「な、何で、そんなの行くわけ…。」
「返して欲しいんだろ?」
「そうだけど…。」

コイツの家に行くなんて危険過ぎる。
ホイホイ付いて行くほど、私だってバカじゃない。

なのに、

「要らねぇならホントに捨てるけど。」
「…行くわよ!行く!!」

挑発的な言葉に乗せられてしまう。
どんどんどつぼに嵌まっていく気がする。

「じゃあ、先に店出て待ってるから。友達と来てんだろ?」
「うん…。」
「何かテキトーに言って抜けて来いよ。」

個室からさっさと出ていく後ろ姿に、背筋が寒くなった。

まるで当然の流れのようだ。
今までのこと全てが家に連れ込むための常套手段なんじゃないかとさえ思えてくる。


今なら引き返せる。
何食わぬ顔をして同期達が待つテーブルに戻れば良いだけ。

でも、指輪はどうなるんだろう…?

アイツは本当に捨ててしまいそうな気もする。

出会った時から感じていた危険信号が今、最大音量で聞こえる。














「あっ、ナミー!トイレ遅かったね。大丈夫?」

席を立ってから、どれぐらい時間が過ぎたんだろう。何も言い訳が思い付かない。
無言で突っ立ったままの私を同期達が不思議そうに見ている。

「体調、悪いの?」
「ううん……あっ、そうなの!ちょっと体調が悪くて…。」
「え!大丈夫?じゃあ、今日はもう帰ろっか?」
「だ、大丈夫!!私一人で帰るから!まだ終電あるし!!二人は折角なんだから残ってて!!」
「えっ、でも…。」
「じ、じゃあ、またねっ!!」

何がどう「折角」なのか自分でもよくわからないけど、逃げるようにその場を後にした。
それに、この心臓に悪い空間、体調が悪いというのもあながち嘘ではない。このままここにいたら、本当にどうにかなってしまいそう。


お店を出ると、すぐ斜め前の道でルフィが待っていた。
私を見付けると「行くぞ」と言って後ろにあったバイクに乗り込む。

「え…アンタ、お酒は?」
「今日はバイクだから飲んでねぇよ。」
「そうなんだ…。」

とりあえず、飲酒運転はしないという常識があったことだけに安心して、後ろに跨がった。


一つしかないヘルメットを私に被せて走り出す。

どうかどうか、事故にあったり警察に見付かったりしませんようにっ!





バイクを走らせて15分程度、繁華街から少し離れただけ突然寂れた街並みになる。
一応、住宅街というのだろうか。街灯もまばらで、この深夜の時間帯だとおどろおどろしい雰囲気がある。
目的地に近付いたらしくルフィが速度を落としていく。



到着したのは、この周辺では比較的新しそうなアパート。
ルフィに促されるままに一階の一番奥の部屋に向かう。


勝手に、さぞ汚い男の一人暮らしなんだろうと予想していたから、扉を開けたときの小綺麗さに驚いた。

小綺麗というよりも、生活感がまるで無い。
広めのワンルームにシングルベッド、小さなチェスト、小さなテレビ、小さなテーブル。飲み物ぐらいしか入らなそうな小さな冷蔵庫。寝に帰るだけ、という印象。


「突っ立ってねぇで上がれよ。」
「いい!ここで大丈夫っ。さっさと指輪返してよ。」

家に来ただけでも充分危ないのに呑気に靴を脱いで寛げるわけがない。
警戒心は解かずにルフィを睨み付ける。

「そうカリカリすんなよなー。えっと、どこにやったっけなぁ〜。」


そう言いながら、ベッドの下を覗いたり、チェストの引き出しを漁ったり、一向に指輪が出てくる気配がない。

捨ててなくても、無くしてるという可能性があったことに目眩がする。


「何やってんのよ!真面目に探してよ!」

痺れを切らして、思わず部屋に上がってしまった。

「いや、そんなこと言ってもよー。あんな小せぇの、どこにやったか覚えてねえんだよなー。」
「最っ悪!もういいわ、私が探すから。」

ルフィを押し退けて、チェストを漁る。
下着の引き出しを開けた時は少し抵抗があったけど、気にしないふりをした。

ルフィは私の後ろでウロチョロした後、バスルームに入っていく音がした。

ワンルームだから、中の音が全部聞こえてくる。
何一人で用足してリラックスしてんのよ…!
もう血管が切れる寸前だった。


「おー、あったあった。手洗い場にあったぞ。」
「本当に!?」

振り返ると笑顔のルフィがいたけど、手には何も持ってない。

「どこ?どこにあったの?」
「まあまあ、落ち着けよ。」

詰め寄る私を宥めて、冷蔵庫から何かを取り出す。

「まあ、飲めよ。」

部屋の真ん中のテーブルに置かれた缶ビール、とても冷えていて美味しそうだけど。

「私、別にお酒飲みに来たわけじゃ…」
「お、沸いたな。」

私の話も聞かずに、ルフィはキッチンスペースに向かって、いつの間に沸かしたのかお湯をカップ麺に注いで戻ってきた。

携帯電話をテーブルに出して時間を計っている。

「…何してんの?」

混乱する頭でやっと出た言葉。
見ればわかる状況だけどわかりたくなかった。

「ん?腹減ったからメシ。お前も付き合えよ。あ、お前もコッチ食いたいのか?」
「違うわよ。いらないわよバカ。早く指輪返して。」
「やだね。」
「や、やだ?」
「指輪返したらすぐ帰っちゃうだろ?」
「当たり前でしょ!そのためだけに来たんだから。」
「ちょっとぐらい付き合えよ。一人でメシ食ってても寂しいだろ。」
「寂しいって…。」

本当に考えていることが理解不能。
今まで自分が常識だと思っていたことが全く通じない。

「食べ終わったら返してくれるんでしょうね?」
「おう、返してやる。」

私の物なのに何で「返してやる」と上から目線で言われなければいけないのか腹が立つけど今は食べ終わるのを待つしかなくて、渋々テーブルにつくことにした。

プシュッと良い音がして開いた缶ビールを喉に流し込む。
からからに渇いていた喉を潤してくれて、血が上っていた頭が少しだけ冷えていく。


「ここに一人で住んでんの?」
「ここに二人は住めねぇだろ。」
「そうよね…。」

カップ麺が出来るまでの三分間がこんなにも長いものかと間がもたない。
何か話を繋いでいないとと、適当な話題を探す。


「…彼女にバレたら大変なんじゃないの?」
「何が?」
「だから、部屋に他の女が上がったことが彼女にバレたらまずいんしゃないの?」
「は?そんなヤツいねぇよ。」
「え、でも…。」

初めてクラブで見かけた時に一緒にいた女の子は彼女じゃないんだろうか。
それとも私みたいに、一晩寝ただけの…

「自分と同じ」と考えてから、とてつもない嫌悪感に襲われる。

「お前、何のこと言ってんだ?」
「先週の金曜日、一緒にバーカウンターにいた…」
「先週?カウンター?…ああ、アイツは依頼人。」
「依頼人?」

予想外の言葉に聞き返す。

「仕事のな。」
「仕事って?」
「色々。」
「色々って?」
「色々は色々だ。」
「ふーん…。」

口が軽そうなのに案外秘密主義でバリアを張ってくるのが気に入らない。

「気になんのか?」

得意気に覗き込んでくるのが、もっと気に入らない。

「別に。」

どうせロクな仕事じゃないんだろう。
興味も無い。


漸く長い長い三分間が過ぎて、ルフィがズルズル啜り始める。
こんな深夜に、見ているだけでも胃もたれしそうで視線を逸らせた。


「あー、食った食った。」

あっという間に完食したルフィの満足そうな声が聞こえる。私はあからさまに顔を背けたまま。

「お前って、ホント笑わねぇよな。」

いきなりテーブルの上に身を乗り出して覗き込んできて、そんな失礼なことを言われる。

「そりゃ、面白いことも無いのに笑わないわよ。」

近すぎる顔に距離を取りつつ答える。

「笑えよ。」
「は?そんなこと言われて笑えるわけないでしょ。」
「この前は、あーんな可愛かったのになぁ。」
「なっ…か、可愛いって!バカにしないでよね!」
「バカにしてねぇよ。お前、ひねくれすぎだぞ。」
「そんなことより!もう、食べ終わったんでしょ。返して。」

左手をズイっとルフィの方に差し出して要求する。

「嵌めてやるよ。」
「え…。」

ルフィはハーフパンツのポケットから指輪を取り出すと、何てことないように私の左手を取って薬指に通した。

左手の薬指とルフィを交互に見比べる。



 
「そんな大事なもんなら忘れんなよな。」
「仕方ないでしょ。朝は急いでて…、それにアンタが外したりするからいけないのよ!」
 
何故かルフィに説教されそうになり、事の元凶を思い出して負けじと反論する。
 
「邪魔なもんつけてるお前が悪い。」
「邪魔邪魔って人の物にケチつけないでよね!」
「ホントは大して大事じゃないんだろ。」
「そうやって決め付けるのやめて!」
「うわっ。」
 
ダンッとテーブルを叩いた揺れで端に置いてあったカップ麺が倒れる。
割りとスープが残っていたらしく、抑える間もなくそれが全てルフィのTシャツにかかった。
 
「アッチィ〜〜〜!!!」
「ご、ごめ…。」
 
ルフィが飛び跳ねてバスルームに駆け込んでいった。
 

全てルフィにかかったおかげで、テーブルもフローリングもそんなに汚れてないみたい。
あー、良かった。ん?あんまり良くないのかも?そんなことを考えているうちにTシャツを脱いだルフィが戻ってきた。
 
「お前な、ヤケドするかと思ったぞ。」
「…ごめん。」
「別にいいけどよ。」
 
そう言って、服も着ずにまたテーブルにつく。
 
この前も思ったけど、…コイツって意外にイイ身体してる。
手足が細いから服を着ているとわからないけど、脱ぐとかなり。
 
でもそれよりも、この前は情事に夢中で気付かなかった傷跡の方が気になる。
背中と脇腹、それに良く見ると小さな傷もいくつか。
どんなことをして出来た傷かなんて想像もつかないけど、真っ当な人間が普通に生活していて出来る傷じゃないということぐらいはわかる。
 
「そんな気になるか?」
 
凝視していた私に気付いてルフィが問いかける。
 
「別に。気にならない。」
 
ルフィには反論するのが癖になっているみたいに言い返してしまう。
 
「触ってみてもいいぞ。」
「はっ?」
 
聞き返す前に腕を取られてバランスを崩す。気付けば押し倒されていた。フローリングのヒヤリとした感触が薄手のカットソー越しに伝わってくる。
 
「ほら、触っていいぞ。」
「頼んでないわよ!」
 
ちょっと…この体勢はまずい…。

押し返そうとした両手は男の力で拘束されてビクともしない。
足の間にはルフィの膝があって閉じることすら出来ない。
 
 
何やってんのよ…。
指輪を受け取ったらさっさと帰るつもりだったのに、何居座ってんのよ。
何、呑気にビールなんか飲んでるのよ…。

何やってんのよ、私っ!

「やっぱり良いな、ソレ。」
 
ルフィの視線が私の胸元に注がれる。
胸の間に付けられたキスマークのことを思い出して一気に顔が熱くなる。
 
「ふざけないでよ。そこどいて。」
 
ドクンと音を立てて全身の血が動き出すのを感じながら、ルフィのことを睨み付ける。
 
「もう何個かつけとくか。」
「バッ、バカ言わないで!」
「んん、でも痕つけるだけじゃつまんねぇしなー。」
「何考えて…」
「するか?」
 
 
 
真っ黒な瞳の奥が何も見えない。

今の状況を楽しんでいるだけのようにも聞こえる声は、いつもより少しだけ低い。

 
ルフィの薄い唇が形を歪めてニヤリと笑う。
その味を知ってる。

 
私の体が、ルフィの体温を覚えてる。








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