- ナノ -

鶴谷さんと高谷くん


 この世には『出席番号順の呪い』という奴が存在している。
 勿論世の中に沢山ある『おまじない』だとか、誰かを『本気で呪う』云々ではなく、俺自身の経験からそう呼んでいるだけで実際にそういう呪いがあるのかどうかは知らない。というか、多分ない。
 では何故『呪い』と題したのかと言うと、どういうわけか俺は昔から『出席番号順』というものにロクな縁がないからだ。

 最初は小学校三年生の時だった。二年から三年になり、ドキドキしながら入った、使い古されているのにどこか真新しく感じた教室。背負っていたランドセルを弾ませながら自分の席につけば、最終的に上下左右、まさに四方を女子生徒で囲まれたのだ。
 あの時はまだ幼かったからそこまで女子を『異性』として意識はしていなかったが、それでもクラスの男子たちから揶揄われたのがすごく恥ずかしかった。
 で、その後これと同じ状況に二度も陥ることになる。
 最初は小学校三年生。次が六年生。そして中学二年生。高校では流石に囲まれはしていないが、それでも相変わらず男子より女子と隣り合うことの方が多かった。

「はよーっす! お? どったの、タカやん。死にそうな顔して」

 先に教室に来て俯いたまま机を凝視していた俺の前に座ったのは、高校で出来た友人――栗山高貴だ。
 本来なら俺の前の席ではないが、朝一で溜息を零しながら机の上を見るともなしに眺めている友達がいたら誰だって気にするだろう。特にコウキは友達思いだから『放っておけない』と思ったのかもしれない。
 そんな友人を困らせたいわけでも、これ見よがしに『構って』とアピールするつもりもない。だから挨拶を返すために顔を上げれば、コウキは細く剃った眉毛を器用に顰めながらもう一度「どったの?」と尋ねてきた。

「ああ、うん。それが――」

 週末に起きたことを話そうと口を開けたが、すぐさま彼女――ツリ目美人の鶴谷さんの言葉を思い出して口を噤む。

「いや。やっぱり何でもない」

 まさか某有名漫画の原画展でエンカウトするとは夢にも思わなかった人物だ。話したところで「他人の空似じゃねえの?」と言われそうだが、間違いなく彼女は鶴谷さんだった。
 だって、直接釘刺されたし。

『誰かに話したら承知しないから』

 ただでさえキリっとした眦を更に吊り上げて、睨むような、あるいは怒っているかのような瞳で見上げられたのがほんの数時間前のことのように感じられる。実際は一日以上経っているのに、まだ彼女に睨まれた時のことを思い出せば自然と恐怖が悪寒と共にやってくる。

 彼女、鶴谷さんは同じクラスの、更には隣の席に座っている女子だ。
 これも所謂『出席番号順の呪い』なのか、普通は“出席番号順”と言われたら列で座るはずだが、うちのクラスは担任の意向、いや。気まぐれか? そのせいで列ではなく行、横順で座ることになった。おかげで高谷こと俺の次に鶴谷さんが来るのだ。
 更に言えば鶴谷さんの隣に『寺谷さん』という女子が座っているので、クラス内にいる『谷』の字を持つ三人が横一列に並んでいる状態だ。それだけでも初めは笑われたのに、更に二人が女子だから陰キャ男子としては肩身が狭い。
 別に鶴谷さんと寺谷さんが『仲良し』なのかと聞かれたら全然そういう感じには見えないのだが(何せ二人共物静かなタイプで、余計なおしゃべりをしている姿を見たことがない)年頃の男子という奴は異性が隣になるだけで無駄に騒いでしまうのだ。当事者の心臓も、周囲の声も。
 だから早く席替えをしたいのだが、まだ二学年に上がったばかりだ。席替えはもう少し先になるだろう。

 現実逃避のようにそんなことを考えていると、椅子の背もたれに両腕を乗せていたコウキがムスッとしたように口をへの字に曲げる。

「なんだよー。オレには言えないって?」
「別にコウキだからってわけじゃないよ。それに、本当に『何でもない』ことだから……」

 そう。『何でもない』。何でもないんだ。嘘でもそう思わないとやっていけない。
 どことなく胃が締め付けられるような感覚を覚えていると、続々と教室に入って来る生徒に紛れて鶴谷さんが入ってきた。

「おはよう」
「お、おはようございます……」
「はよーっす」

 鶴谷さん、この前会った時は髪を下ろしていたから最初は誰だか分からなかったけど、元々一つ一つのパーツが綺麗だから髪型変わっても分かるもんなんだな。それに比べて俺は……。何も弄ってないのに隣の席の奴だって分からないぐらい存在感薄いって……。マジで雑魚すぎるだろ……。でも中途半端に気付かれるぐらいならいっそのこと完全に忘れられていた方が幸せだった気もする。

「みんなおはよ〜」
「おっ。チュウさん。おは〜」
「ああ……。おはよう、チュウさん」

 ほんわかとした穏やかな口調と、高すぎることも低すぎることもない中性的な声音。どこか癒されるような、浄化されるような心地になる声の持ち主へと視線を向ければ、そこには仏のような顔で笑う『チュウさん』こと根津宙大が手を振っていた。

「あれ? タカちん顔色悪いね。大丈夫?」
「あ、ああ、うん。大丈夫。ちょっと、寝不足なだけだから」

 嘘ではない。実際今日のことを考えたらあんまり寝付けなかった。だって“あの”鶴谷さんと思いがけない場所で出会った挙句、睨まれながら釘を刺されたんだから胃も痛くなる。
 現に隣から一瞬視線を寄こされた気がしてチラリと横目で鶴谷さんを見遣れば、彼女はすぐさま眉間に皺をよせて『余計な事口走ったらコロス』みたいな目で睨んできた。
 そんなに気になるならあの時俺のこと無視して他人の振りをすればよかったのに……。そうしたら俺も『他人の空似か』なんてアッサリ忘れることが出来たのに。
 だって「原画展で鶴谷さん見たんだぜ」って言ったところで誰も信じないよ。
 鶴谷さん、漫画とかアニメとか見るタイプには見えないんだから。

「そっかぁ。じゃあ今日は眠れるといいね」
「うん。ありがとう」

 同じ男子とは思えないぐらいホワホワとしているチュウさんの笑顔にどこかほっとしながら笑みを返せば、HR前のチャイムが鳴り始める。途端に本来の、前の席に座っている加藤が歩いて来る。コウキも加藤に気付いて席を立ち、チュウさんと一緒にそれぞれの席に戻って行った。
 鶴谷さんは特に何も言わなかったけど、何となく俺が口を開く度に『余計なこと』を言わないか気にかけているようだった。
 勿論誰にも話すつもりはない。彼女に釘を刺されたというのもあるけど、単に面倒事に巻き込まれたくなかっただけだ。
 だって俺は、平穏無事に、何事もなく、波風を立てることなく過ごしたいのだ。だから敢えて嵐の中に身投げするような行いをするはずがなかった。



2022/06/05 16:48
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