ物でも、」

「忘れ物、……忘れ物か。クハ、古典的な言い回しだが、まあ、いいだろう」


 え? なんの話してんの? と思ったら腕が伸びてきて、ぐいっと引っ張られる。身体が浮く感覚のあとすぐに、ちゅ、と。………………は? 眼前にはクロコダイルさんの顔のアップ。整った悪人顔してるとか目が金色で綺麗だとか唇ちゃんとケアしてんだなとか。一瞬でそんなことが頭の中を駆け巡っていった──が、クロコダイルさんがべろりとおれの唇を舐めてから離れたせいで、頭の中がスパークした。

 ──ヤバい、勃つ。


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