教育実習生静雄さんと可愛い外道臨也くん







確か、折原臨也といったはずだ。
「平和島せんせ」
舌ったらずに俺の名前を呼んで、潤んだ目を向けてくるそいつの名は、折原臨也といったはずだ。俺が教育実習で厄介になってる田中先生のクラスの男子生徒。そう、『男子』生徒だ。そして俺も男だ。なのに、どうしてこうなった。
「ね、せんせ。すぐだから。ほんとにすぐ。一瞬で終わっちゃう。俺、うまいから」
折原は、ぺたりと床に座り込んで俺を見上げてきた。真っ黒な学ランから伸びる手は、よりにもよって俺の股間をそっと撫でている。一瞬で終わるって、何がだ。俺の教育実習生活か。殺すぞ。
「お、折原……やめろ」
「やだ。ね、言うこと聞いてください、せんせ。じゃなきゃ俺……大声出すよ」
ぷち、と控え目な音を立てて、折原がカラーを外す。覗いた首の白さに驚いた。そこらの女よりよっぽど――いや、いやいやいや。そうではない。
「平和島先生にひどいことされましたって、言う。いいの?よくないでしょ?ほんとの先生になれなくなっちゃうね」
そわそわと、まるで大好物を前にしてお預けくらってるガキのような顔をしてるくせに、折原の口から飛び出る言葉は下衆のそれだ。苦々しい気持ちでいっぱいになりながら、疚しい動きを繰り返す手を掴む。
「なん、だよ……俺に何の恨みがあるってんだよ」
「恨み?」
きょと、と目を丸くして、折原は首を傾げた。雀の子のように無垢なその仕草も、不健全なこの体勢ではいやらしいものにしか見えない。それとも、そう見える俺がおかしいのだろうか。
「恨み……恨みなんてないです」
「ならこんなこと、」
「でも好き。恨みたくなるくらい好き、先生が大好き」
絶句した俺に綺麗な笑みを向けて、折原は頬をすり寄せてきた。俺の、その、アレにだ。とんでもないことだった。たいしてよくはない俺の頭が、一瞬でショートする程度には。
「せんせ、好きだよ。だいじょうぶ、口の中なら女の子と何も変わらない。ね、噛んだりしませんから」
折原の細い指がベルトにかかった。俺の顔を見上げるのをやめて、視線を俺のあられもないところに集中させている。伏し目を守るまつ毛だけが嫌に長くて繊細だった。冗談じゃない、冗談じゃない!
「や、やめ、やめろ、やめろやめろやめろやめろっつってんだろ!!」
「……そんなに大声出されたいんですか?」
カチャカチャという音の後に聞こえたジッという音に、いよいよ寒気がした。ようやく引き離せばいいという考えが頭に浮かんで手を伸ばしたものの、再び顔を上げた折原の表情があんまりにも思い詰めたものだったせいでつい止まってしまった。それが、多分間違いだらけだった俺の行動の中で一番の間違いだったのだと思う。
「先生」
鳴らしたその舌でくちびるを舐め、折原は切なげに眉根を寄せた。ガキのくせにそんな顔を一体どこで覚えてくるのだろう。そんなことを考えている間に――俺のアレは折原の口の中に消えていった。その後のことは、あまり思い出したくない。








眠れなかった。一晩中眠れなかった。そりゃそうだろうと自分で自分を励ましながら、必死で教科書をめくる。
予習はしっかりした。練習も、昨日のあの青天の霹靂の後、死にたくなる気持ちを全力で抑えて幽に付き合ってもらって頑張った。だから、俺は練習通りにやればいいだけなんだ。けど、どうにもあの白い指先が頭にちらついて離れない。
「じゃ、次の歌を読んでもらうぞー……あー今日は五日だから……お……り、はら……くん」
で、地雷を踏んだわけだ。俺は今すぐ俺を殴り殺したい。窓側の席の折原は、ちらっとこちらに視線を向けた。はい、と、優等生然と返事をするあの口が、どれだけ淫らな動きをするか俺は知っている。
「恋ひしきに命をかふるものならば死にはやすくぞあるべかりける」
「……じゃ、次は現代語訳な」
「この命と引き換えに恋しいあなたに逢えるなら、死ぬことなどたやすいものです」
「ん、そうだな。じゃ、座って」
教科書と折原と、交互に視線を行き来させる俺とは違って、折原の視線はまっすぐに俺に向いていた。情熱的な恋の歌が、頭の中をぐるぐると廻っている。チャイムが鳴るまで、生きた心地がしなかった。








「けほっ、ふ、ぅ」
二人きりの第二職員室で、折原はいつも俺が出したものを飲もうとする。けど、最後の最後で喉が拒否するのか、いつも飲み下す寸前にティッシュを求めて目を白黒させた。最近ではつらそうにする折原に飲ませるためにミネラルウォーターまで用意している俺はとんだアホだ。こんなことを、二日と空けずにしてるだなんて。
「……折原」
大丈夫か、とはどうしても言いたくなくて、結局いつも散々迷ってからただ名字を口にするだけだった。けど、折原はそれだけでとてつもなくうれしそうに笑う。黙っていなくても綺麗な顔をしているが、笑えば途端に可愛らしくなるから不思議だ。
「なに?先生」
「なに?じゃなくて……お前、いつまでこんなことすんだよ?」
出したままだったものを仕舞い、換気のために窓を開けながらそう尋ねる。グラウンドを走る野球部員の姿が眩しくて、恐ろしいほどの罪悪感と羞恥心に襲われた。健全な精神は健全な肉体に宿るという。それなら、俺と折原の間には1mgもそんな可能性はないだろう。
はあああ、と雨雲よりも重い溜め息をついて、窓から折原へと視線を戻す。そこで、ぎょっとした。折原が今にも泣き出しそうに目を潤ませながら、学ランの下に着ている赤いシャツの裾をぎゅっと握っていたからだ。
「……気持ちよくなかった?」
なんでそうなる。なんでそうなる。大事なことだから何度でも言うが、なんでそうなるんだ。呆れてものが言えないとはこのことだと思い、ガシガシと頭をかいてからもう一度さっきより深く溜め息をついた。びくりと震える細い肩は、こんな状況でさえなければ同情心を抱いたことだろう。もしくは、庇護欲かもしれない。
「あのよ、気持ちいいとかよくねえとかの問題じゃねえだろ。こんなことして何の得になるんだよ……なあ、もうやめようぜ」
日々思い続けていることを口にしたら、折原の顔はさらにくしゃくしゃになった。泣くのかと思い、ぎょっとして駆け寄った俺はいまだにわかっていない。折原臨也のひたむきなしたたかさを。
「先生、そんなこと言わないで」
「折原……」
「じゃなきゃ、これ、ばらまく」
「え」
目の前に突きつけられた物体に、俺は血の気が引いた。折原が取り出したスマートフォンのディスプレイに、俺が折原にくわえられてる写メがあったからだ。鮮明に。くっきりと。どうしようもないくらいに。
「い、いつ、こんな」
「カメラ仕込んで隠し撮りしちゃった。先生、可愛かったから。俺、自分でするときこれ見て」
「黙れ!!……黙ってくれ、頼むから」
なんだって俺がこんな目に。教育実習始まってから何度目かになる泣きたい気持ちに襲われる俺を、折原がふわりと抱き締める。慰めているかのような行動だった。元凶のくせに。
「可哀想な先生、でももうちょっとの我慢だから」
頭を撫でられながら囁かれた言葉の意味が、そのときの俺にはまだ理解できなかった。








「っ、は」
日誌を書く手に力がこもる。紙面に押しつけすぎたシャーペンの芯がぼきりと折れた。飛び散る黒い粉のように、思考も気持ちよさで砕けそうだ。
折原は妙な生徒だった。こんなことしてることを抜きにしても、妙な少年だった。いつだったか、人間を愛してると言って頬を染めた顔がやけに印象的だった。ああしていれば可愛いのに。なんてことを思ったのが間違いだったかもしれない。
「っ、あ」
わざとじゃない、決してわざとじゃない。けど、結果的に顔射してしまった。二人揃って呆然としている俺らは間抜けすぎだ。生憎ティッシュを切らしていたのでズボンのポケットからハンカチを出して拭いてやった。折原は驚いた後、みるみる赤くなって俯いてしまう。なんだよ。
「……先生、好き」
聞き飽きた、が残酷なことは俺でもわかったから黙っておいた。新しいの買って返すからと奪われたハンカチの行方は考えない方向でいこうと思う。





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