もう、このクラブに来ることも無いと思っていたのに、何故か一週間と経たずに来ている。


いつもの面子で飲んでいたら、ついつい盛り上がってしまって、気が付いたら終電が無くなっていた。

タクシーで帰るという選択肢もあったのだけど、まだ飲み足りないと一人が言い出して結局付き合わされていた。
週真ん中の水曜日に何が悲しくて朝まで飲まなきゃいけないのか。
お酒は嫌いではないけど、翌日の仕事のことを考えると手放しでは楽しめない。



席はこの前と同じ中二階のテーブル席。

何となくカウンター席を見下ろすと男の人が一人座っているのが見える。
アイツじゃない。後ろ姿でもわかった。


男の人はソワソワと入り口を気にしている。
誰かを待っているみたい。

その目線の先を追うと、アイツが、ルフィが入ってきた。



ルフィは脇目もふらずにカウンター席へ一直線、男の隣に腰掛ける。

何かを話した後、男がルフィに封筒を差し出した。
ルフィは慣れた手付きでそれを受け取って、ズボンのポケットに押し込んだ。



…え、…今のって…お金?
私、もしかして…すごく、いけない現場を見てしまった?


「ナーミっ!何見てんの?」

目が離せないでいる私に同期が気付く。
同じように目線を落としてルフィを見付けてしまった。

「あっ、あれルフィ君じゃない?おーい!一緒に飲もうよー!こっち、こっちー!」

BGMが爆音で流れている店内では、こんな距離じゃ叫んでも聞こえないはずなのに、ルフィはこちらを見上げて私達に気付いた。


ヘラヘラと笑って手を振っている。
数秒前にあんな怪しそうなやり取りしていたのに、動揺の欠片もない。

何で私がハラハラしなきゃいけないのよ。









ルフィは身軽に階段を昇ってきて、一人で私達に合流する。
女三人に男一人という、妙な構成。

「今日はゾロとかサンジは一緒じゃないの?」
「あいつらとは、別にいつもつるんでるわけじゃねぇよ。」
「そうなんだ。さっきのカウンターに一緒にいた人は?友達じゃないの?」
「ん、ちょっとな。」
「ふーん。あ、そう言えばさー…」

歯切れの悪いルフィの物言いを特に気に留める様子もなく会話を続けている。

私はこの間のことを思い出しながら、その会話を一歩引いて見ていた。


『腹の中では違うこと考えてんだろ?』

…痛いところを突かれた。

いつも、盛り上がっていても、心のどこかで冷めている自分がいる。
それは小さい頃からそうだった。

目の前の相手が自分にとって、損か得か、そればかり考えていた。


母は若い頃それはそれは大恋愛で周囲の反対を押し切って結婚したらしいのだが、蓋を開けてみればとんでもない男で、浮気にギャンブル、借金まで作って蒸発したという。
結果、両親にも勘当されて帰る場所もなくこの有り様だ。

だから、私は間違えない。

一時の感情に左右されたりなんかしない。


今となっては損得よりも、害があるかないか。
今の安定した生活を邪魔する人間じゃないかどうか。

それが私にとっては重要。




「お前の指輪でっかいな。それ、邪魔じゃないのか?」


グラスを傾けている、私の手にルフィが注目する。

婚約指輪をキレイだとかすごいだとか賞賛されたことはあるけれど「邪魔」だと表現されたことはない。
どこまでも失礼なヤツ。

「あのね、これは婚約指輪っていうの。婚約者が、私に見合う価値のものを贈ってくれたの。だから全っ然邪魔じゃない!」

ガンッ、と音を立ててグラスを置く。

やばい、悪酔いしたかも…。会話もせずに一人で何杯か進んでいた。

すごくイライラする。


「その婚約者ってヤツのこと好きなのか?」
「それ、アンタに関係ある?」
「いや。関係ねぇな。」

喧嘩腰の私に対してルフィは至ってマイペース。

それが余計にイライラする。

「関係ねぇけど、大して好きじゃなさそうに見える。」
「ちょっ、ルフィ君何言ってんの?」
「好きに決まってるじゃん!結婚するんだよ?」

私の青筋に気付いてか、同期達が割って入る。

「私の婚約者に会ったこともないのに、アンタに何が分かるのよ!」
「俺のカン。」
「勘?バッカみたい!」
「もー…ナミもやめなって。そんなムキにならなくても…」

周りの制止の声も聞こえなかった。

「好きかどうか?それってそんなに重要?結婚なんて一生のもの、そんな浮かれた感情で決める気は無いわ!」


完全に売り言葉に買い言葉だったけど、本心だった。紛れもなく。

同期達がポカンとしている。
そりゃそうだろう。これから結婚するっていう人間がハッキリ好きじゃないと宣言したようなものなのだから。

目の前のルフィは無表情だ。何も言わない。

「悪い?」
「別に、悪くねぇんじゃん?」
「なら…」
「でもお前って、つまんねーヤツなんだな。」
 
そう言い放ったルフィの目が背筋が凍るぐらい冷たい。
 
「…帰るっ!」
 
嫌だ。これ以上コイツと一緒にいたくない。
音を立てて席を立ち上がる。
 
「逃げんなよ。」
「帰る!!」
 
コイツは私が一番傷付くことを言う。
近付いちゃいけない。
 
「終電ないよ、ナミー。」
「一人じゃ危ないってば!」
 
同期達の声を背に階段を駆け下りる。
 
「俺が行く。お前らはここにいろ。」
 
ルフィの声が聞こえて、より一層足を速めた。
ヒールの高いサンダルで上手く走れない。
 
「待てよ!おいっ!待てってば!」
 
お店を出たところで、あっという間に捕まえられてしまった。
 
周りがチラチラとこちらを見てくる。
カップルの痴話喧嘩ぐらいに思われているんだろう。
 
「離してよっ!」
 
掴まれた腕を思いっきり振りほどいた。
ルフィに背を向けて歩き出すと、同じ速度でついてくる。
 
「なあ、どこ行くんだよ。」
「帰るの。」
「帰るって、もう電車ねぇぞ。」
「タクシーでも拾うわ。」
「この辺じゃタクシーも捕まらねぇって。」
「いいからほっといてよ!」
 
立ち止まって振り返ったのが悪かった。
前をよく見ずにまた歩き出したせいで、前から来た人とぶつかってしまった。
 
「いってぇな!どこ見て歩いてんだよ!」
「あ、すみません…。」
 
そっちだって不注意なのに、何で私が謝らなきゃいけないの?
謝った後に気付いて腹が立ってくる。
 
「あーあー、これ骨折れちゃったかもなぁ。慰謝料払ってもらわないとなぁ〜。」
「はぁ?」
 
いかにも頭の悪そうな男達が四人。品定めするように、私の頭からつま先までをジロジロと見てくる。
面倒臭いのに捕まってしまった。
 
「そんなんで折れるわけないだろ。お前らバカか?」

どうしたものかと立ちすくんでいると、後ろからとんでもないセリフが飛んでくる。

「ちょっと!アンタ、何言って…!」
 
慌てて止めようとする私を押し退けて、ルフィが男達の前に立つ。

しまった。ここに、もっと頭の悪いヤツがいた。
あんな奴ら適当にかわしておけばいいのに、何で真っ向から喧嘩売ってんのよ…。
 
「お前、今何て言った?」
 
先頭に立つ男がルフィのTシャツの襟首を掴んで自分の方に引き寄せる。
はっきり言って体格が全然違う。四人が四人ともプロレスラーみたいな身体の大きさで、ルフィと比べたらまるで大人と子供。敵うわけがない。
 
 
「だから、お前らバカかって言ったんだよ。」
「…今なら金置いてけば許してやるよ。それとも女の前で地面這いつくばって、みっともねぇ格好見せたいか?」
「やってみろよ。」
「このっ…!」



男が拳を振り上げたところまで見ていた。

でも、その後は目を覆ってしまって何が起きたのかわからない。


辺りが静まって恐る恐る指の隙間から覗き見ると、四人ともが地面に転がっていた。そのうち一人は気絶して白目を剥いている。


何したの?魔法?
一瞬の出来事で訳がわからない。


「アンタ、すごく…強いのね。」
「当たり前だろ。こんな弱っちいヤツらに負けるかよ。」

ルフィが伸びたTシャツの襟を整えながら答える。


コイツって一体何者?


ふと気が付くと、ちょっとした騒ぎになったせいでギャラリーが出来ていた。
しかも、誰かが呼んだらしく、ギャラリーの後ろの方から警察官が二人、近付いて来るのが見える。


「話を聞かせてもらえますか?」
「やべっ!逃げろ!」
「えっ、ちょっと…何でっ!」


手首を掴まれて、ルフィに引き摺られるようにしてまた走り出した。


有り得ない。何なの?
悪いことしたわけでもないのに、何で私まで警察から逃げなきゃいけないの?


10分ぐらい走っただろうか。
路地裏に入ったところで、ルフィがようやく止まってくれた。


「なっに、考えて…るの、よ?…け、警察からっ、逃げる、必要…ない、でしょ?」

息も絶え絶えでまともに話すことすら出来ない。


「だって、アイツら話聞くだけって絶対面倒くせーだろ?」
「そう、だけど。」

逃げた方が、後で捕まったときに余計に面倒臭いことになりそう。

何とか息を整えて、足元を見ると走っている時に感じていた異変に気付く。


「あー!!」

サンダルのストラップが切れている。

「わっ、何だよ?お前、驚かすなよ。」
「これ、どうしてくれんのよ!買ったばかりのお気に入りだったのに!」
「悪かったよ。ごめんって。」
「もう歩けないし、どうすればいいの…。」
「ちょっと見せてみろよ。」
「えっ。」

ルフィはいきなり私を抱き上げて、後ろのちょうど腰の高さぐらいの柵に座らせる。

無遠慮に人の足首を掴んで、自分の目の高さまで持ち上げようとしてくるから、それは咄嗟に抑えた。
ミニ丈のワンピースだから、下着が見えそうになる。


「お前、紐か布か持ってるか?」
「…紐か布。」

そんなもの持ち歩いている訳がない。

「あっ、ハンカチなら…。」

思い出してバッグから取り出して渡すと、ルフィは器用にサンダルに巻き付けて、私の足と固定する。

「とりあえず、これで良いだろ。」


足首をクルクル回してみても、落ちる気配はない。

「まあ、これで我慢するわ。」
「そもそも、お前があんなヤツらにぶつかったりするから悪いんだぞ!」
「何でよ!喧嘩して大騒ぎにしちゃったのはそっちでしょ!」
「お、俺のせいか?」
「そうよ!」
「ごめん。」

何なの?コイツ。
怒鳴ってきたかと思ったらしおらしく謝ってくるし。

…本当に変なヤツ。


「でも、まぁ…ありがと。助けてくれて。」


目が合った時のルフィの顔がほころぶ。
それを見て、自分が笑ってることに気付いて慌てて下を向いた。異様に恥ずかしい。


ルフィの手が私の頬に触れて顔を上げる。
予想外にゴツゴツした男の手で、走っていた時は気付かなかった。


「やっぱりな。」
「…え?」
「初めて会ったときから仏頂面のお前が笑ったら、どんな顔するんだろうって、ずっと気になってた。」
「…。」


言いながら、頬に当てた手を上にスライドさせて、私の髪を鋤くように撫でる。
時折、髪の毛を耳にかけるようにしながら。


「お前の笑った顔が見たかったんだ。すげぇイイ。」



コイツ、相当酔ってる?
私も相当酔ってるかも。


さっきからやけに心臓がドキドキうるさいのも、ルフィの声が、目が、甘く蕩けるように感じてしまうのも、酔っているせい。

醒めたらきっと忘れている。


だから、これは、一夜限りの、夢。



ゆっくりと、顔を近付ける。
私を見据えていた大きな瞳が閉じるのを見届けてから口付けた。







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