くまさんが手続きを終えて帰られて、ほんの一時間ほど後のこと、次の方がそろそろ到着されると声がかかった。暇だけれどいつ来られてもいいように待機していなければならない、という時間のでせいで気を抜くにも抜けずにいたおれは、来てくれたことで逆に緊張から解放されたような気がする。ふう、と息をついて、波止場へ向かう。壁通過HAEEEE! FOOOOO! と無理やりテンションを上げて走り抜け、本部の建物を出る前にドアの前に立つ。服と髪型を直し、外に出る。
 船がもうすぐ泊まろうとしていた。なかなかご立派な船だ。海兵が道を作っているのが地味に緊張する。メイドのおれに用意されたものではないと知っていても、ここを通るのだからどうしたって緊張せずにはいられない。海兵の道を通りすぎて、船から降りてくるのを待機する。──大きな影、くまさんほどではないけれど。おれはその人の顔を認めてからきちっと頭を下げた。顔を上げる。もちろん笑みを浮かべて、だ。


「遠路はるばるお疲れ様です、ジンベエ様。ひとまずお部屋の方にご案内させていただきます。お荷物等、運び入れるものはございますでしょうか?」

「…………」

「あの……?」

「あ、ああ悪いのう。荷物は特にない、大丈夫じゃ」


 降りてくるまで真顔だったはずのジンベエさんはおれの姿を見て、ほんのすこし動きを止めた。驚いてる……のか? メイドなんて海軍本部に似合わないものを見たからだろう。ツッコミを入れるのはメイドの仕事ではないので「かしこまりました。それではこちらへどうぞ」とさっそく部屋の方まで案内することにした。
 “海侠”ジンベエ。魚人海賊団の船長さんで、ジンベエザメの魚人らしい。安直な名前の付け方だと思うが、わかりやすいからそれでいいと思う。人間にしては大きいサイズ感だが、見慣れている人たちと大差はない。口から出ている歯が愛らしく、鮮やかな青い肌はとても美しい。ふおおお、人外萌えにはたまらない外見だぜ……! あ、いや、魚人って言ってもただの人種違いらしいから、人外萌えっていうのは失礼なんだけど。牙くっそ萌える。うおおん、可愛いなァこの人。初めて魚人に会ったけど、彼らはいろんな人に会ってみたくなるわくわく感を秘めている。とりあえずネコザメの魚人に会いたいです。
 脳内がそんなお花畑になりつつもきちんと部屋まで案内することができた。「こちらになります」。扉を開いて中にジンベエさんを招き入れる。


「準備が済むまで少々お時間をいただくことになるかと思われますので、飲み物等お持ちいたしますか?」

「いや、今はいい」

「かしこまりました。御用の際は近くのものにお声かけいただくか、壁を数度叩いていただければ参りますので、そのようにお願いいたします」

「壁? ……こういうことか?」


 こんこん、とジンベエさんが壁をノックする。不思議そうな顔をする彼におれは「はい」とうなずいて見せた。ジンベエさんはよくわかっていないようだったが、わかったとばかりにうなずいてくれた。おれは政府関係者に準備をさせねばならないため、「それでは失礼いたします。準備ができ次第、伺わせていただきますので」と頭を下げて早々に部屋を出た。さて、と。今頃だらけきっている方々に仕事をしてもらうように言ってこなければ。

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 議場に言ったらおつるさんがいて「頑張ってるみたいだね。準備はあと十五分くらいで済むと思うから、ああこれ、ジンベエに持って行っておくれ。待っている間に読んどいてくれた方が早く済むだろう?」と書類を渡してきた。マジか。存外早いな。ついでに飴もくれた。お、おばあちゃん……と元の世界のばあちゃんを一瞬思い出しそうだったけれど、よく考えたらおればあちゃんに会ったことなかったわ。両親駆け落ちしてたからな……かっこいいぜ、父ちゃん母ちゃん……!
 変な思考に陥りながらジンベエさんのお部屋を目指す。前の世界を思い出すことも初めに比べれば少なくなってきたからだろうか。自分の名前はすでに思い出せないくせに、父親と母親の顔はしっかり思い出せるのだから、いいのかもしれない。
 ついでに言うとおれのことを美少女オタクが原因で振った恋人のこともきっちり覚えている。『これとアタシとどっちが大切なのよぉ!』とおれの嫁のフィギュアをぶち折ったおそろしい恋人のことだ。マジトラウマ。嫁の身体が半分になって『ぎゃあああああ! 何しやがんだ馬鹿野郎!』と泣き喚いたおれに攻撃噛ましてそのまま出て行ったあいつとは、結局どっちが謝ることもなく別れたんだっけな……。ちなみにおれはそいつの攻撃を受けたせいで額が割れ床に倒れていたら、訪ねてきた友達によって救急車で運ばれた。たしか十針ぐらい塗った。超痛かった。そんなに力が強いとか聞いてない。趣味はフラワーアレンジメントと家事だって言ってたじゃん。絶対嘘だろ。
 そんなトラウマを思い出していると、ジンベエさんが待っている部屋についていた。脳内からトラウマを押しやり、目の前の重厚な扉をノックする。返事を聞いてから扉を開けて歩を進めれば、ジンベエさんがソファに座っていた。


「失礼します。あと十五分ほどで準備が整うとのことでしたので、今しばらくお待ちくださいませ」

「ああ、わかった」

「それからこちら、ジンベエ様に渡すよう言付かっております」


 資料を差し出すとジンベエさんは「ありがとう」とお礼を言ってくれる。悪意や含みのない礼を言われるとやはり嬉しくなるもので、作ったものではない笑みがこぼれた。「いえ、それではまた十五分後、お伺いいたしますね」。頭を下げて踵を返すと、「おい」と後ろから声がかかった。呼び止められるとは思っていなかったため、すこし驚いたのだがそれを表に出さないように振り返る。


「どうかなさいましたか?」

「あ、いや……お前さんは、魚人に知り合いや友人がいるのか?」

「いえ、ジンベエ様にお会いしたのが初めてです」


 いるのか、なんてそうだと思っているような尋ね方だ。よくわからない。おれは魚人が知り合いにいそうな顔でもしているのだろうか。魚人が知り合いにいそうな顔ってなんだ。おれが内心で首を傾げていると、ジンベエさんはほんのすこし言葉を詰まらせて、それからおれを見た。どうしたんだろう。なんか悩みごと? 一介のメイドに相談することなんてなさそうだけど……。


「どうぞ、何でも仰ってください。できうる限り尽力させていただきます」


 おれにできることなど本当に限られてるけどな。一般的なメイドができることなら多分できるし……あとは下世話な話くらいしかできないけど……! おれが間違った方向に心配をしていると、ジンベエさんは意を決したようにおれを見る目の色を変えた。


「お前さんは、なぜ魚人を恐れない?」



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