- ナノ -

傍迷惑な人



 鶴谷さんと二度目の遭遇をしたものの、俺たちの関係が劇的に変わることはなかった。まあ多少の変化はあったけど。それは何かと言うと、朝と帰りに挨拶をすることだ。
 え? それだけ? と思うだろう。だけど今まではそれすらなかったんだからある意味変化だろう。それ以外でも時々、本当に時々だけど学校のことや授業のことで話をする機会も増えてきた。正直言えば話しかけられる度にドキドキしているのだが、これは驚き半分と、怒らせないように、という緊張感が半分なのでそういうアレコレではない。だから周囲から何を言われても「違う」で押し通しているのだが――

「ホントに〜?」
「だから違うって。何度言えば信じるんだよ」
「だーってさぁ。いきなり、しかも“あの”鶴谷さんとだぜ?! 仲良くなるとかありえねえじゃん! 絶対ェ『何かあったな』ってみんな思ってるって。なぁ、チュウさん!」
「ん〜。僕はそこまで気にならないけど、皆は興味津々だよねぇ」
「えぇ……」

 昼休み。いつもの三人で固まって弁当を広げていると、俺と鶴谷さんの関係にみんなが興味を示している。なんて言われてうんざりしてしまう。
 そりゃあ気持ちは分からなくはないけど、だからと言って男子と女子がたまに話すぐらいでそんな噂になるもんか?

「そこまで仲良くないよ。話だって毎日してるわけじゃないし」
「でも女子同士でもあんまり会話しないんだぜ? 鶴谷さんって。男子とだと余計にさぁ。そりゃあ話しかけたら応えてくれるけど、口数多い方じゃねえじゃん。だから会話が続かねえ、っていうか」
「必要なことだけ言葉にしてる感じだよね」
「あ〜、分かる〜。ホントそれな〜」

 購買で買ってきたパンに噛みつきながら何度も頷くコウキに、ゆったりとした所作で卵焼きを半分に割って口に入れるチュウさん。俺はそんな二人の前で苦虫を噛み潰したような気持ちになりながら、モソモソと冷たくなったご飯を咀嚼する。

 確かに鶴谷さんとの会話は『必要最低限』っていう感じだ。「おはよう」「また明日」しか話さない時もあるし、普段も「ルーズリーフ持ってる?」とかその程度だ。授業中は喋らないし、喋るとしたら班になって話し合う時ぐらいで、普通の会話のキャッチボールが続いたことはない。だから俺も皆と大差ないのに、なんでこんなに噂になるんだろう。

「解せぬ……」
「うははは! タカやん武士みたいな顔してる!」
「まあそのうち落ち着くよ」
「だといいけど……」

 釈然としない気持ちを抱えたまま残りのおかずを食べていると、廊下側の窓際に座っていた女子が黄色い悲鳴を上げる。一体なにかと三人で顔を向ければ、そこには学年一の人気者である野瀬(のぜ)くんが立っていた。

「ねえねえ。“高谷くん”って人いるー?」

 どこか間延びした柔らかい声音に、眠たそうなタレ目。焦げ茶色の髪はワックスでもつけているのか、少しうねり気味だ。でもそれが野暮ったく見えないのは偏に“イケメン”だからだろう。俺とはあらゆる意味で対極的にいる陽キャ男子に、近くに座っていた女子がすかさず「あそこにいるよ!」と答える。
 え。っていうか、今更だけど何で俺?
 困惑している間にも野瀬くんは女子に笑顔でお礼を言うと真っすぐこちらに近付き、目で追いかけている間にも目の前に来てしまった。

「いきなりごめんねー。初めまして、だよね?」
「そ、そうですけど……」

 一学年時にはクラスが違ったから相手にとってみれば俺は完全に初対面の人間だろう。だがこちらとしては学年一の人気者であり、モテ男の顔と名前を知らないはずがない。それにたまに見かけると毎回周囲に女の子がいるから彼の周りは賑やかだ。逆に同性に囲まれて楽しそうに笑っている時もある。女子にモテるからと言って同性から嫌われていないのは純粋に凄いと思う。俺は特にどうとは思わないけど、正直近付きたいとは思わなかった。だって、ほら。現時点ですごい視線が集まってきているから。注目されたくない日陰男子としては太陽のような人と一緒にいるのは苦痛なのだ。

「あの……何か用ですか?」

 もう少しで食べ終わるところだったとはいえ、弁当を広げたまま対応するのは居心地が悪い。かと言ってそのまま食べ進められるほど図太くもないので、仕方なく箸を置いて向き直った。
 すると野瀬くんは顎に手を当てて、まるで品定めするかのように上から下まで視線を動かすと「ふむふむ」とわざとらしい相槌を打ってから貼り付けたような笑みを浮かべる。

「ハルカちゃんと噂になってる男子がいる、って来たからさー。一回見てみたくて」
「はるかちゃん?」
「あれ? 違うの? 鶴谷遥ちゃんだよ」

 え。あ。そっか。鶴谷さんの下の名前って『遥』だったっけ。普段苗字でしか呼ばないし、出席を取る時もフルネームでは呼ばないから、忘れてた。いや、それよりもだな。

「あの……その噂、ただの誤解っていうか、デマなんですけど……」
「あ、やっぱりー? いやー、そういう気はしてたんだけどさぁ、一応確認しとかないと、って思ってねー?」

 確認って、彼は鶴谷さんの何なのだろう。彼氏、なのかな? え? でもそれなら何で俺と鶴谷さんが噂になんてなるんだ? 本当にこの人が鶴谷さんの彼氏なら噂なんて最初から立たなかったはずなのに。

「ほらー、俺ってばハルカちゃんの“友達”だからさー。気になるじゃん?」

 いや、あなたのことなんて知りませんけど。
 心の底からツッコミたい気持ちをグッと堪え、曖昧な感じで「はあ」と答える。何なんだろう、この時間。よく分かんねえな。
 意味も分からないし居心地も悪いし、正直早く教室に帰って欲しい。
 目を合わせないようにそっと視線を逸らせば、それを咎めるように誰も座っていなかった椅子を引っ張って隣に座って来る。
 何なんだこの人。怖いんだけど。

「ねー。高谷くんってさー、ハルカちゃんのことどう思ってるの?」

 どうもこうもただのクラスメイトだとしか思っていませんが。
 そりゃあ綺麗な人だな。とは思うけど、別に噂されるような間柄でもないし、そんな甘酸っぱい気持ちなんてない。どちらかと言えば睨まれた時の恐怖の方が勝っている。だから普通に「クラスメイトですけど……」と答えれば、何故か笑っているようで笑っていない目を向けられた。

「ホントにー? ハルカちゃん綺麗だから、“あわよくば”とか考えてないー?」
「………………」

 ……何だろうな。コウキに言われたら呆れるというか、ちょっとうんざりしてきた。っていう感じで済んだのに、見知らぬ相手から疑われるのって何か腹立つな。
 内心イライラし始めるが、ここで姉貴のように手を出すわけにはいかない。姉貴は短気が極まってすぐに拳か足が出るタイプの蛮族だが、俺は文明人なので『話し合い』という平和的解決が出来るのだ。非力だからケンカをしない訳ではない。決して。

「あのさー、あんたさっきから何なの? 俺ら今飯食ってんだけど。見て分かんね?」

 俺の不愉快さが感染したのか、コウキが眉間に皺を寄せながら野瀬くんを睨む。その手には食べかけのパンがしっかりと握られており、野瀬くんはチラリとコウキを見遣るとまたもや出来のいい作り笑顔を浮かべる。

「あー、邪魔してごめんねー? でもどうしても確認したかったからさー」
「んだそれ。だったらタカやんじゃなくて鶴谷さん本人にも聞けよな。感じ悪ぃぞ」

 コウキはこういうの、物怖じせずにズバッと言ってくれるから助かる。チュウさんも、軽い感じで謝る野瀬くんに「もう確認は済んだよね?」と笑顔で確認をし始める。

「僕たちまだ食べ終わってないし、鶴谷さん今いないから、また今度確かめに来て欲しいかな」
「あ〜……そうだよねぇ。おっけー、じゃあまた今度来るね」

 いや、来ないでくれ。いや、来てもいいんだけど、俺たちのことは放っておいてくれ。
 そんなことを考えつつ俯けば、出入口側が軽くざわついてすぐさま視線を上げる。するとそこには噂の的である、鶴谷さんが立っていた。

「? なに?」
「あ! ハルカちゃーん! 久しぶりー!」
「………………」

 機嫌よく手を振る野瀬くんだけど、逆に鶴谷さんは「ゲッ」と言わんばかりに顔を顰めている。
 ……あれ? 友達なんじゃないの?

「野瀬くん……。何しに来たの?」

 あれれー? 鶴谷さんの態度や発言からしてこれはちょっと……怪しいぞ?
 思わずコウキとチュウさんに視線を向ければ、二人も同様にこちらを見て首を傾けた。
 だよな! 俺だけじゃないよな! 実際、周囲にいたクラスメイトたちも「あれ?」って空気出してるし。

「えー、酷いなぁ。遊びに来たのにぃ」
「知らないわよ、そんなこと」

 うおっ。相変わらずの切れ味抜群な返しに何故かこちらの方が驚いて肩を上げてしまう。だが辛辣な態度を取られたと言うのに、野瀬くんは気にした様子もなく笑顔で話しかけ続ける。

「そんなこと言わないでよ。俺たち“友達”じゃん」
「は? そんなものになった覚えはないけど」

 おっふ。聞いているだけで胃が痛い言葉に思わず野瀬くんを見上げるが、当の本人は気にした様子もなく――むしろ増々いい笑顔を浮かべて鶴谷さんに近付いていく。

「相変わらず冷たいよねぇ。でもそういうとこも好きだよ」
「私はあなたみたいなタイプ嫌いなの。用がないなら早く帰って」

 うわー! うわー! これって公開告白なのでは?! なんて一瞬浮ついたものの、鶴谷さんのあまりにもストレート且つメンタルが弱い人間にとっては即死攻撃並みの返事に胃がキュっとなる。
 それに、周囲の女子は野瀬くんの「好きだよ」発言に悲鳴を上げ、また鶴谷さんの容赦ない切り返しにもざわついていた。
 うーん……。これ、所謂“修羅場”という奴に発展するのか?

「ていうか本当に邪魔だから。もうすぐチャイム鳴るわよ」
「あーあ。ざんねーん。それじゃあまた来るね、ハルカちゃん」
「来なくていい」

 振られてもめげることなくアタックを続ける野瀬くんだけど、鶴谷さんはチラリと一瞥することもなく席に着くと弁当箱を仕舞い始めた。
 ……本当にメンタル強いな。鶴谷さん。

「それじゃあ、高谷くんもまたねー」
「え。ええ……」

 何だか台風みたいだった。
 うんざり半分、安心半分で肩を落とすと、鶴谷さんが不可解そうにこちらへと視線をやり、首を傾ける。

「あの男に何か言われたの?」
「あー……いや。なんか、俺たちの噂を聞いたみたいで……。真相を確かめに来られたと言いますか」
「はあ……。つくづくバカね。くだらない噂を信じる人も、それを広げる人たちも。本当に愚かだわ」

 ズバズバと言いたいことを言ってのける鶴谷さんに周囲の男女がコソコソと去って行く。そんな彼らに鶴谷さんは「フンッ」と顔を背け、すぐさまこちらに向き直った。

「ごめんなさいね。私のせいであんなのに絡まれて」
「鶴谷さんのせいじゃないですよ。それに、俺も鶴谷さんも、噂に振り回されてる方じゃないですか」
「ま、そうだけど。けど、今度変な絡まれ方したら無視しなさい。あんなの、相手にする価値もないわ」

 うわぁ……。これ、野瀬くんは『友達』って言ったけど、鶴谷さんの方は相当嫌っているのでは……?
 思わずコウキとチュウさんに視線を投げれば、二人も無言で頷いた。うん。やっぱりそうだよな。あの人、鶴谷さんに嫌われてるよな?

「それより、早く食べなさいよ。もうすぐでチャイム鳴るわよ?」
「あ!」

 余計なタイムロスのおかげで慌ただしく、気の休まらないお昼となってしまった。それでもどうにか残りのおかずを口に放り込み、その後始まった授業に流され野瀬くんのことは殆ど気にすることはなかった。


2022/07/03 13:31
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