星降る夜のありふれた幸福
刺さるほどに澄んだ冷たい空気の中。日が落ちた空は黒かった。
ホテルのバルコニーから見える街は明るい。
この国は明るいことがステイタスで、夜でも煌々と街灯が光っているのだ。
黒い空と明るい街は対照的で、ともすればけんかをしているようにも、お互いを引き立てあっているようにも見える。
空を見上げると星がいくつか光っていた。
ふと思い立って数える。
いち。に…、さん。両手におさまるくらい少ない。
「この国は明るいね、キノ」
私は隣で同じように街を見下ろすキノに言った。
「ああ。昼間みたいだ」
「星も、あんまり見えないね」
「そうだね」
昨日までいた草原とは大違いだ。私は思う。
始めのころこそ見上げる余裕なんてなかったが、今は星があることに慣れてしまった気がする。
見えなくなってから思い出すなんて、ちょっと皮肉めいているかもしれないけれど。
あの感動は忘れられない。
初めて見た視界いっぱいの満天の星。その美しさは素晴らしかった。
シスターといた国で見た空。空気は澄んで、シスターは斜め後ろから私を見ていた。
旅の途中の入国前と、出国前。私とモトラド、ひとりと一台。
キノと出会って別れた日の夜。心がほんわか暖かかった。
あの積雪の森で野営をしたこと。刺さるような冷たさと、対照的に熱を持ったパースエイダー。
私が生まれた国で見た最後の景色。キノは正面にいた。
道の夜は暗くて深い。それに危険もつき纏う。
それでも日を過ごせば慣れてしまうから、滞在一日目はいつも新鮮に感じることが多い。
でも、これほどに景色が違うなんて。
隔てるものは城壁たった一枚だけなのに、なんだか遠い別世界に来たような感覚を覚えた。
「いつもあるものがないっていうのは、なんだか不思議だねえ……」
「うん。まったく別の世界に来たような気分になる」
あ、と思った。
キノが、私と同じことを考えている。
それが旅人ゆえなのかキノだからなのか確認することはできないけれど、私は嬉しくなった。
いま私たちは二人で、この場で、同じ感情を共有しているのだ。
私は、言葉を続けた。
「ほんのすこし前までは、草原だったのにね」
「城壁の中と外でこんなに違うのは、あまりないね。びっくりしたよ」
私はまた嬉しくなって、視線をキノへ向けた。キノはまっすぐ街を見ている。
時に追い、時に正面にあったキノの顔は、いま、すぐ隣にある。
手を伸ばせば応えてくれる距離にいる。物理的にも、そしてたぶん…その心の距離も。
この横顔はどこに行っても隣にあるのだなぁ、なんて思ったら、視界が勝手に細くなった。
頬が緩んでいると気づいたとき、キノがふり向いた。
目があって、一瞬だけ見開かれたそれが形を変える。
ふわりと綻ぶ笑顔。“花が咲くように”なんて形容詞が合いそうな、優しげな瞳で見つめられ。
「あの夜空の星を地上の一か所に集めてしまったら、こうなるのかもしれないな」
私の手を取って。
「ボク達は今。星のなかにいるんだ」
そして、あまりにも詩人めいた言葉を紡ぐから。
私は驚いた。
感心して、思わす「表現がロマンチック」と漏らすと、キノはくすぐったそうに笑った。
顔が近づいてきて、ささやくように声を落として、離れる。
寒いから戻ろうか。と言うキノに、私はうなずいた。
輝く街並みを背にしながら、耳に残った言葉を思い出す。
「旅人はときどき詩人になるのさ。――…君といるときのボクは、特にね」
心音が、すこしはやい。
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紺野様、ありがとうございました。